崩壊


「…お前、ほんっと…っ強情…だな…っ」
「ご…っ強情で、良い…もん…!」

ぐぐ、と彼はベッドの傍らに座っている私を押し倒そうとしてくる。それに抵抗する形で私自身も彼の身体を押した。
長期戦になっても諦めないと宣言した通り、彼はあれからかなりの時間が経っているというのに次第に来なくなるとか、そういう事は全く無かった。これだけ拒否の姿勢を崩さなければ諦めるんじゃないかといった目論見は外れたようだ。寧ろそれとは正反対で、かなり頻繁にエレンは私の元へと来ている。こんなに頻繁に来られても私の身体が持たないと云うのに。この底無しの性欲もインキュバスで在るが故か。
そんなこんなで色々な意味でエレンを完全に受け入れる事は無く、ただの一度だって折れた事は無かった。内心では受け入れていても、やはり諸々の事情で素直になれなかった所為である。けれど強情だと自分自身で口に出しているあたり、少し拒否の姿勢も崩れているのだろう。また、それがただ一つの抵抗の言葉でもあった。
彼を拒否するのはただ非常識な出会いだったという事だけである。エレンの事が嫌いという訳ではないし寧ろ好き、だと思う。つまりは彼を拒否しているというより、言わば彼を受け入れたいと思っている私の心を拒否しているのだ。だからこそ他に拒否の言葉が出て来ない。彼自体を拒否している訳では無いのだから。

「ずっと抵抗するのも疲れないか?」

そう言ってエレンは彼の身体を押していた私の手をいとも容易く抑え、そのままベッドに倒れ込む。ぽすんと一瞬ベッドに身体が沈み、その弾みでぎゅっと目蓋を瞑った。そして彼の手が逃がさないとでも言うように私の頭の横へと置かれる。慣れた手つきでもう片方の手を私の頬に滑らせて、誘うように彼の指が唇をなぞった。

「…疲れるのは、エレンがこうも来るからでしょ」
「お前ほんと口減らねえな」
「エレンの強引さもほんと変わんない」

エレンはふにふにと唇の柔らかさを確かめるように触り、その感覚を受けて私の口が微かに開く。唇に触れる熱と彼の指の感触、それが身体の中心の熱を緩やかに上げて、無意識に近い形で。それにちょっとした反感を持つが、口が開いても声を漏らす事は無かった。
殆ど突っぱねるような言葉を返しているのに、エレンが言うように口が減らないのに、それでも来てくれる。それが嬉しく無いなんて事は無い。だからこそ時々強がりの言葉が出なくなってしまい、抵抗が弱まってしまう訳で。今がそんな感じで、だからこの関係は途切れる事無く続いているのだろうか。
下手な駆け引きのつもりは毛頭無いが、諸々の事情を跳ね退ければこれが私の望んだ事に変わりなかった。駄目だと思いつつも実際は嬉しくて、嬉しいけれどもやはり駄目だと理性が待ったを掛ける。それを思うと先程エレンが言った「ずっと抵抗するのも疲れないか?」の一言が、単純に力比べの押し合いなのか、それとも精神的な事を言ってるのか。そう疑問を覚えても、それを推し量る事は出来なかった。

「…でも嫌いじゃないだろ?」
「きら…っ。う…、嫌い…って言う程でも、無い…けど」

こんなに近くで、はっきりと嫌いと言うなんて出来ない。この余裕が透けて見える顔はきっと好意的な返しが来ると踏んでだろう。狡い、狡いけれど、それすらも嫌いではない。そう理解すれば頬に熱が灯り、それを誤魔化すように視線をエレンからずらす。すると私の顔のすぐ近くに置かれたエレンの手が視界に入った。
それにはっとし、すっかり弱まってしまった抵抗の意を奮い立たせるようにエレンを睨むが、じっと見ているのも何故だか恥ずかしくなって目を逸らす。駄目だ、一度弱るとどうしてもそれから意志は下降していくばかり。

「…でっ、でも…、やっぱり…」

それでもなんとか出た言葉は、何の意味も為さない言葉だった。確定的な単語を避けて相手に意思を汲んで貰おうなんて、狡いのはどっちだろうか。結局の所私の優柔不断さが招いた結果でもあるのだろう。いっその事、エレンを完全に受け入れる事が私に出来れば、こんな悩みなんて完全に無くなるのだろうが。

「…やっぱり?」
「や、やっぱり…、その…っ」

その続きは、出て来なかった。やっぱり心の奥底では、この関係を終わらせるなんてしたくないのだ。だけど素直になるなんて出来なくて、この気持ちだけがループしている。分かっているのに理解したくないのだ。

「…その、えっと…」

彼の真っ直ぐな瞳を見つめれば、拒否の言葉を考える事さえ出来なくなってしまう。どうしたら良いかなんて、考えられなくなってしまう。まるで子供が駄々をこねるみたいに理由を言わずに、ただ私の気持ちを伝えるように声を出すだけ。それを繰り返していればどうなるかなんて薄々分かっている筈なのに。私はエレンが次の行動を起こすまで、口を噤むしか無かった。

「…なあ」

私の頭の横に置かれた手、その指の先に力が入りシーツに皺を作る。行き場の無い気持ちを無機物にぶつけるみたいにそうして、エレンは軽く距離を詰め真剣な面持ちで言葉を紡いだ。

「どうすれば俺を受け入れてくれるんだ?」
「う、受け入れては…その…」
「俺はインキュバスだから、どうせその程度の気持ちだって思ってるんだろうけど」

本当はずっと前から受け入れてる、なんて簡単に言える筈が無かった。彼の真剣な表情に応えたいけれど、そんな単純な思考回路をしていない私には、今は無理だった。

「…本気、だからな」

そんな顔で、そんな真剣な目で言われて落ちない女が居るだろうか。エレンの事を好きならば尚更。不覚にも高鳴った胸の鼓動を聴かれたくなくて、顔を反らしながら彼の胸板を押した。

「…おい、押すなよ」
「ち、近いから…っ、一度、離れて…っ」
「押すな…って」

途端に彼の手が私の顎を捕らえ、顔を向き直される。部屋の微かな灯りが私とエレンの顔を照らし、彼の瞳に私が映った。その瞬間エレンは真剣な表情から一転し、勝ち誇ったような、もしくは楽しんでいるような笑みを見せる。そのいきなりの表情の変化が良く分からずエレンの様子を窺うようにじっとしていると、ゆっくりとエレンが口を開いた。

「…やっぱり、嫌いじゃない…て言うか、寧ろ好きだろ?」
「なっ、なんで…っ」
「顔、赤くなってるぞ」
「…っ」

顔が赤くなってるなんて気付かなくて、寧ろ顔が赤くなっていたとしてもこの暗さだ。気付かれないだろう、そう思っていたがインキュバスという夜に生きる者だからか、夜目はかなり利くようだ。
全く予想外の出来事に何も言う事が出来ず、エレンから目も逸らせないで居るとずいっと瞳が近付いてくる。エレンを押していた手にはもう力なんて入っていない。簡単に許してしまった彼の行動にしまったと少しだけ思って、だけど近付いた彼の匂いにどきりとした気持ちの方が大きかった。

「…なあ」

さっきと同じトーンで、エレンが私に話し掛ける。

「俺がインキュバスなのは充分わかってるだろ?」
「…そりゃあ、勿論」

それこそが私を悩ませる元凶でもあるのだから。だがエレンはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、いや、逆にそれを分かってか、インキュバス故の事を言って退けた。

「俺、お前に受け入れて貰えないと死にそうなんだけど」

つまりは生きていく上で大切な、インキュバスにとっては食事と同列の精気を貰わないと生命活動に支障がある、という事だろう。でも、それなら。

「べ、別の人でも…」
「お前じゃなきゃ嫌だ」
「…う」
「散々お前が良いって言ってるだろ」

それは分かっている、分かっているのだが。

「…お前とじゃないと、嫌だ」

だけど、その微かに懇願を滲ませた声色に、肯定以外の言葉を言う事は出来なかった。

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