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「ただいまぁ……おばちゃん、俺ね、黄色い箱のイースト菌ての分からなかっ……た」

 お昼を過ぎた頃、紙袋を抱えて部屋に入ってきたスノーは、新堂の足元に座り込んでいる想を見つけて駆け寄った。途中、立ったままのギロアに紙袋を押し付けて、座っている想の背中に抱きついた。

「ソウ!」
「っカザンスさん……?」
「スノーでいいよ!ううっ、よかった!本当に…っ!丸1日以上起きないからっ……俺心配で!」

 涙声で、ぎゅっと抱き締める腕に想は優しく触れた。未だに状況を把握し切れていないが、此処は安全だと分かる。

「お袋、スノーが帰ってきたから俺仕事に戻るわ。もう少しこいつら置いてやってくれ」

 スノーから押し付けられた紙袋を机に置き、ギロアは腕時計を確認してジャケットを羽織った。未だに床に座り込んで想を抱きしめるスノーの頭を撫でて、ギロアは想の頭もポンと叩いた。

「ソウだっけ。お前、そんな奴といると、とことん堕ちるぞ。まだ若いんだから……」
「ギロア!レンのことそんな風に言わないでよ」

 スノーに反論されたギロアは、やれやれと両手をあげてみせる。
 ギロアには想がはどんな人間かも分からない。だが、新堂が様々な手の中から『法』を取った時点でどれほど深い仲か想像は出来た。
 時間をかけている暇は無く、且つ成功率の高い方法だっただろう。
 ジズ・ウィンレンスを連行し、思ったより多くの子供を助け出した。病気になっていたり、薬物中毒で自分自身も分かっていない若者たちも時間を掛ければ社会復帰を見込めた。何千万ドル分の薬物と、結果的には上層部も、まぁ良しとしてくれたが、あの数時間は目まぐるしいものだった。
 ギロアがそんな事を考えていると、想の怒りを含む声が聞こえて顔を上げた。

「……みんな、どうして新堂さんを悪い人にするんですか。どう考えたって、もっと悪い奴らがたくさんいるのに……ッ」
「……分かってるよ。悪かった。レンのこと、頼む」

 必死な様子を見てギロアはすぐに眉尻を下げて謝った。
 想は俯き、祖父の立花全にも同じ様なことを言われて腹立たしく感じたことを思い出す。『漣といるとロクなこたぁない』と。
 自分も極悪だと想はキツく目を閉じた。たくさんの人を痛めつけ、必要があれば殺した。
 自分の意志ではな分、尚更悪い気さえしている。今回のことで、それは強くなった。少し立場は違うが、ヘイラルのように想を恨んでいる人間はいるし、殺意を持たれていたら殺されても仕方がない。
 確かに新堂は悪かもしれないが、彼は自分の意思で行動している。流されたりしない。そんな風になれたら、と思う。
 それぞれが沈黙した時、リビアの大きなため息が響いた。
 
「ふう、ケイナンは早く仕事に行きなさい。スノー、買ってきたものをしまって。坊やは点滴し直すからあっちの部屋に戻りなさい」

 全員が言われて渋々動き出し、想は車椅子に続いて先程の部屋に戻った。
 ソファに座るように言われて、大人しく従うと包帯の巻かれた右手に指先が触れた。
 俯いていた想が顔を上げると、女性は優しい顔で想を見た。

「安心して、わたしはリビアよ。レンはわたしの教え子で助手だった。いい腕でしょ」

 トントンと包帯を指で叩いた。
 新堂が縫ったに違いない。
 そのまま、新しい点滴針を取り出して想の血管を探しながら、リビアは大きく溜め息をした。

「あの子、貧乏学生で色んなバイトをしながら勉強してたわ。わたしに紹介が来てから、優秀だし熱心だったから助手として住み込みで働かせてやったの」

 政府機関からの依頼で死体を相手にする仕事だとリビアは言った。検視官として事件現場に赴き状況を確認、その後は検死という流れでリビアは基本、州警察に属していた。住み込みで働き、学校に通っていた新堂がリビアの息子であるギロアと仲良くなるのは自然で、ギロアとスノーは向かいの家に住む幼い頃からの知り合いだった。
 そこでギロアはレンをスノーに引き合わせる形となった。
 母親以外、ギロアをケイナンと呼ばないのは小学校からずっと、ケイナンという学校一の可愛い女の子と同じ名前だった為、全ての人が彼をギロアと呼んでいた。

「三人での付き合いは精々数年なのに、子供から大人になる時期だったからかしら……今でも付き合いが深いみたい」

 だからそんなに警戒しないでいいのよ、と微笑まれ、想は曖昧に微笑み返した。
 全く知らない事だった。

「あの、点滴持って……彼のそばにいてもいいですか?」

 リビアは頷き、想の様子を見つめた。彼は自分に起きた悲惨な出来事ではなく、新堂の事ばかり。それが良いのか悪いのか、リビアは言葉に詰まった。

「……あなた、本当にレンが好きなのね」

 リビアの呟きは想に届かないほど小さなものだった。『好きが過ぎると自分や周りが見えなくなる』。そうはなってほしくない……と想の背中を見つめた。
 リビアは頷き、想は逃げるように点滴を持って隣の部屋へ移動すると、新堂の足元に座り込む。
 少し顔を上げると静かに眠る新堂がいた。普段は軽く後ろに流している髪が垂れて、少し若く見える。
 新堂がどんな風に生きてきたか、知らなくてもいいと思っていたのに、全くの知らない人から聞かされると少し空しい気持ちにった。
 想は自分からは話さない新堂の足に頭を寄せた。

「……ごめんなさい……」

 想は涙が滲むのを耐えながら膝を抱えて顔を埋めた。新堂と一緒に居たいと思いながら、結局迷惑を掛けた。ホテルの権利について取引していないであって欲しい。自分なんかの為に、新堂や周りが何かを失っては欲しくないと思っていた。
 リビアも、まるで家族のように新堂のことを話していた。命に関わらずとも、撃たれたとなれば心配したはずだ。
 ジズ・ウィンレンスに肩を掴まれ、逃げ場のない場所で溺れるような恐怖が足先から這い上がってくる。
 想は誰に言う出もなく、もう一度謝罪の言葉を呟いた。







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