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 この日も打ち合わせが終わり、島津と想は店を出た。

「悪いな。今日は送れねぇけど」
「大丈夫。いつもありがとう。デート楽しんで」

 ヘルメットを被った島津がバイクに跨がりエンジンを吹かしながら想の腹をグーで押す。挨拶代わりだ。
 想は頷いてリアを叩いて見送ると、店の面と裏に鍵をかけながら新堂にメッセージを送る。夕方とは言ってもまだ暑さは残っており、汗ばむ指先をなんとかテキパキとスライドさせた。
 返信は早く、外で食事にしないかという提案だった。
 新堂の仕事が終わるまで三時間はあったため、想は一旦帰り、もち太を散歩させてから着替えて新堂の会社まで行くと返事を返す。
 承諾の返事が入り、想は運動の為に走ってマンションまで帰った。

「ただいま。もち太、おいで!散歩行くよ!」

 規則正しく上がった呼吸を繰り返しながら玄関からもち太を呼ぶと、もち太はリードをくわえてやってくる。
 玄関にある首輪を嵌め、そこにリードを繋ぐと急かすようにもち太はくるくると回った。もち太の元気さに想は微笑んだ。









 『経営学』と表題された雑誌をめくり、店内の時計をちらりと見た。想は散歩の後、もち太に餌をやり、着替えて新堂の会社付近のコンビニで立ち読みしていた。結局マニュアル本を読むより、周りの経営者に聞いた方が百倍早く、雑誌をしまってコンビニを出た。
 この季節は19時を過ぎてもなんとなく明るく、店の明かりやネオンは半端にぼやけて見えた。想はゆっくりと歩いたが、既に新堂の勤め先に着いて足を止めるとビルを見上げる。

「働き者たちの巣窟……」

 全てと言ってもいいほど、窓から明かりが漏れている。想がビルを見上げていると、聞き慣れた声が背後に掛けられた。

「有沢くん?!」
「……!凌雅さん。こんばんは」

 凌雅はノーネクタイでグレーのサマースーツを着ていた。想のそばまで来ると肩を叩く。

「久しぶり!社長待ってるの?」
「はい。忙しそうですね。三咲さんが来ないな、死んだか?って言ってましたよ」 

 本当?!とへらっと笑った凌雅が、後ろに控えていた黒スーツの咳払いに姿勢を正した。

「いいだろ、少しくらい!」
「まだまだ仕事は山積みなんですよ、柴谷さん!」
「うっせぇな……。そうだ、アルシエロなくなっちゃうんだろ?寂しいよ……三咲さんいつまで店にいる?」

 黒スーツを睨んでいる凌雅に、『今週いっぱいは店に来てます』と想が伝えると、凌雅は笑顔で手を振って黒スーツと社内へ入っていった。
 忙しそうな凌雅を見送り、聞きたかったことを飲み込んだ。凌雅は白城会・前会長柴谷玄の息子だが、ヤクザものではない。それなりのダークサイドはあるが、堅気の人間だ。このまま新堂の会社で重役になるのかな……と想が考えていると、大きなガラス扉から新堂が出てきた。
 姿を見つけて想は軽く頭を下げた。

「お疲れさまです」
「それ嫌だな。まだ会社にいるような感じだ」
「……オツトメゴクロウサン?」
「もっと嫌だな」

 新堂は微かに笑ってタクシーを停めさせた。

「何が食べたい」
「漣の好きなものがいいです」

 分かったと頷き、運転手に行き先を告げて新堂は座席に背中を預けた。
 想も同じく深く座って、横目で新堂を見た。いつもと同じ、変わったところなど無い。
 聞きたいことがあるのに、なかなか言い出せない想は視線を落とした。
 白城会を辞めるのか。もしそうだとすると、何故か。簡単に辞められるものではないし、彼はトップの人間だ。責任も追う。
 想は意を決して言葉を選びながら新堂へしっかりと視線を向けた。

「……辞めるの?」
「……なにを」

 誤魔化している。想は視線を下に移した。辞めるのだろう。

「どうして?いきなりすぎます」

 視線を下げた想に、新堂はそっと目を閉じた。

「辞めるよ。中途半端に放置できるような物ではないからな」
「何で辞めるの?」
「優先させる事が出来た。どうやっても避けられなさそうな事だ」

 想は顔を上げたが、訳が分からないといった表情のままだった。今までもヤクザ業と会社を平然とこなしていたのに、会長になったばかりで何故。

「なんで何も言ってくれなかったんですか?俺は役に立てませんか?」

 白城会は有名な暴力団であり、はっきりと名前は出せないし、タクシーである今、あまり深くは問いつめられない。
 想の視線を見つめ返す新堂は黙ったまま。
 想は自分が責めているのに、新堂の強い視線に逸らしてしまいそうになった。

「……まだ決まった事じゃない。それまでは言わないつもりだった。……迷うよ」

 ふと、弱まった視線に想は眉尻を下げた。
 どこかいつもと違う様子に想は胸騒ぎで指先が震えた。常に平静で感情の浮き沈みがあまり見られず、曖昧な物言いはしない新堂がはっきりしない。
 想は焦るように新堂の手を握った。

「……立花全……祖父さんになにかされた?」
「まさか。あんなジジイどうでもいいさ」

 『大丈夫』と、口元に笑みを浮かべて新堂は言うと、それ以上は何も言わずに黙ってしまった。
 いつもならその言葉に素直に頷けるはずなのに、想は違和感が拭いきれず、小さな不安が心の中に生まれ、少しの思案の後に遅れて頷いた。








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