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 想はかける言葉に迷い、飲み水を一旦諦めて新堂の休む部屋へと引き返してきた。新堂の側に膝を着き、そっと手を握る。
 目を瞑っていた新堂が静かに想の様子を伺う様に尋ねた。

「頑張ったな。怖かっただろ」
「……少し……」

 人や己の生死に近い場所を不安定に生きてきた想は、自身に起きたこと自体にはあまり動じていない。それより、自分の所為で周りが被る被害を怖がっていた。
 『少し』という控えめな、想らしい答えに新堂は小さく笑って、目は瞑ったまま想の顎や頬を指先で撫でる。
 想は床に座って膝に寄りかかり、新堂の指を感じて目を閉じた。

「……何も……渡してない?」
「ああ。でも、全部頂く。許さん」


 新堂の言葉は、単純に命は無いと言っているのだろう。拘束されているはずだ。ギロアは正義感が強そうだし、捕まっているジズに手を出すように見えない。
 新堂は怪我をしているし、スノーが人を手に掛ける様な人間にも思えない。
 どうやって始末するのかはあまり想像したくない想だったが、正直ヘイラルとジズ・ウィンレンスには二度と会いたくないと思っていて、考える事をやめた。
 ズキ、と刺された右手が痛む。想は左手で右手に触れると、胸の前で包むように握った。目を閉じた途端、ジズの行為が蘇り慌てて目を開く。
 包帯の巻かれた右手を見つめる。これは、新堂が縫ってくれたものだ、そう自分に言い聞かせた。もう、終わった。

「今度こそ、水を持ってきます」

 想は自分なりに区切り付けて、点滴を引きながら再びキッチンへ向かった。
 スノーはぼんやりとシンクを見つめている。
 想は静かにキッチンに入ると、スノーがしてくれたように優しく触れた。抱き付くことは少しの恥ずかしさから出来なかったが、隣に立って背中に優しく触れる。

「……えっと、スノーは……なにが好きですか?肉?魚?」

 想が伏せてあったグラスに水を汲むと、スノーは冷蔵庫からミネラルウォーターを手渡した。

「こっちのが冷えてるよ」

 涙に濡れた目元をこすりなら、スノーは微かに微笑む。

「俺は何でも好き。甘いのが一番好き!一番はチョコレートケーキ。ラズベリーの甘いパイとか、生クリームとアイスとジャムをたっぷり乗せたパンケーキも」
「やば、美味しそう……いいお店知ってますか?」

 もちろん!とスノーが想の右手を優しく握って微笑む。

「……ソウはレンが大好きだよね?レンもだよ。だから、絶対に大丈夫!」
「……?ありがとうございます」

 想には何が大丈夫なのか一瞬分からなかったが、事件後の心身の事だと解釈して想は頷いた。
 想とスノーはお互いに少し軽くなった心を感じ合い、控えめに笑った。









 新堂は想が水を持って戻ってきた時、再び眠りに戻っていた。
 リビアが言うには強めの薬を投与したということで、死んでいないか時々確認して欲しいと冗談混じりに頼まれ、想は青ざめた。
 そんな想にリビアは笑って少し遅めの昼食を作り始める。車椅子用に低めに作られた調理台でおいしそうなパンが袋から取り出された。ローストチキンをスライスし、水から上げた野菜の水分を切りながらリビアは隣でスノーが作っているドレッシングを味見した。

「うん、いいわ」

 調理を眺めていた想の腹が鳴り、リビアは笑った。

「健康的な証拠ね。1日食べてなかったから、スープから。ゆっくり食べなさい」

 スノーがトレーに山のように乗せたサンドイッチとコーヒーを乗せて想を誘った。新堂のいるソファのそばに座ってサンドイッチにかじりついたスノーは美味しそうに顔を綻ばせる。

「お腹空いてたから最高に美味しい!」
「ふふ。……いただきます」
「想は日本でどんな悪いことしてたの?」
「えっ」

 スノーの唐突な質問と興味津々の眼差しに、想はサンドイッチを落としそうになった。ここでその質問?と想が困っていると、スノーは笑って指に垂れたドレッシングを舐めとった。

「俺はね、テストの問題を教師のパソコンからごっそり貰ったよ。あと、すごい金持ちのイヤな著名人たちの口座から、毎日10ドルずつ募金て事で勝手に貰ってた。あと、色んな情報を覗き見して……」

 スノーが話す悪いことは、どれも悪戯のように思わせる話し方でどこか可愛い。やっていることは悪いのに、想は笑ってしまった。

「イジメの仕返しに、いじめっ子たちの親を犯罪者の情報とすり替えて逮捕させたりした。まぁ、しばらくしてちゃんと戻してやったけど、ざまぁみろって思ったよ」

 殴られても殴り返せ無かった。意地悪をされても仕返すことも出来ない無力な子供時代。それでもやられっぱなしは駄目だろと、スノーに教えたのはギロアと新堂だと言う。スノーは小さな悪事を積み重ね、何度か逮捕もされたと話した。

「でもさ、なんて言うか……いつか自分がしたことを償うとき?みたいなのが来るよね……。大学生の頃は何でも屋みたいな事でお金貰ってた。多い依頼は内緒で他人の仕返しを代わりにしてあげる事」

 スノーは、珍しく想の目を見ることが出来ずに山になっているサンドイッチを凝視していた。たくさん喋ってしまうのは誤魔化したい事があるから。
 想をジズ・ウィンレンスの船から助けるための条件で、新堂は日本に帰れない。それを知らない想。スノーはどうにかしてやりたいのにどうも出来ない事に唇を噛んだ。これが『いつかの償い』なら、最低だと俯く。
 それを伝えたとしても、ギロアに内緒で出国させることが出来たとしても、ギロアがどうなってしまうか怖い。彼はチームの小隊長でも組織の中では従う側の立場だ。

「ソウって何者?なんで俺、こんなに悩んでるんだろう」
「えっと……?」

 まだ僅かしか交わした言葉もない上に相手のこともよくわからない。なのに、何故か想の力になりたくなっているスノーは自身が謎だった。
 スノーはじぃっと不思議な雰囲気の想を見つめた。









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