伝わる

※雨の続き


「…今日、泊まっていくか?」

その言葉に、一瞬思考が停止した。そりゃあこんな風に雨がずっと降ってたら地盤も緩んでるかもしれないし、今山を下りるのは自殺行為に等しいかもしれない。だから此処でその言葉が出て来ても、何もおかしくはないのだ。私の事を心配してそう言ってくれてるのだと分かるから。
だけど、エレンさんの事を異性として好きなのだと認識している今、その優しさに素直にはいと答える事は出来なかった。
私の事を心配してそう言ってくれてるのは嬉しい。嬉しいのだが、それ以上に恋情を抱いている人と一夜を同じ家で過ごすというのが恥ずかしかったのだ。勿論エレンさんはそういう感情を私が抱いている事は知らないだろうし、純粋な心配から出た言葉なのだろうが、私にとっては一大事だ。
だって、どうやって平静を装えば良いの。どうやって普通に接したら良いの。二人きりで一夜を過ごすなんて、どきどきし過ぎて心臓が破裂しそうだ。今だって、エレンさんのその一言だけで胸が激しく鼓動を刻んでいる。

「今山下りるのは危険だしな」

その言葉に嬉しさを覚えながらも、それ以上言わないで欲しいとも思った。エレンさんの言っている事は正論だ。だからこそ、これ以上正論を言われたら拒否の言葉が言えなくなってしまう。現時点でも何も言えてないのに、断りの言葉を探す事すら出来なくなってしまう。そして慌て過ぎて頭の回転が鈍くなっている私に畳み掛けるように、エレンさんがこう言葉を発した。

「こんな時にリルを外に出す訳にも行かねえし…泊まっていけよ」

そんな言い方されたら断れないじゃないか。断る方が悪い気がしてくるその言葉に、一寸躊躇いながらもこくんと頷く他無かった。

そして夕食を終え、暫く談笑を交わした後床に就いた。
就寝時ってほら、1日の終わりに力を抜いて幸せ気分で目を閉じるじゃないか。それなのに今は目を閉じるどころか力を抜く事すら能わなかった。心臓の音が煩くて、羞恥心からか身体は熱くて、とても力を抜けるような状況では無かったのだ。
いや、確かにエレンさんに泊まっていけよと言われた時から予想していなかった訳ではない。エレンさんは此処で一人暮らしだ。つまりはそれで事足りるものしか無いという事で。
今身体を横たわらせているこのベッドは普通のサイズの筈なのに狭い。まあ、そもそもその半分しか使っていないのだから当たり前だが。そして背中に感じる私のではない暖かさ。時折暖かいふさふさしたものが私の太腿を擽って、その擽ったさに身体をぴくりと揺らした。
そう、何を隠そう、私とエレンさんは同じベッドで眠っているのだ。
確かにこうして二人同じベッドに眠る事も一応予想していた。だけど実際その予想通りになると、心の準備というものが出来ていない私の胸はどきどきと煩く鼓動を刻む。更にそれがエレンさんに聞こえてないかと考えると、気が気じゃ無かった。私がこの状況を意識してるのがエレンさんにバレるのではないかと思うと、恥ずかしすぎて穴に入りたくなるくらい。エレンさんが何時もと変わりなく普通なのが尚更だ。
…やっぱり、私を異性として見て貰えてないのだろうか。だってこうして一つのベッドに男女が一緒に寝ていると言うのに、エレンさんは心を乱す節も無く、それどころか確実に気を緩めている。大人しい寝息が聞こえるのがその証拠だ。それがなんだか無性に腹立たしい。子供っぽい感情がむくむくと湧き上がり、それが口をつついて出た。

「…エレンさん」
「…どうした?」

私がエレンさんと声を掛けると、少しの静寂の後に返事が返って来た。エレンさんは眠りが浅いタイプなのだろうか。意外と早く返事が来た事に吃驚しながらも、言葉を続ける。

「あの、エレンさんって今までもこう、…女の人、家に泊めたりとかあったんですか?」
「…ねえけど、それがどうかしたか?」
「いえ、特に何かある訳では無いんですがその…エレンさん、平常心だなあって」

