66


 

 数年前、まだ想が前・岡崎組組長の北川に無理やり参加させられた香港での一夜。
 金持ちの悪趣味な催し物でヘイラルと勝負をした。ひとりの男を、殺さないように交代でナイフで刺していく。殺してしまった方が負けと言うシンプルなゲーム。
 飛び出す海賊のおもちゃを連想させそうなそれに、想は勝った。
 責問役として人間の身体を学んできた想には、痛みが少なく出血も多くない箇所を選べた。
 まだ子どものような容姿の想が、軍人のようなヘイラルに勝つ事などないと賭けていた金持ち達からのブーイングの嵐が耳に甦る。罵詈雑言が降り注ぐ。
 想は閉じていた目にぎゅっと力を込めて歯を食いしばった。好き勝手された顎が痛み、余計に気持ちが沈む。
 主催者は大穴だった想を物凄く賞賛し、北川を評価していた。
 帰る船の中で想は、二度とこんな事はしたくないと北川に泣いて頭を下げたことを思い出す。人前で、余興として人を殺した自分を消してしまいたくなった。
 『負けたら春をバラして臓器を売る』と言われ、その場を上手く乗り切ったところで結果はヘイラルの恨みを買っただけだったようだ。

『かえりたい』

 想は思い出したくなかった記憶の浮上に、弱音を呟いて壁に顔を擦り付けた。
 ヘイラルの言葉は本物だと思う。送りつける家族が無いと知れば海に捨てられても可笑しくない。せめて死んでも新堂の元に帰りたかった。
 想は島津から貰ったツバメの模様を思い浮かべる。ツバメは縁起がいいと新堂が言っていた。また戻ってくると。
 新堂が好きだ。島津と蔵元も。若林も。中野も。凌雅も。三咲も。少しずつ増える、人との繋がりを失いたくないと思うと涙が滲む。
 もう、二度と会えない双子の春。母と父。失った悲しみを、大切な人に感じさせたくない。

『あきらめない』

 想はダメだとしても諦めるのは嫌だと、眉をつり上げた。
 壁を利用して立ち上がり、広いが荷物で狭苦しく感じる倉庫のようなこの場所を奥へ進み始めた。
 何かこの拘束を切るものはないか探す。箱には全て南京錠が掛けてあり、中身は利用できそうになかったが、幸い釘で止めてある木製の箱が幾つかあった。釘の打ち損ないがないか、想は懸命に探した。









 紙コップのコーヒーはすっか冷めていたが、ケイナン・ギロアフラムは気にした様子もなくそれを飲み干してカップを握り潰した。
 上背が190超えそうなギロアは衣服を身につけていても、手強そうに見える男だ。
 事実、長距離射撃に加えて闘拳に関して彼の周りに彼より秀でた者はいない。血の気の多い地域で育ったギロアの特長だった。

「俺は力になれねぇな。ジズ・ウィンレンスは取引で『悪事をしない限り国内での逮捕はしない』ことになってんだ」
「絶対悪事してるから!!」
「スノー。見てもいない……証拠もない……つまり『絶対』じゃねぇだろが」

 デコピンをかまされたスノーが目を閉じ、額を抑えて新堂の後ろに隠れた。

「港に停泊している中型の船で恐らくは未成年に売春させているだろう。違法薬物も大量に積んでいる」
「そんなしょっぱい『悪事』じゃ無理だね」
「誘拐は?」

 ギロアの眉根が寄って、安いホテルのボロいゴミ箱へ潰れた紙コップを投げ入ながら先を促すように視線を強めた。
 新堂はここ数日の誘拐被害登録をギロアに見せた。近隣の子供だけで10件近い。大した数ではないように思えるが、まだ幼く、家出の類ではないことは明白だった。

「お前たちはジズ・ウィンレンスの更にもっとデカいのを捕まえたいんだろ」

 新堂の言葉にギロアは信じられないといった表情で、言葉に詰まった。
 だが、新堂の後ろに隠れるスノーに、知りたいと思って知ることが出来ないのは人の心の中とアナログな世界の情報だけ……と知るギロアは驚きから怒りに表情を変えた。

「……なる程、スノーお前だな!……ハッキングして覗いたんだろ!?逮捕してやる!レン!おまえもだ!俺には回ってこねぇだろうが、ホテルでの射殺死体はお前だろ、話の流れ的にな!」
「ちょ、ちょっと!証拠ないでしょっ」

 慌ててスノーが否定すると、ギロアは手錠を取り出してちらつかせた。
 新堂は呆れたように瞼を伏せた。
 すっかり縮まったスノーにギロアがため息をして手錠をしまう。

「ギロア。ジズ・ウィンレンスは誘拐した子供をその黒幕組織へ連れて行くはずた。中東の、組織名は……」
「言うな!……わかった。それが本当で、その船に実際、子どもたちがいるなら俺は動く。部隊を配置してやれる」

 それを聞いてスノーが新堂の背中から飛び出した。長身なスノーはベッドに躓いてよろけながらタッチスクリーンをギロアに見せる。そこには様々な角度からの防犯映像があり、どれも同じ車が子供をあっという間に乗せていた。

「……これは……被害者の家の周りのカメラは全てチェックしたのに、どうしてだ」
「奴らもカメラに堂々と姿は見せないだろう。だが窓やガラス、近所の車のボディとか反射しているものを集めた。画質は悪いが、映ったようだ」

 エッヘン!とスノーが胸を張る。
 ギロアが呆れて再びデコピンをかますと、スノーは額を押さえてうずくまった。

「船の目星も?」
「もちろんだ」
「……上に話してまた連絡する。これらの証拠は貰ってくからな!それと……スノーは二度と足枷を外すな。次はねぇぞ」

 今回は誤作動にしてやる、とギロアは新しい足枷をスノーへ装着し、うるさい上司からの言いつけ通り設定を終わらせると上着を羽織って部屋を出て行った。

「レン、ソウもその船にいるかな……」
「いてもらわないと困る」

 新堂が無感情にパソコンに映る車を見つめて低く絞り出した声に、スノーは微かに寒気を覚えた。彼が怒るときはいつも静かだ。出会った頃はいつもそんな様子だった事を思い出す。
 久しぶりに会い、柔らかくなった新堂を見たスノーは彼にとって想は大切なんだとすぐに分かった。
 無事に連れ戻したい。
 ただそれだけを考えて、スノーは悲しげに眉根を寄せたまま新堂の顎へ手を伸ばし、そっとくすぐった。









text top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -