『生活安全課 古谷士郎』
 
 想は渡された名刺をテーブルに置いたまま眺めた。
 『古谷』。その名前に想は指先が冷えた。
 顔には出さないように努めながら、古谷士郎(ふるたにしろう)へ視線を変えた。
 歳は想とあまり変わらなそうに見え、リクルートスーツに安そうな革靴、黒い髪が真面目そうで、あまり印象に残らない顔だ。想は名刺など持っていないため、テーブルに置いてあった店のカードを一枚取って古谷の方へ差し出した。

「今日は、個人的な用で来ました」
「でしょうね。警察官がお酒飲みながら仕事なんて、想像したくないです」

 テーブルに置かれているビールは、すでに泡が消えて、一度も持ち上げられていないためテーブルに水滴が溜まっている。想は古谷に付けられていたことを確信した。
 ここ数日、誰かに追けられているような、見られているような感覚を味わってきた。捕まえて問いただしてもよかったが、尾行に気付かないふりでいた方がいいと若林に言われて、我慢してきた。
 この視線にさらされて日々イライラしていたのかと、特にどんな表情も作らずに古谷を見た。
 思ったより存在感が無い。想の感じていた視線はもっと強くて嫌な感じのものだった気がしていた。

「有沢さんは、有沢製薬の元社長のご子息とか」

 想は視線を合わせたまま短く『はい』と答えた。

「先ほど、カードを頂いたときに見えた手の傷は事故で?」
「……そうです」
「お母様も車で事故でしたね」
「そうですね」
「お祖父さんは立花全ですよね」
「たしか」

 『たしか?』と古谷が復唱した。
 想は頷いて淡々と答える。

「疎遠で。母が祖父の職を嫌っていました。殆ど会ったことはありません」

 古谷は『なるほど』と小さく呟きながら視線を外して頷き、手帳から一枚の写真を取り出して想に向けて置いた。

「立花全の葬儀に、確かにいらっしゃいませんでしたね。先程の理由で?」
「そうです」
「……この、写真の男に見覚えは?」

 古谷の指先が写真を見るように促した。
 想は既にその写真を一瞬見ていたが、もう一度見た。
 知っている。立花全を殺した罪を被せた薬物中毒の若者だ。
 名前は『古谷哲郎』。目の前の男の名刺には『古谷士郎』とあるが、兄弟か何かだろうか。似ていない。想が写真から視線を古谷士郎の方へ戻す。

「どちらの方ですか?」
「……立花全を殺害した人物です。薬物中毒でした。青樹組系天黄組の下の下のチンピラですよ」

 へぇ……と想は適当に頷いて、そんなこと話していいの?と疑い深い視線を向けた。

「先日、刑務所内で自殺しました」
「……お気の毒に」
「俺の弟です」

 やっぱりな。と一人納得した想だったが、表面には出さずに写真を指先で古谷へ返した。

「そうですか。残念ですね……ご冥福を」

 『ありがとうございます……』と古谷は写真を手帳にしまい、下げていた視線を上げた。
 想はげんなりして眉を寄せる。

「それで、俺に用ってなんですか」
「弟は……どうしようもない奴ですし、殺しが出来る様な度胸もないんで、まだ信じられなくて……もう捜査も終わっているし、身内は班に入れません。なので、自分で真実を調べているんです」
「真実?……俺は力になれない事だと思います」

 古谷は力無く頷いた。

「?」

 想は一瞬違和感を感じて古谷をじっと見つめる。
 古谷は視線を机に落とし、少しの間をおいて大分経ったグラスビールを一気に飲み干した。

「ごちそうさまでした。また……来ます」

 素早く立ち上がった古谷に付き添い、想は店のドアまで送ると静かに開けた。
 店内には一組だけ時々やってくるカップル客がいたが、二人の世界で静かに飲んでいた。
 古谷は軽く頭を下げてドアを通る。

「ねぇ、あなたは『古谷さん』じゃないですよね」

 一瞬、私立探偵か何かかと想は反応を見たが、あからさまに動揺している偽の古谷に、思わず口端が上がった。
 本当に身内の無実が知りたい人間が、あんなにあっさり引くなんて、自分なら有り得ないと想は考えていた。真面目そうな偽古谷なら尚更、もっと食い下がって『どんなことでも』『ささいなことでも』などと聞いてきそうだと思っていたが。
 偽古谷が、想の言葉に口を開いたり閉じたり、視線をさまよわせたりするのを見て想は自分も店の外に出るとドアを締めた。

「おもしろ半分で立花全の家族のことを調べてるなら、止めた方がいいと思いますけど」
「ち、ちが……違います!その……」

 最初の頃と打って変わって慌てる偽古谷。
 想は『おやすみなさい』と店に戻ろうとしたが、背後で名前を呼ばれて立ち止まった。

「有沢想、俺が古谷士郎だ」

 想が振り向くと、偽古谷は本物らしき古谷という男の元へ小走りに駆け寄り、ペコペコと頭を下げた。
 本物の古谷は偽物よりは背が高く、ぱっと見でガタイも良かった。本物は偽古谷を小突いてため息を零した。

「バレんなよ」
「すいませんー!!」

 部下に身代わりをさせ、話を聞き出しに来たのか。想は少しイラっとしたが、顔には出さずに微笑んで見送る。
 関わりたくはない。
 想はすぐにふたりに背を向けて店に戻った。









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