甘えの対象

※巡り巡るの続き


今より数年前の話だ。私はあの時もこれを買ってきて欲しいと渡されたメモを見ながら歩いていた。其処で道から外れた所に不意に視線をやると、時間が夕方だった為か広がる空は橙に染まっていて綺麗で、ついそれに引き寄せられるように道から逸れてしまう。そして斜面になっている所から下に降りようと足を踏み出した瞬間、何かに足を取られて転んでしまったのだ。

「ひゃ…っ、あ…っ」

一瞬何が起こったか分からずに、けれども身を守ろうと本能が感じたのか咄嗟に手を前に出して最悪の事態は免れた。このまま下にごろごろ転がっていったらどうなっていた事だろうか。大事にならなくて良かったと九死に一生を得た事に心臓が早鐘を打って、そろりと足を取られたものを確認するために後ろを振り向く。
足に当たった感触は石のような硬いものでは無く、しかし明らかに重量感のあるもので、それが何なのか嫌な予感しかしなくて恐る恐るそれを見た。私が足を引っ掛けたであろうものを。するとそこにあったのは、いや、居たのは男の人だった。艶のある黒髪をかき上げて此方をじっと見るその目は射抜かれてしまいそうなくらい鋭くて。それにびくりと肩を震わせると男の人は此方に歩み寄り、私に手を差し伸べた。

「…大丈夫か」
「えっ、あ、はい!」

第一印象は怖い、だった。だけどこうやって声を掛けて手を差し伸べてくれる辺り意外と優しいのか。少し遠慮がちにその手を握ればぐいっと引っ張られて、立たせてくれた。スカートに付いた草やらを払い、男の人に向かいあって感謝と謝罪の言葉を口にする。

「…ありがとうございます。あと、蹴ってしまってすみませんでした」
「いや、こんな所で横になってた俺にも責任がある。…確かに痛かったが」
「…本当にすみませんでした」

やはり相当痛かったのだろうか。でも目の前の男の人の表情には変化が無い。痛いと言われても、痛そうに見えないのである。それでも蹴ってしまった事は事実だし痛みを伴ったのは明らかに彼の方だしと重ねて謝罪すると、彼から「いや、良い」と返ってきた。

「悪かったな」

そう言ってこの場から男の人は立ち去った。後で思えば、この時の出会いが無ければ私とリヴァイさんは恋仲になってなかったどころか出会いすらしなかったのではと思う。
それから此処を通る度に彼と会って、その度に私はちょっとしたドジを発揮して彼に助けて貰っていた。小石に躓いたり受け取ったメモを飛ばしてしまうのはまだ良い。一回だけ何も無い所で転びそうになった時は流石に無いと思った。そんな時も彼が私を受け止めてくれて、それを繰り返している内に言われるようになったのがこの言葉である。

「お前は危なっかしくて目が離せねえな」

ごもっともだ。私も此処まで抜けているとは思わなかった。私のドジで大惨事になる事は無さそうだが、それでもやはりドジはドジである。もっとしっかりしなきゃ。でも、こうして彼に助けてもらう事は悪いと思いながらも嬉しかった。
そしてこうしていると自然と仲良くもなって、彼の名前を教えてもらった。リヴァイと言うらしい。名前を教えて貰った事が何故かとても嬉しくて、リヴァイさんと呼ぶ度に幸せになったのを覚えている。繰り返されてきたドジもお約束みたいになって、最初は罪悪感を感じていたのに時間が経つとそうでも無くなった。リヴァイさんが私を助けた時に満更でもない表情をするからと言うのが理由の一つだろう。
それと、この頃から私は良くリヴァイさんに告白されるようになった。最初は恥ずかしくて誤魔化したりしていたが、次第に受け入れていきたいと思っていたのか誤魔化したりしないようになった。だけどやはり、決定的な言葉は返せなくて時間だけが過ぎていく。このままじゃ駄目だと思い立った日に、リヴァイさんはこう言った。

「リル、お前はもっと気をつけるべきだ。俺が居ない時、他の奴が助けてくれる保証は無いだろう」

そう言われても、というかそう言えば、他の人の助けが必要になる場面というのはあまり無かった。何時も起こすドジというのは軽いもので、一人でなんとかなるからだ。自己嫌悪に陥りはするが、リヴァイさん以外の助けを必要とはしていない。逆に言うと、リヴァイさんの助けだけを必要としているのだ。

