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 スノーが食品をしまって想の様子を見に戻ると、新堂の足元に膝を抱えて座っている。古い簡易椅子を持ってそばに行くと、想は顔を上げた。

「腰痛くない?ほら、椅子あるよ」
「ありがとうございます。大丈夫です」

 正直、散々好き勝手された身体は痛かったが、椅子に座るなど申し訳無いと想は首を振った。そして、出来る限りそばに居て、新堂を感じていたかった想にとっては床に座る方が身を寄せやすい。
 スノーは苦笑いして持っていた椅子を置く。そこに自分が座って、想の髪を触った。血が着いて少し絡まっている。
 新堂が身体を綺麗にしていたが、髪まで気が回っていなかったのかと思うと驚きだった。
 そしてなにより、想の様子に驚いていた。右手を抉られレイプされ、殺されかけた割に普通だった。話せるようになった彼は、どこか畏まっていたが、まったく怯えたり怖がったりしていない。

「あ……あの……」
「ん?」

 何も言わず、座っているスノーを見上げた想は言葉を選べずに続きが出て来ない。
 スノーは気にした様子もなく、血が固まった毛束をぐりぐりと指の腹でなんとかしようとしていた。
 想は結局何から話せばいいか整理が付かず、唇を噤んだ。

「……ね、ソウ。最初に会ったときより壁を感じるのはヤダなぁ……」

 せっかくお話しできるのに、と悲しそうに笑うスノーを見て、想は小さく頷いた。

「……アリスは捕まりましたか?」
「え!?」
「え?」

 聞き返された想が意表を突かれてポカンとする。
 想の髪を摘んだまま、スノーは驚いた表情で固まる。

「すみません、変なこと聞いて」

 想がぱっと俯いていて口元を手の甲で隠した。いけないことを聞いてしまったと感じて。スノーはアリスが悪い組織の人間だと知らなかったとすれば軽率な質問だと今更思った。

「ソウ、アリスを知ってるの……?」

 俯いたまま曖昧に頷くと、スノーは顔を青くし、椅子から降りて想の頭を胸に抱いた。
 今度は想が固まり、どうしたことかとスノーの背中を指先でつついた。

「ごめんね!俺の所為でソウがこんな目に……っアリスのこと見抜けなくて……!悪いヤツだったのに……」

 力強く想を抱き締めて謝るスノーは声が震えていた。
 彼に責任は無い。想は静かに目を閉じて、そっと背中を撫でた。

「俺自身が悪いんです。アリスは……謝ってました。悪かったって、スノーに伝えてって。絶対、言う事を聞くなんて嫌だと思ったけど……」

 想は船でアリスに匿われていた子供たちや、ヘイラルから守ろうとしてくれた彼を思い出し、安否を気にするように目を伏せた。

「誘拐された子供たちもアリスを怖がっていなかったし、俺も助けられました。逃げられたかな……」
「……それ、本当?」

 スノーが身体を少し離して想の顔を覗く。それだけでは足りないと言わんばかりに、手で優しく頬を包んで顔を上げさせた。
 遠慮なく見つめてくるスノーの真っ直ぐ視線に、想は照れてしまい視線を下げた。

