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「あ、有沢さん。おつかれさまです」
「こちらこそありがとうございます。朝ごはん、よかったらどうぞ」
「おっ!まじすか!ありがとうございます!うまそー!また店にもお邪魔します」
「うん。待ってます」

 朝方、まだ面会時間でもないのに自然と病室にやってきた想は青年に挨拶をして店で作ってきたホットサンドを渡した。
 古谷の見張りをしていた青年は嬉しそうに笑い、いい香りに眉尻を下げた。
 想は仕事帰りだと分かる、店員の白シャツに黒パンツで、黒いスウェット地のジャケットを羽織っているだけだった。
 コソコソ耳打ちをしてから部屋を出ていく青年が、『お大事に』と古谷に残していく。
 青年を見送り、想は古谷へ視線を変えた。

「具合は大丈夫ですか?」
「もう大丈夫だから、見張りも必要無い」

 『ありがとう』と小さく付け加えて、読んでいた週刊誌を古谷は閉じた。

「つーか、なんでまた来た?」
「……なんでって……心配で……」
「付きまとわれて煙たがってたろ」

 想は真顔で大袈裟なほど大きく頷いて見せた。
 古谷は、ふっ……と笑って週刊誌を開こうとして下に落とした。

「起きるの怠いから拾ってくれ」

 は?と想は呆れながら、屈んで週刊誌を拾って古谷の膝にバシンと強く置いた。

「動いた方がいいですよ」

 嫌みを込めて言った。
 古谷は笑って近くに置かれた想の腕を優しく掴んで身体を起こし、唇に唇を当てた。
 想は一瞬、何が起きたのか分からずに思考が止まったが慌てて古谷を押し放した。
 痛い!と告げる声に、力を加減してしまい、後頭部を抱え込むように押さえ込まれた。抗議しようと口を開けば、狙ったように口を塞がれ、熱い舌が侵入を試むように動く。
 想は手のひらを古谷の頬に叩き込んだ。身体が離れ、想が一歩下がる。

「か、顔なら痛くない……っ」

 口元をごしごしと音がしそうなほど擦る想の姿に、古谷は叩かれた頬を触って微かに微笑む。

「北川の愛人だったなんて嘘だろ。顔、真っ赤だぞ」
「いきなり、驚いて……」
「ふぅん」

 ベッドから足を降ろし、窓際の想を見ながら古谷は口端を上げた。

「最近はずっと有沢、アンタを見てた。まあ、動機は違えど謎ばかりでどんどん深みにハマるし、そんな相手に優しくされたら、好意が生まれてもおかしくないだろ?」
「……は?……頭、おかしい……」

 『かもな!』と笑い、古谷が怪我を庇いながら立ち上がるのを見て、想は一歩、二歩と下がる。

「有沢、お前のことがもっと知りたい。気になるんだ。……笑った顔、見たいよ」

 『これは恋愛感情だと思う』と加えながら伸ばされた手を、想は思い切り叩いた。
 凪払われた手を見て古谷が小さくため息を付く。

「唯一の家族が自殺して、職も無くして、何もない。有沢はどうやって生きてきた?教えてくれよ」

 距離を詰められ、想は窓際に追いやられる。
 好意を持って見られるなど、新堂くらいのものだった想は動揺していた。窮鼠猫を噛むのごとく、想はベッドへ古谷を押し倒した。
 『うぅッ……!』と古谷が呻いた。

「す、すみませんっ!」

 想は素早く身体を離すと走って病室から逃げた。
 一方、ベッドに埋められた古谷は、痛みに暫く顔を歪めていたが、去り際の想を思い出して笑みを浮かべた。
 あれで愛人など務まるはずもないだろう。ましてや親の仇の相手など出来そうもない。今まで見たことのない表情ひとつに、古谷は口元が笑うのを抑えきれない。
 仰向けのまま目を閉じた。

「あーあ……ホント、可愛い反応してくれるね」

 いてて……と身体を起こして叩かれた頬に再び触れた。それから、小さく息を吐いた。

「タバコ吸いてぇな」

 明日には退院になる。
 何度か通院はするが、もうベッドにいる必要はない。
 想に会うこともないだろう。古谷は少し淋しく思いながら、へしゃげた週刊誌を広げた。 

「……はは、スマホ。シンデレラかよ」

 広げた雑誌の下、押し倒された時に勢いで落ちたのだろうか。
 想の携帯電話が布団に埋まっていた。古谷はそっとそれをテーブルに置き、戻ってくるだろうかと、病室のドアを眺めた。









 熱くて溶けそうだと想は思ったが、怖くはない。
 むしろ欲して止まない温もりをもっと感じたいと望んだ。
 触れる手のひら、力の籠もる指先。
 熱を帯びた視線が想を求めている。
 抱き合う温もりが急に無くなり、離れていく指先を追うように腕を伸ばした。 
 『漣!』と呼ぶ自身の声が水の中のように届かず、想はもがく。そのまま落ちて、真っ赤な水溜まりに想はうつ伏せに転がった。バシャッと音が響いたところで現実がやって来る。

「い……って……」

 急激な覚醒に、盛大な溜め息を零した。
 ソファでうたた寝をしていた想は、転がり落ちていた。しばらく動かず、ぼうっとしていた想の背中にもち太が乗った。

「こら、重いって」 

 笑いながら手を伸ばして背中のもち太を退かし、想は起き上がった。時計を見ると14時を回っている。3時間も寝ていたことに、想は肩を落とした。深く寝て、夢を見ることが嫌だった。
 どんなに寝たくなくても、今のように時々寝てしまう事がある。人間の眠欲とは恐ろしいと想は目許を擦った。 
 新堂の眼差しが思い出され、想を寂しさが襲う。

「だから寝たくないんだよ……。おいで、もち太」

 床のラグに寝そべり、もち太を撫でながら想は呟いた。
 ふと、古谷が脳裏をよぎる。
 新堂のものとはまた違う、あの視線に身を堅くした。欲望のまま見つめるものでもなく、蔑むものとも違う視線。
 全てを求めるような強い視線に、大して恋愛経験のない想は目をそらすしか出来ない。
 平気な顔で簡単に受け流せるのは見下すような類の視線だけだった。







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