「でも、他の人が居る所ではこんなにドジではありませんし…。だから、リヴァイさんだけ特別です」

リヴァイさんが助けてくれるという事が単純に嬉しくて、だからまた助けてもらおうとこんなドジを連発してしまうのだろう。助けてもらう度に身体に感じるリヴァイさんの温かさが、気持ちよかったのだ。
それに、この話の流れはチャンスかもしれない。そう思ってどきどきしながらそう告げる。何かきっかけさえあれば、リヴァイさんの気持ちにイエスの返答を出来るかもしれないと思ったからだ。
そんな気持ちを凝縮して言ったら、リヴァイさんが珍しく驚いたような顔をして、ふいっと顔をそらして小さく呟いた。

「…お前、それを俺以外の奴に言うなよ。勘違いされるぞ」
「い、良いです!勘違いして…。それに、ご心配なく。こんな事、リヴァイさん以外には言いませんから…」

遠回しな告白。だけど私もリヴァイさんも鈍感では無い。きっとこれでも分かってもらえるだろう。今の私にははっきりと好きだと言う事が恥ずかしくて、これが精一杯だったのだ。

「…そうか」
「…はい」

この短い返事は分かってくれたのだろうか。そう思った次の瞬間、リヴァイさんの口から出たのは次の言葉だ。

「…なら、勘違いしたままでいさせてもらおう」

その言葉を咀嚼するのに大して時間は要らなかった。やっぱり、分かってくれた。
それからのリヴァイさんは意外と独占欲が有るらしく、ある日私が転んで倒れそうになったのを支えた時、こう言った。お前は何時もこんなドジを起こしてこうやって誰かに助けてもらっているのかと。いやいや以前リヴァイさん以外の前ではあまりドジをしてないと言ったのだが、あまりという部分が引っ掛かったらしい。

「お前のドジを披露するのは俺だけで充分だ」
「そんな見せ物みたいな言い方しなくても」
「俺以外の前だとあまりドジはしないんだろう。それをあまりから全くに変えろ。お前のその一面を知って助けるのは俺だけで充分だ」

それは、どういう事なのだろうか。私のドジな一面を知っているのは俺だけで充分とは。普通ドジを治せと言うのではないだろうか。そう思ったのも束の間、リヴァイさんは私の顔を引き寄せて軽く唇を重ねた。一旦押し付けられ、直ぐに離れていくリヴァイさんの唇の感触が名残惜しい。そしてこの位置から聞こえるか聞こえないかぐらいのボリュームで、リヴァイさんは言った。

「…お前の甘えの対象は俺だけで良い」

リヴァイさんは私以上に私の事を分かっているらしい。成る程、私のリヴァイさん相手にだけ発揮されるドジは甘えだったのか。確かに、そう言われるとそんな気がする。リヴァイさんはきっと助けてくれるという気の緩みだと思っていたが、いやそれもあるだろうが、実際は気の緩みでは無くそれを期待してドジを起こしていたのだろうか。他の人相手ではあまり起こさないドジをリヴァイさんの前では頻繁に起こしていたから、きっとそうなんだろう。
そしてそれからは今までとはまた違った雰囲気の中、逢瀬を続ける日々だった。唇を重ねて、身体を重ねて、満ち足りた毎日の中、少しずつその日々が音も無く崩れていくのを感じていた。リヴァイさんと会う時間が段々少なくなっていって、そのリヴァイさんも何だか様子が変で。一度だけ、リヴァイさんは何を思ったのか背中に翼を生やしてどこかへ私と共に身を隠したのを覚えている。そこで初めて私はリヴァイさんが魔物だという事に気付いた。だけど何故か怖いと思う事は無くて、寧ろその大きな翼に心惹かれたものだ。大きくてしなやかで、けれどしっかりしていて逞しそうで。素直に綺麗だと、そう思った。
それから数日後、あまり良く覚えていないが、リヴァイさんが翼を見せてからあまり間も経たずに記憶の改竄が行われたらしい。その数日の事は本当にあまり覚えていないのだ。記憶が曖昧で、よく思い出せなくて。だけどその時期ぐらいしか記憶改竄のタイミングは無かった。最後に覚えている会話と言えばリヴァイさんが私に確かめるように「俺の事は好きか」と言って、改めて言わせられるのは恥ずかしく、しどろもどろになりながら小さい声で「好きです」と返した事ぐらいだ。その後に、記憶を改竄されたのだろうか。
それから数年後、私の目の前に居るリヴァイさんはあの時より大人びていて、勿論私もあの時より成長していて。時の流れに哀愁を感じると同時になんとも言えない感情が溢れ出す。リヴァイさんの手が私の頬に触れて、その懐かしい感覚に目頭が熱くなった。

「…今言った事、もう二度と言い直しはきかねえからな」
「…良いです。言い直す予定なんてありませんから」

リヴァイさんに娶ってもらう。その気持ちに嘘偽りは無い。きっと今も、これからも、その気持ちが変わることは無いだろう。一度心の底に根付いてしまったリヴァイさんを好きという気持ちはそんな簡単に変わらない。数年越しの再開で、私もリヴァイさんも成長して、それでも変わらなかった想いだ。心が移ろう事は無いと、確信出来る。

「…リヴァイさんの事が、本当に好きです。なので、これからも宜しくお願いします」
「ああ。言われなくても一生離す気はねえがな」

そう言ってリヴァイさんは私を引っ張って、その腕の中に収めてしまう。見上げれば見下ろされて、じっと見つめられて、頬を撫でる手はどことなく優しかった。

「…やっぱり、あんま変わってねえな」

それは私の顔の事だろうか。私個人としてはまあまあ変わったつもりなのだが。

「そうですか…?」
「ああ。…またあの道で出会った時、結構変わったかと思ったが」
「そりゃ数年経ってますから」
「確信が持てなくて名前を訊いたが、顔は兎も角、やはり中身は変わらねえな」

ああ、顔じゃ無くて中身の事か。頬を撫でられたからてっきり顔の事かと。というか、あの時気に入ったと言ったのは少し変わった顔に対してなのか。あの時より、少し大人っぽくなった顔をリヴァイさんに気にいられるのは素直に嬉しい。昔も今も、変わらず私を好きでいてくれているという事だから。

「鍵掛けられてるっつうのに必死に扉を開けようとしやがるし。どこか抜けてやがる」
「だっ、だってあの時は混乱してたからで…!大体、どうして記憶を取り戻すのにあんな…っ。別の方法は無かったんですか!?」
「ねえな」
「な、なん…きゃっ」

なんで、と口にしてしまう前にリヴァイさんはベッドに私を押し倒して、言葉を途切れさせる。そして私を見下ろすようにその上に乗って来られれば、どくんと心臓が高鳴った。

「…こうしてまたお前を抱けるようになる日が来るまで、記憶を取り戻すのは不要だと思っていたからな」

リヴァイさんが強引なのは分かっている筈なのに、やはり慣れない。こうして押し倒されるとどうしてもその先を期待して、けれどそれがリヴァイさんにバレるのも恥ずかしくて、それを気取られないよう素っ気なく言葉を返す。

「…どうして、ですか…」
「その日が来たって事は全て済んだ後だ。何も俺達を邪魔する物は無い、あの時みたいにこそこそする必要も無い。堂々とお前を娶る事が出来る」

リヴァイさんは更に身を寄せてきて、ギシリとベッドが軋む。そして少し言いにくそうに、口を開いた。

「…もしもその日が来なかったとしても、お前は俺の事を忘れたまま、他の奴の所に行けるだろ」
「え…」

リヴァイさんのその少し寂しそうな顔に、ズキンと胸が痛む。リヴァイさんはどんな気持ちで私の記憶を改竄したのだろう。いつかまた同じような関係を取り戻せる事を思って、だがそれと同時にその時が来なくても大丈夫なようにとも思って。そんな寂しい事をして欲しくはなかった。でも、リヴァイさんは少しヘマをしたんじゃないかと思う。だって私は。

「…でも私、リヴァイさん以外に興味が持てません」

記憶を改竄されてからというもの、言い寄ってくる男性は何人か居た。けれど、その人達と恋仲になるなんて想像出来なかったのだ。

「リヴァイさんが私の前にまた姿を現してくれなかったら、きっと一生寂しく独り身でしたよ」

そう微笑みながら言えば、リヴァイさんは面食らったような顔をして、一言「悪くない」と言った。

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