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 初めてまともに働いた想は疲れている様子でソファに身を預けるとすぐに目を閉じた。
 まだ自覚は無いが、多くの人と接することは想にとってかなりのストレスだった。声で伝えられないもどかしさや不便さに精神的にも疲れる。
 深く静かに漏れるため息と一緒に自然と瞼が降りてくる。途端、ソファに投げ捨ててあった携帯電話が震えだす。

『でんわ』

 ダルそうに携帯電話を耳当てる。聞こえた声に口元を緩ませた想は答える為にマイク部分を指で叩く。イエスかノーの答えしか出来ず、無意識に動いている想の唇を見ていた若林が小さく笑った。

「新堂?」
『うん』

 何度も頷いた想に笑顔を返し、若林は視線をパソコンに戻した。
 ほんの数分して通話を終えた想がソファに横になり、動かなくなる。若林が大判のブランケットを想に掛けてやると、ぱっちりと開いた両眼と目が合い、驚いた様子で小さく言った。

「起きてたのか」

 想の視線が泳ぎ、ブランケットを頭まで被った。若林がソファに無理やり割り込み、横になっていた想は若林の膝に頭を置く形になる。

「新堂が恋しくなったか?女の声でもした?」

 ブランケットの上から強いくらいに背中を叩かれる。一定のリズムで、子供を寝かしつけるように。想は答えなかったが、若林は小さく笑ってリズムを続けた。

「アイツはお前裏切ったりしねぇから安心しろよ。俺が言うんだから間違いねぇ」

 想自信もそう思う。
 確かに電話越しに女性の声がした。ミッシェル・リリックにしては若い声。声の主は新堂を呼び、『時間がないから早く』と急かしていた。
 謎過ぎてどうしようもなかった。聞こうにも聞けず、考えても答えはない。しばらく二人、黙ってそうしていたが、想は少し顔を出すと若林にパソコンを指差して見せた。

『せまい』
「退けってか?!かわいくねぇな!」

 ペシっと額を叩かれて目を瞑った想の頭を撫でて、文句を垂れながら若林がソファを立つ。
 想は若林のスラックスの端を指先で摘み、気付いて振り向いた若林に『おやすみ』と伝えた。

「おー、ガキはとっとと寝ろ」

 子供じゃない……と頭をかすめたが、素直に頷いて目を瞑る。いつもと違う状況に、すぐには眠れなかったが、若林のキーを叩く音は新堂のそれと違う事を新たに発見しながら緩やかに眠りに落ちた。









 仕事の二日目も早くに上がらされた。ケーキが全て売り切れる事はよくあるようで、コーヒーの提供だけならば一人で十分だと三咲は言った。

「想君は人当たりがよくて、雇って正解だったかな。大分コミニケーションも上手くなってるんじゃない」

 普段そっけない三咲に誉められると、想は照れた様子で頭を下げた。
 店を出ようとした想が、ガラス扉越に人陰を見つけて扉を開いて客を中へ促す。凌雅だった。
 視線が合って、慌てて想は深く頭を下げた。驚いた凌雅が慌てて顔を上げさせる。

「そんなかしこまっちゃ嫌だし!肩叩いて『ご苦労さん』でいいよ、マジで」

 凌雅の言い方に想は激しく拒否を示し、カウンターの向こうで二人を見ている三咲の方へ凌雅の背中を押した。

「いらっしゃいませ。もうケーキはないですよ。コーヒーはいかがですか?」
「三咲さん今日も素敵だ。えーっと、コーヒー二つお願い。有沢君の」
『え』
「これから社長のお迎えだから、一緒に行こうよ。島津に迎え頼んでないって聞いたから俺が来た訳」
「……どうぞ」

 コーヒーをテイクアウトで作った三咲が差し出す。凌雅が財布を出そうとしたとき、三咲が制した。

「え!?まさかついに三咲さんが俺に……っ」
「想君の奢り。給料から引いとく」

 ね?と三咲にウインクされた想がはっとして、慌てて首を縦に振った。
 実際、三咲の奢りなのだが、凌雅に変な気を持たせないためにもそう言った。
 凌雅のアピールは三咲には迷惑なものだった。恋愛はこりごり、という大失恋もあり、三咲は他人からの恋愛的な好意は受け入れ難い。三咲は小さく溜め息を零して二人を見送り、アイスコーヒー用のグラスを磨き始めた。









「『想君』て呼ばれてんだ。羨ましい…俺なんて未だに『柴谷さん』だよ」

 あーあ……とうなだれながら凌雅は車を飛ばした。近場の空港の方角ではないため、不思議に思いながらコーヒーを飲んでいた想はなんとも答えられず苦笑いしか出来ずにいた。
 それを察した凌雅は慌てて謝り話題を変えようとする。
 本当だったら考えや励ましを伝えたかったが、想にその術は現在無い。申し訳なく思いながら、凌雅の肩を叩いて『がんばれ』とポーズを取ってみせる。本心だ。三咲の気持ちは分からないが、凌雅の思いが届けばいいと想は思っている。

「ありがとね」

 凌雅の笑顔はとても愛着のわくもので、想も自然と笑顔を返した。
 2時間ほど走って都心から離れると、ゴルフ場のような広い敷地と建物が数棟。大きな門は閉じていたが、自動で開いた。少し進むと周りは草木に覆われた感じのする場所に入っていた。暫くして凌雅は大きく曲がった。

「この辺り……あ!あそこかな」

 広い敷地の奥には少し小さめの滑走路と、倉庫が並んでいる。想は少し速まる胸を押さえて空の方を見上げた。










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