「そ、その……俺が昔、恨みを買ってしまった人間があの中にいたようで、そいつが俺を拉致したんだと思います」
「俺の代わりに連れて行ったんだ!?」

 想は何も言わなかったが、スノーは確信した。唇を噛むスノーの口元に想が指を宛てて首を横に振る。

「だから、俺がいけませんでした。大変な迷惑をかけて……どうしたらいいか分からないです」
「……どうすることもない」

 不意に想の頭に乗った手が優しく髪を撫でた。
 新堂が目を閉じたまま手を想に伸ばしている。

「新堂さんっ!!」

 想はスノーの手から抜け、膝をついて新堂の顔を覗くように見上げた。
 スノーも彼の様子を不安そうに見つめている。

「しんどうさん……ね」

 この口がまたそれか、と新堂が想の顎を持ち上げ、それに伴い想が顔を近づけたが、想は慌てて自分の口を押さえた。

「……どうしたの?キスしてハグでしょ」

 スノーは首を傾げて二人をじっと見つめた。他人はそんなスノーの行動を嫌がるが、新堂は慣れていた。それより、想の意外な行動に眉を顰める。

「お、俺……ヤバそうな奴に……その、されたから」

 暗に病気などを心配しての行動だったが、新堂は鼻で笑うと想の襟足を乱暴に掴んで無理矢理引き寄せた。
 強引に唇を重ねられ、想が驚きで目も閉じれずに固まっていると新堂の舌が想の引き結んである唇を舐めた。

「あんな仕事してる奴が病気持ちの人間と性行すると思ってんのか」

 『普通の人間よりもよっぽど敏感だ』と囁く。髪を放した新堂の言葉に想が戸惑っていると、左腕を新堂の指先が撫でた。
 想がそれに視線をやると、彼の口元が緩んだ。

「採血された跡があった」

 血液型を言われた事を思い出す。
 未だに戸惑っている様子にスノーが笑う。

「レンはさ、そういう仕事してたんだよ?どーんな小さな痕だって見つけるよ。それに、たとえソウが腐乱死体でもレンはキスするね。絶対。大変だね、レンに捕まっちゃって」

 恐ろしいことを笑顔で言うスノーに、想が呆然としていると新堂の手が再び後頭部へ手を回した。

「俺は眠気が凄くて動きたくない」

 目を閉じたまま言う新堂に、想は立ち上がって少し屈んだ。一瞬、唇が触れると、直ぐに噛みつくように求められた。想は慌てて椅子の肘掛けに手を着く。

「新堂さんも止めろ。最近はずっと名前だったろ」

 キスの合間に早口に言われた想が話そうとしたが、それは許されず再び唇を塞がれる。
 声が聞こえなくとも、自分の声は届いていたと思うと胸がぎゅっとなった。想は乱れた息を整えよとしたが、逃げられないように襟足はしっかり掴まれている。息遣いと小さな水音が漏れ、想は夢中でキスに応えた。

「ん、……っ、れ、ん……」

 大好きな人の温度。匂い。触れ方。全てが想を昂らせる。微かに涙が滲み、本当にこの人の元に戻れた事を実感していた。
 怪我人の彼に抱き付けないもどかしさから、肘掛けに置いた手の指先に力が籠もる。
 スノーはふたりへ優しい眼差しを残してそっとその場から離れた。
 キッチンに入ると、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。

「……そっかぁ」

 キャップを空けて透明な液体を見つめた。
 アリスがスノー自身を騙していたことはショックだったが、想を多少庇っていたようだ。想の優しさかもしれないと思ったが、船から逃げるときに狙われて新堂が撃たれた時もアリスは仲間を撃った。自分が標的になるような位置からなのに。
 スノーは薄く微笑み、目を閉じて呟いた。

「さよならアリス。ありがと……」

 例え演技だったとしても、楽しいひとときだった。スノーのスキンシップを変に思わず、つい数字を夢中で追ってしまうことにも気を止めず、見つめて真意を探りたくなる性格も嫌がらなかった。
 ギロアや新堂以外にそこまで受け入れて貰えたことが嬉しかった。
 スノーはペットボトルに口を付けると一口飲んだだけですぐにシンクへ置いた。朝の海に落ちるアリスが思い浮かんで、スノーは我慢出来ずに嗚咽を漏らしなが両手で顔を覆って泣いた。
 少しして、想はキッチンの入り口で壁に背中を預けたまま入れずに床の木目を見つめた。
 新堂に水を持って行くために来たが、スノーの泣いている姿に、それ以上足を進めることができない。
 アリスは無事ではないかもしれないと想は感じていた。






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