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 翌朝。
 想はいつも以上に新堂を視線で追っていた。昨日は約束通り早くに帰って、想の作ったトンカツを食べ、一緒に眠った。
 新堂は注射器から針を外してケースにしまい、処分用の袋に捨てた。
 想は新堂の手に包帯を巻きながら、『悲惨……』と呟いた。彼は笑って頷いた。

「覚えてるか?五十嵐にやられたとき看てくれた、丸眼鏡のじいさん。あの診療所に寄って行くから少し早く出る」
「そうなの……?一人で大丈夫ですか」

 当たり前だろ。と新堂は笑った。
 想は自分が巻いてあげた包帯を見つめた。

「足がないわけじゃないんだから心配するな」
「心配ですよ……何の道具もないキッチンで指切って傷口焼く人なんて見たこと無いし」

 キッチンに並んで立ったまま、ふたりは朝食後にコーヒーを飲む。新堂は時間を確認すると、もち太を撫でて玄関に向かった。想が追うと、もち太も追った。

「昨日も言ったけど……今日の打ち合わせは昼前には終わるから、俺、今日も夕食作ります。何がいい?」

 新堂の答えを興味深く待っている想に、新堂は優しく頬に触れた。

「考えておく」

 想は微笑み、頷いて靴を履いた新堂にキスを求める。優しく触れて、離れる唇を少し名残惜しく感じるが、怪我人を留めておけずに想は新堂を見送った。









 来週から内装工事にかかることで予定が決まり、想は島津と細かい事柄を決めていた。取り扱う酒、軽食、三咲のコーヒーを作る機材がそのまま残るため、コーヒーの提供も可能だったが、続けるか等を決める。

「蔵元どうかな。上手くいってる?」
「衛生なんちゃらの資格は取ったみてぇだけど、料理の腕はどうだかな」

 島津はうーん、と腕を組んで唸った。絶賛料理特訓中の蔵元は、ここ数日三咲の軽食レシピを何度も何度も作っていた。

「酒だけでもいいんじゃねぇの」
「最悪そうなるかもな」

 二人が苦笑いして仕入れ業者のリストをまとめていたとき、噂の蔵元が息を切らせて入ってきた。
 バン!!と乱暴に開けられた扉に島津は眉をひそめた。

「うるせぇな」
「ヤバいって!社長、やっぱり白城会会長降りた!」

 息を切らせながらそれだけ告げた蔵元に、島津は立ち上がってカウンターを飛び越えると蔵元の胸ぐらを掴んだ。
 慌てて想もカウンターから出る。

「噂はやめろ!」

 怒りを爆発させた島津の剣幕に、蔵元が首を振る。

「っ、会長決めるか、解散かって……!緊急の、幹部召集が……!どこに行ったか分からないって……」

 蔵元を掴んでいた手が力が緩む。
 蔵元が咽せながら、想を見た。
 呆然としているのか、驚きも見せていない想を見て蔵元が何か言おうと口を開いた。だが言葉が見つからない。 

「……有沢くん……」

 一方、島津は少し強引なくらいの強さで想の肩を掴み揺すった。

「有沢……知ってたのか」
「まさか今日だとは……思わなかったけど」

 想はふわふわとした声音で島津の質問に答えた。混乱している様子だ。
 想の手に握られた携帯に表示されている発信相手の名前は新堂のもので、島津はそれを取り上げて耳を宛てた。今は使われていないと言う音声ガイダンスが繰り返し流れる。
 島津は想の携帯をカウンターへ放り投げ、自身のもので仲間に電話を掛けながらそこを離れた。

「まさかって……それっぽい事あったの?」
「指詰めてた。朝、丸眼鏡先生の所に行くっていったけど、本当は金を取りに行ったと思う。ヤクザじゃない仕事の方も異常に忙しかったのは…、たぶん引き継ぎとか……かな」

 冷静になればなるほど、最近のことを思い出す。準備していた。『優先する仕事』の為に。
 想は島津が蔵元に掴みかかった際に散らばった書類を集めてファイルに閉まった。
 最近はなんとなく覚悟をしたが、それにしても急すぎて理解が追い付かず、想はほとんど何も考えられずにいた。
 今朝はいつもと同じだった。
 黙り込む想に、蔵元がおすおずと声をかけた。なんと言えばいいかも分からず、しかし蔵元は想を気にした。

「あ、有沢くん……」
「……俺、帰る。多分ここにいたらふたりに迷惑がかかるから」

 想はそれだけ言うと書類は島津に、と残して店を後にした。
 電話を終えて戻った島津は、想の行動が正しいと分かって追わずに仕事を続けた。
 蔵元が眉を吊り上げる。

「なんとか言ってやんねぇのかよ!」
「言いてぇけど、だからどうなんだよ。まさかあいつが俺の胸で泣くか?キショイわ。そんなヤワじゃねぇだろ」

 緊急召集ということは、新堂が本当に内密にしていたことを匂わせる。少数にしか辞めることを明かさず、後処理も任せたに違いない。
 希綿や若林か。
 これからヤクザ連中が想を探すだろう。大抵、裏付けと事情を聞くなら内縁の者か恋人か、そんな所から始めるはずだ。
 店に押し掛けられてはたまらない。想はそれを気にして出て行ったと島津は思った。

「俺達の力が必要になればあいつからくるよ。この店のことだってそうだろ?俺たちは友達だ」

 島津の言葉に、蔵元は力なく頷いた。今、彼のために出来ることと言えばこのお店の事だろう。

「社長、何で急に……どう思う?」
「さあ。……俺も知りてえよ。理由があるのは間違いない」

 低く唸るような島津の声に、蔵元は怒気が含まれているように感じて冷や汗が背中を通った気がした。










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