私はこんなにもどきどきしていると言うのに、エレンさんは落ち着いていて。それがなんだかこう、フェアじゃないと言うか、…狡いと言うか。
そんな気持ちを口に出してしまうのをぐっと堪えて、シーツを握る。待て待て、それだけじゃない。どうしてどきどきしてるのか。この感情のもっと根本的な理由、そして私が色々悩んでいる理由。それは。

「…私、エレンさんの事が好きで、ほんとは内心どきどきしてるのに。エレンさんだけ平常心で狡いなあ、って…」

全て口に出した後で気が付いた。言ってしまった、大事な事をさらっと。頭の中で答を紐解く過程で、つまりはこういう事だと整理しようとしたのだ。自分を落ち着かせる為にも。そしてそういう時は何故か口に出してしまうという癖が私にあり、それが、その癖が今出てしまった。

「…あ」

やってしまった。なんかさらっと告白してしまった。

「…リル、今、なんて?」

此処で聞き返してくるかエレンさん。絶対聞いている筈なのに。
だってあんなにはっきりと言ってしまったし、その上で聞き返してくるなんて、本当にそう言われたのか自信が無いかもしくは意地悪か、だ。どちらにせよ、意図しない告白に私の思考は乱れに乱れている。どうしようなんて考えて、それから先に思考が働かなかった。

「え、えっと、その…っ」

私の馬鹿。告白する時はもっとタイミングを計ってしたかったのに、こんなあっさりと言ってしまうなんて。

「な、もっかい言って」
「え、え!?も、もう一回…!?」

もう一回恥の上塗りをせよと言うのか。また告白するのは恥ずかしすぎてさっきの言葉を言うのを渋っていると、背後でエレンさんが動いてベッドを軋ませた。そして逃がさないから観念しろとでも言うみたいに私の腰にエレンさんの手が回される。

「…っ」

ちょっと待って、本当に思考が働かなくなる。いきなりエレンさんに抱き締められて、それだけで頭がパンク寸前なのに。更に距離を詰めて来られると、もう駄目だった。シーツと擦れる音や服を隔てて伝わるエレンさんの体温に、羞恥心からか身体が熱くなっていく。

「…さっき、なんて言ったんだ?」

耳元でそう言われて、思わずぎゅっと目蓋を閉じた。駄目だ、これは私がきちんと話すまで離さない気だ。覚悟を決めて言ってしまわないと多分朝までこのままだ。
…どうせ一回は言ってしまったんだ。もう一回繰り返すくらい、とは思ったがやはり恥ずかしい。声に出した言葉も、少し震えているような気もする。

「…さ、さっき、エレンさんの事が好き、って…」

其処まで言って、ごくんと唾を飲み込んだ。

「好きで、凄くどきどきしてるのに、エレンさんは普通にしてて…。それが、なんか…っ」
「…狡いって?」
「…っ、はい」

なんだ、やっぱり聞いてるんじゃないか。とうとう意識して口に出してしまった言葉に、顔が熱くなる。もういっその事気絶してしまいたい。もしくは夢であったら良いのに。

「…リル、こっち向けよ」
「…い、いや、です!」

多分今の私の顔は真っ赤だ。そんな顔をわざわざ見せるなんて出来ようか。間髪入れずに返した言葉に、暫しの沈黙が流れる。だがエレンさんも引く気は無いようで、また繰り返した。

「こっち向けって」
「いい嫌ですってば!」
「良いから、こっち向けって」

何が良いのだろう。私は全く良くないと言うのに、エレンさんは私の腰に回した手を背中側へと差し入れて、無理矢理半回転させた。

「…っ」

顔を見合わせる形になった事で視線が交差する。暗闇の中ではエレンさんの金色の瞳が更に存在を主張していて、不覚にもどきりとした。

「…顔真っ赤だな」
「だっだからエレンさんの方、向きたく無かったんですよ!エレンさんは平常心だからって…!?」

そしてそれから目を背けようとした瞬間、背中に回されたままのエレンさんの手にぐっと力が入る。そのまま引き寄せられて、エレンさんの胸の中へと収まった。

「…!?な、え、エレン、さん…!?」
「…俺の心臓の音、聴こえるだろ」
「心臓の、音…?」

確かにこれだけ密着してたら聴こえるだろうが、それよりもこの状況に意識を取られてそっちまで思考が働かなかった。エレンさんに言われるまま、その胸に耳を寄せて意識を集中させる。目蓋を閉じれば私自身の鼓動と、それと同じくらいの早さで刻み続ける私のものではない、心臓の音。今の、どきどきして鼓動が早くなっている私と、同じ。

