81






 
 変わらぬ朝。
 パンの焼ける香ばしい匂いに想は寝ぼけていた身体を起こしてボクサーパンツひとつだった身にTシャツを着てベッドから出た。
 昨晩のセックスも長く激しく、想は未だに体内に新堂が居るような感覚に両手で熱くなる顔を覆った。
 小さく息を吐いて顔を上げ、寝室を出る。
 寝室の引き扉は常に開け放たれていて、タイニングキッチン、リビングと一続きになっているため広い。想がダイニングを覗くとキッチンでは立ったまま新堂がコーヒーを飲みつつタブレットへ視線を向けている。

「おはよございます」
「おはよう」

 バウッという吠えと共に白いラブラドールが想に飛びついた。舌を出して尻尾を振りながら見上げてくる大型犬の重たさに、支えていた想が苦笑いで頭から首をごしごしと撫でた。

「もち太、おはよう」

 もち太は三歳になる犬で、最北に住む想の父方の祖父母の犬だった。
 獣医をしていたふたりたが、有沢家が不幸に見舞われた際に若林が安全のために住まいを移させた。ずっと、生活に困らないように気づかれぬよう部下を近所に住まわせ、見守ってきたが祖母が病に付した。そのため、飼っていたもち太を手放すこととなり、若林が想と引き合わせていた。
 以前、猫が犬か、飼ってみるのもいいと新堂は想に言っていたため、もち太はすぐにこの部屋の住人となった。

「もち太、お前ご飯は?」
「食べた。それでも想が食べるとなれば欲しがるだろうな。食いしん坊」
「うん、食いしん坊だね」

 想はそう言って笑い、もち太を下ろすと顔を洗いに廊下へ出た。
 もち太も想の後を追い、尻尾を振りたくる。
 想が洗面所に入ると、もち太は入り口に座っていい子に待った。もち太に許されている場所は廊下とリビング、ダイニングだけで、躾られた通りそれ以上は入らずに待っていた。

「もち太、見てないで漣のとこに行けば」

 大きな黒目が見つめる先で、想は顔を洗って寝癖を直すとワイシャツに袖を通した。
 リビングに戻ると、もち太も想の後を追う。

「絶対食べたいんだ……もち太、だめだぞ」
「ご主人様の言うことは守れよ」

 リビングで入れ違いに出てきた新堂がもち太を撫で、想を立ち止まらせると触れるだけのキスをした。
 想は目を瞑り離れそうな唇を誘うように舐め、首へと腕を回した。

「今日も遅いですか?」
「連絡するよ」

 新堂は優しく言い、もう一度唇を重ねた。今度は深く、もっとと求めるように想の頬を両手で固定して口内を弄るように角度を変えてしつこく口付けた。唇を離した頃、想は激しいキスにふらつき廊下の壁に背中を預けた。

「ど、どんだけ……」
「想が誘った」

 言われて想がほんのり頬を赤くすると、新堂は俯いた想の頭にキスをして玄関に向かった。

「そんなに忙しいんですか?中野さんも全然来ない……」
「少しな。中野さんは仕事が出来るからついつい頼っちゃうよ。きっともう出社してる」
「……手伝えることある?」

 想が心配そうに、きちんと締められたネクタイに触れた。自身が出来ることなど知れているが、それでもと思って想は新堂を見つめた。

「ありがとう。想も三咲龍一の店の件で大変だろう。何かあれば協力するからな」

 『行ってくる』とネクタイに触れていた想の手を取り、指先に唇を当てて新堂は部屋を出た。
 想はもち太と共に新堂を見送り、リビングに戻るとキッチンに用意されているトーストにかじりついた。立ったまま、置かれていた新聞を広げてさっと目を通す。
 温かいコーヒーに氷を入れてマドラーでくるくると回すと、間もなく溶けきった。想はいつくか氷を足して、冷たくなったコーヒーを流し込む。外は今日も暑そうだと、想は足元に伏せて満足そうに目を閉じているもち太に微笑んだ。

「散歩は夕方かな」

 食器類を食洗機へ詰め、スイッチを押す。時計を確認し、細身のデニムと薄手の黒いカーティガンを羽織ると想も仕事場である三咲のカフェに向かった。









 帰国後、以前となにも変わらず穏やかな毎日が過ぎている。
 想に声が戻り、周りはすごく喜んでいたが、身近な人間ほど色々と気にしていた。
 想は手に、新堂は肩に怪我をして、どんな葬式だったんだと。
 帰国後ひと月くらい若林はしばらくずっと想の働くカフェに通うほど。逆に常連だった凌雅は殆ど顔を見せなかった。と言うのも、新堂は溜まっていた仕事に追われ、凌雅も必然と仕事の毎日になっていた。

「おはようございます」
「おはよう、想くん」

 三咲が微笑む。
 想は可憐な雰囲気のある三咲の笑みにつられるように笑顔を返し、殆ど片づけられた店内を見回した。
 三咲はカウンターで書類を整理している。

「先日はありがとう。新堂さん、だったっけ?助かったよ」
「土地とか難しいですよね。でも、このお店はずっと前から三咲さんの物だったって事でしょ?変な奴らに取られてたお金も戻りそうで良かったです」

 うん。と以前より晴れ晴れした表情の三咲に想が持ってきた書類を渡す。三咲がそれに目を通している間、テーブルも椅子もなくなった店内に、モップを掛けるために掃除用具ロッカーを開けた。

「もっと、ここで働きたかったな……」
 
 想の呟きが聞こえた三咲は、その背中に優しい視線を向けて口許に笑みを浮かべた。








text top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -