素直じゃない

くらり、眩暈がする。
身体は無重力空間にでも放り出されてしまったかのように、重力を忘れてゆらゆら身体が揺らめいているような感覚。
正直言って仕事に集中なんてできないくらい、気持ちが悪い。
でもこのくらいで休みを取らせて下さいなんて、甘えと取られるだろうか。
机の上に肘を就いて、頭を支える。
暫くしたら少しマシになり、やはりちょっとだけ横にならせて貰おうかと席を立つと、ふらっと身体から力が抜け視界が暗くなった。
あ、やばいと認識した時にはもう既に遅い。
盛大な音を立てて椅子を倒し、何かに縋ろうと勝手に動いたのであろう手が目の前にあった書類を掴んで、宙を舞う。
頭を床とぶつけて、混濁した意識の中で鈍い痛みを感じた。
目を開けている筈なのに視界は暗くて、目の前がどうなっているのかが全く解らない。
遠くから声が聞こえて、そっちに意識を持たせようとするが、それも良く解らない。
ふわりと身体が浮くような感覚がして、さっきよりも近くで声が聞こえた。

「リル?リル!?大丈夫!?」

目の前を何かが行き来している。
少しずつ視界が明るくなっていって、初めに認識出来たのはハンジさんの手だった。
恐らく意識があるかどうか確認したかったのだろう。
いきなり声は出なかったのでゆっくり瞬きをして意識がある事を伝える。

「…どうしたの?」

ぐい、とまた身体が浮いたような感覚がして、視線を散りばめると、ハンジさんが私を抱き起こしてくれたのだという事が解った。

「…ちょっと、眩暈がして…」

少し身体に力が戻ってきて、床に置いた手に力を入れて自身を支える。
だけどまともに自分を支える事は叶わなくて、がくんと肘が折れて身体が傾いた。
ハンジさんはそんな私の肩を慌てて掴んで、引き寄せる。

「わ…っ、ちょ、リル、無理しなくて良いから」
「…すみません…」

駄目だ。
思ったように身体に力が入らなくて、良かれと思ってやった事が逆にハンジさんの手を煩わせる事になってしまった。

「大丈夫?もう今日は休んだ方が良いんじゃない?」

本音だったらまだ頑張りたいが、この状態ではまともに仕事をやり遂げるのは無理だろう。
此処は素直に好意に甘える事にした。

「…はい、迷惑掛けてすみません…」
「迷惑じゃないよ〜。無理してやっても仕事の効率は上がらないんだし、元気になってから頑張れば良いじゃない」

そう言って軽やかに笑うハンジさんは私の頭を撫でて、子供を慰めるみたいに柔らかく接してくれた。
触れた手のひらは温かくて、なんて優しいんだろうと頭の中で思った。

「んー、リヴァイ?リルを部屋まで連れて行ってくれないかな?」

だけど一瞬、その思いは消えて無くなった。
まさか、人類最強と持て囃されるリヴァイ兵長に私を運ばせると言うのか。
確かにリヴァイ兵長には憧れていて、少し喜んだりもしたけれど、二人きりになった途端間が保たなくなるだろう。
気まずい雰囲気を何分かでも味わうとなると、少し緊張する。

「ああ?ハンジ、お前が運べば良いだろう」
「私は此処の片付けやるから、宜しくね〜」

まるで返事など無かった、もしくは聞いていないかのように華麗にスルーして、私をリヴァイ兵長に預けた。

「…おい」
「じゃあ、リルお大事にね」

ああ、駄目だ、心臓が爆発しそう。
私の身体はリヴァイ兵長に抱えられていて、ハンジさんは半ば強引にこの部屋から追い出した。思ったより密着度が高くて、鼓動の音が聞こえてしまうのではないかと気が気でない。
只でさえ緊張やら歓喜やらの感情で何時もより激しく鼓動を刻んでいると云うのに。
ちらり、と恐る恐るリヴァイ兵長の顔を見上げてみると、何時もと変わりない無愛想な表情がそこにあった。

「…おい」
「はい…っ」

いきなり話し掛けられて、びくんと身体を震わせ上擦った声で返事をしてしまった。
あ、やらかした、と思ったが、リヴァイ兵長は気にとめずに話を続ける。
ちょっとだけほっとして、少し視線を下に落とした。

「お前の部屋は何処だ」
「あ…私の部屋はこの先の曲がり角を左に曲がって手前から二部屋目です…」
「そうか」

きちんと連れて行ってくれるのか。
ハンジさんに無理矢理押し付けられて申し訳ないと思いながらも、一度請け負った事は最後までやる律儀さに何故か可愛さを感じてしまう。
それと同時に、嬉しくも思ってしまう。
何も特別な感情が在るわけじゃない事、とっくに解っているのに。
私の部屋を聞いた後は何も会話らしい会話は非ず、こつん、こつん、と歩を進めるブーツの音だけが廊下に響いた。
落とした視線の先にはリヴァイ兵長のスカーフ。こんな至近距離で見たのは初めてだ。
綺麗好きのリヴァイ兵長の事だ、きっと何時も丁寧に洗ってるのだろうと容易に予想がつく程白くて、そういえば潔癖症じゃなかったのかと芋づる式に思い出した。

「…」

もしかして、顔に出さないだけで不快なのではと不安になって、再びリヴァイ兵長の顔を見上げる。
やっぱり表情は変わらず無愛想なままで、良く解らない。
何も簡単に言い出す事が出来なくて、酷く長く感じる時間を過ごした。
リヴァイ兵長から視線を離して向かっている方向を見ると、私の部屋の扉が視界に入る。
漸く、と思ってしまう程私の部屋までの道程が長く感じて、それと同時にやっとこの気まずさから解放される、と喜んだ。
だが私を抱きかかえている所為で両手が塞がっているリヴァイ兵長は、どうやってこの扉を開けるのだろう。
扉の前にたどり着くと、リヴァイ兵長は足を上げて、一瞬思案した後足を下ろした。
まさか蹴破るつもりだったのだろうか。
流石に女兵士の部屋の扉を蹴破る訳にはいかないと思ったのか、身体を少し傾けて器用に肘でドアノブを下ろし扉を開けた。

「…着いたぞ」
「…はい」リヴァイ兵長は私の部屋に入ると、ベッドの上に私を降ろした。
ぽすん、と自重でベッドに身体が沈む。

「それじゃあ、な」

リヴァイ兵長はそれだけ言って、この場を去ろうとした。
私は慌てて上体を起こしリヴァイ兵長を言葉で引き止める。

「あ…っ、ま、待って…下さい…」

まだお礼も何も言ってない。
だから引き止めようとしたが、待って、と口に出した所で引き止めて良かったのかと不安になって、最後は小さい声になってしまった。

「…どうした」

リヴァイ兵長は私の方を振り向いてくれて、少なくとも先程より機嫌が悪くなっている事は無いらしく、何時もと変わらない表情だ。
取り敢えず御礼を、と思ったが、それよりも気になる事があった。
失礼かもしれないが、不快にさせておいて謝りもしない事の方がよっぽど失礼じゃないかと自分に言い聞かせ、言葉を紡ぐ。

「…あの、リヴァイ兵長は潔癖症ですよね…?私に触れて、嫌じゃありませんでした…?」

私がそう言うと、暫しの沈黙が流れる。
何も返事が無い事が、こんなに不安を煽るとは知らなかった。
返事を待つ間、リヴァイ兵長をじっと見つめていると、兵長は視線を逸らしてこう言った。

「…そんな事は気にしなくて良い」

リヴァイ兵長が言った言葉は私を気遣ったのか、はぐらかす為なのか要点をきっぱりと言っていなくて、もやもやする。

「…もし、不快でしたら、すみませんでした。あと、部屋まで運んで頂いてありがとうございます」

もうどう喋ったら良いか解らなくて、謝罪の言葉と感謝の言葉を述べた。
もし本当に不快に思われてたらどうしよう。
返事を聞くのはやはり怖かったが、これから先悩むのだったらきっぱり言われた方がましなんじゃないのか、と思う。
ぎゅっと、怖さを紛らわす為に目を閉じた。
それから数秒の後、ブーツが床を踏む音が聞こえて、ああもうリヴァイ兵長は行ってしまわれるのか、と思った。
返事が無いまま、私にどういう気持ちを抱いたのか解らないまま。
こんな機会早々無いだろうに。
私には、リヴァイ兵長の真意を知る勇気は無かった。
ただ情けなく瞳をぎゅっと閉じて、リヴァイ兵長が立ち去るのを待つだけ。
もう少しでこの気持ちから解放されると思ったのに、静かな部屋にこつん、と再び足音が聞こえて、私のベッドに何か、重いものが乗り上げる。

「おい、目を開けろ」

私の耳元で、良く慣れた低い声が聞こえた。
その直ぐ後に額を叩かれて、反射的に瞳を開いてしまう。

「…リヴァイ兵長」

視界に広がるのは、リヴァイ兵長の顔。
私のベッドに、私の隣に、リヴァイ兵長が座っている。

「不快だったなんて、誰も言ってねえだろうが」
「へ…?」
「だから、そんなくだらない事気にすんじゃねえ」
「く、くだらない、ですか…」

私としてはかなり大事な事なのだが。
こんなに思慕している人に不快に思われていたら、立ち直れない。
その癖どう思われているのかが知りたいなんて、我ながら馬鹿だよなあと思う。

「ああ。そんなくだらねえ事悩むより早く身体を治せ」
「わ…っ」

肩を掴まれて、少し乱暴にベッドに上体を押しつけられた。
ベッドに身体が沈むとぽすっと空気が抜けたような音がして、自然と痛みに耐える為閉じていた目を開けようとすると、額に温かいものが触れる。
それがリヴァイ兵長の手だと解るのに、大して時間は掛からなかった。

「…ゆっくり休め」

頭の上に手を滑らせるようにして軽く撫でられ、直ぐにその手は離れていった。
リヴァイ兵長はベッドから立ち上がり扉まで規則的な足音を立て、ゆっくり離れていく。
その様を見ていたらリヴァイ兵長は扉の所で一旦止まり、思い出したように此方を振り向き口を開いた。

「もし不快だと思ったら次の瞬間手拭いの役目が果たされるだろうよ、リル」

その一言だけを残し、リヴァイ兵長は私の部屋から出て行き、扉が閉められた。
残されたのは、私一人。
先程のリヴァイ兵長の言葉を考えるが、どう考えたって自分に嬉しい結果にしかならない。
これは、期待とまではいかなくても、安心して良いんですよね。
そう言えば今日初めて名前を呼ばれたなあとか、凄く密着してたなあとか、嬉しい出来事ばかりに思わず顔がにやけてしまう。
そんな表情を隠すように未だ触られた感覚が残る額に手の平を重ね、伝わる熱に更に顔が綻んだ。

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