「…どきどきしてない訳ないだろ。リルとこうしてるのに」
「…へ」

今一状況が飲み込めていない私は、ただ間抜けな声を上げる事しか出来なかった。
ええと、ついさっきまで普通だった筈のエレンさんの心臓の音は煩くて、おまけに私とこうしててどきどきしてない訳無いと。それは一体どういう事だ。

「え、で、でもエレンさんさっきまで凄く普通で…」
「そう装ってただけだよ」
「な、なんでですか?」
「…俺だけが意識してるみたいで恥ずかしいだろ」

なんて可愛らしい理由だ。いや、私もそうだったんだけど、他人事だと途端に可愛く思えてくる。
でも、それで納得出来はしなかった。だって、私が話し掛ける前エレンさんは寝てたじゃないか。つまりその時はリラックスしていたという訳で。

「で、でも、私が話し掛ける前寝てたじゃないですか」
「寝てねーよ」
「え」
「寝てない。…狸寝入りだよ。じゃなかったら返事出来る訳ないだろ」

いや、確かに返事が返ってくるのは早かったけど。次々明かされていく真実に驚きが隠せない。そしてその真実がこれまた可愛らしいものだから、思わず照れてしまった。

「…」

途端に、言葉が詰まる。何をどう言えば良いのか全く分からないからだ。エレンさんだけが意識してるみたいで恥ずかしいとは、つまりは私をそういう対象として見て貰えているという事で良いのだろうか。どきどきしてるというのも、つまりはそういう事で。
ちらりと様子を窺うようにエレンさんを見上げる。私と目が合ったエレンさんは恥ずかしそうに目を伏せた。これは、やはりそういう事で良いのか。

「え、エレンさん」
「…なんだよ」

もう少しだけ勇気を出してみようと、エレンさんの名を呼ぶ。ぶっきらぼうな返事だったけれど、照れ隠しだというのが分かるくらい柔らかい言い方だったから、少し笑みが漏れてしまった。それがいい具合に緊張感を解して、詰まる事なく言いたい事を言えた。

「…私、エレンさんの事好きです。なので、きちんとした返事を、くれませんか…?」

今度こそ、だ。今度こそきちんと言えた。この言葉を言うまでの過程がどうであれ、ちゃんと告白出来た。
私の言葉を聞いたエレンさんは、表情を隠すように手の平で顔を覆う。指の間から見える肌が僅かに赤く染まっているように見えた。立派な耳も、羞恥心からか緊張からか分からないが僅かに震えていて。

「…今までの会話で分かってるだろ」
「エレンさんの口からはっきりと聞きたいんです。駄目ですか…?」
「…一回しか言わねえからな」
「ええっ狡いです。私三回目なのに」
「一回だけだ!一回だけ!」

そう言ってエレンさんは私をぎゅっと抱き締めた。エレンさんの頭は私の頭の真横に来ていて、これじゃあ顔が見れないじゃないか。まあ、それこそが、顔を見られないようにする事がエレンさんの目的なのだろうが。

「…俺も、リルの事好きだ」

ずっと待ちわびていたその言葉に、胸が熱くなる。嬉しくて、その喜びを表現するようにエレンさんの背中に自身の手を回した。

「だから、これからも…その、宜しく、な」
「はい…!勿論です…!」

エレンさんの背中に回した腕に力を入れて、互いの存在を感じ取るように、喜びを分かち合うようにぎゅっと抱き締める。そして額に落とされた熱い唇に幸せを感じながら目蓋を閉じた。

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