sweet time

※おおかみさんの続き


私の最近の興味の対象、それはエレンさんの存在だ。狼の耳と尻尾を生やし、しかしそれ以外は私と全く変わらない人間の姿をしている、つまりは狼男の存在。まあ、狼男と言ってしまうと大概怖いイメージを抱きがちだが、エレンさんに限ってはそんなイメージは無かった。ただ人と接する事に慣れていない、普通の人間と云った感じだからだ。狼の耳と尻尾はそのエレンさんの人柄の所為か恐怖心を煽るなんて事は無く、寧ろ少し素直じゃないエレンさんの本心を表すように動くその耳と尻尾は、私にとってはとても可愛いものに思えたのだ。
そして本日もまた、その可愛い存在に会いに行こうとしていた。この間見せてくれた照れ顔とまたなという言葉にすっかり気を良くした私は、積極的にエレンさんと仲良くなりたいと思って。少しずつ見せてくれる表情が嬉しくて、もっと色んな表情が見れたら良いなと、エレンさんがもっと私に心を開いてくれたら良いなと思ったのだ。

「えーと…」

エレンさんと一緒に食べようとドライフルーツをたっぷり入れたパウンドケーキを焼いて、完全に冷めてから包み、籠へと入れる。何か飲み物も持って行くべきだろうか。いや、あんな場所ではまったり出来ないだろうから、飲み物はいいかな。そう思ってパウンドケーキが入った籠を手に取り、玄関をくぐる。外を照らす太陽の明るさが、何時もより少し早い時間だという事を示していた。それでも少し待つ、なんて考えはない。今行ってもまだ居なかったりするかなと思ったが、それでも早くエレンさんに会いたいという気持ちが大きくて、動き出した足を止める事は出来なかったのだ。

草をかき分けいつもと同じ場所に着いて、辺りを見回す。予想していた通りと言えばその通りだが、やはりエレンさんの姿は無かった。
暫くはその場で待っていたが、そう言えば、と以前エレンさんが言っていた事を思い出す。エレンさんが言っている通りなら、この先にエレンさんの家があるのだ。ちら、と来た方と反対側を見て、その足元に鬱蒼としている草に少し怖じ気づく。この先には本当は道なんて無くて、ずっとこんな風に草が茂っていたらどうしようかと。でもエレンさんが嘘を言うようには思えない。

「…ずっと同じ方向に歩いていけば大丈夫」

怖さを紛らわすようにそう口に出し、一歩を踏み出す。ずっと同じ方向に歩いていけば、もし道が無かったとしてもあまり迷わずに元の場所に戻れるだろう。そう思い足元に気をつけながら草をかき分け、ゆっくりと歩を進めていった。

あまり変わらない景色を見続けてもう十分くらいは経っただろうか。辺りは変わらず緑に囲まれていて、周りを気にしながら恐る恐る歩を進める。此処まで来る事なんて今まで無かったから、何があるかわからないのだ。だから、少し怖い。未知の場所に足を踏み入れるのは、恐怖を伴うのだ。
ああでも、エレンさんは何故か別だったなーと少し疲れてきた頭で考えた。エレンさんだって、話で聞いているだけであまり良く知らない、私にとっては未知の存在の筈なのに。恐れよりも何故か興味という感情が上回って、今こうして自ら会いに行こうとしている。それはやっぱりあの耳と尻尾の所為かな、とエレンさんを思い浮かべると恐怖心が和らいで、足取りが軽くなった。
そして少し先を見れば、日の光が草を照らしていた。それはつまり日の光を遮るようなものが無いという事で、それはつまり。

『向こうに少し進んだら道が開けるから、そのまま真っ直ぐ行った所だよ』

そのエレンさんの言葉を思い出して、ついつい歩く速度が速くなってしまう。この先に行けばきっと、エレンさんに会える。脚に触れる草の煩わしさなんてどこかへ行ってしまって、その光に向かって走り出した。
どんどんその光が近づいてきて、目線を遠くにやれば綺麗な地が見える。それは人が良く通るような、舗装された道で。やっとの思いでこの茂った所から抜け出して、草も、何も生えていない地を踏みしめた。
このまま真っ直ぐいけば、エレンさんの家がある筈。さっきまで暗い所に居たからか太陽の光がやけに眩しく感じて、自身の手でその光を遮りながら歩き始めた。
道の周りには草も生えているが可愛い花も生えていて、自然がいっぱいだと言えるこの場所は何だか癒される。道中小動物の鳴き声も聞こえたし、エレンさんはこんな所で暮らしているのかと思うと少し羨ましかった。まあ、無い物ねだりだというのは分かっているが。
漸く太陽の光にも慣れてきて、手を下ろし先を見上げる。その向こうには赤いものが見えて、一瞬の思案の後それは屋根だという事がわかった。もしかしてあれがエレンさんの家かな、と家を見つけられた事が嬉しくて、でもそれと同時に踏み出そうとしていた足が止まった。
今更ながら、何の約束も無く人の家を訪ねていいものだろうか。そりゃ何度も訪ねている人の家なら露知らず、今回はまだ知り合ってあまり日も経たない人の家だ。…嫌がられたりしないだろうか。エレンさんに早く合いたいという気持ちが先走ってしまったが、冷静に考えてみるとなんて事をしているのだろうか、私は。やはり戻っていつもの場所で待った方が良いのだろうか、それとも此処まで来てしまったからには突撃すべきか。その二択の内どちらにすべきか迷っていると、見知った人影を視界に捉える。向こうから此方へと近づいてくるその人物には立派な耳と尻尾がついていて、あまり考える事も無くあの人はエレンさんだと分かった。
二択とも選ぶより先に本人と遭遇してしまうとは。エレンさんも私の存在に気づいたらしく、此方へと走り寄って来る。

「リル!」

その私の名を呼ぶ声には隠しきれない喜びの感情が出てしまっていて、思わず照れてしまう。素直に嬉しいのだが、何故だかどきどきして。好意をあんなにも素直に表してもらえたのが意外だったのだろうか。良く分からない気持ちを頭を振る事で頭の中から追い出して、私自身も歩み寄る。

「お前、なんで此処まで…」
「ちょっと早く来すぎちゃいまして…。以前此方に家が在ると伺ったので。…駄目、でしたか?」
「いや、駄目じゃねえけど…。何処も怪我してねえか?」
「?はい」

エレンさんは私の肩をぐっと掴み、上から下まで注意深く見る。何もない事を確認したのかエレンさんは安堵の溜め息を漏らし、私から手を離した。怪我とは、どういう意味だろうか。確かに足元は草が茂って不安定だが、そこまで心配するような場所では無い。草で切れる程私の皮膚は弱くも無いし、道中見掛けたのはリス等の可愛らしい小動物だ。エレンさんが心配するような事は無いと思うが。

「リル危機感無さ過ぎだろ…」
「え、え?どうしてですか?」
「狼男が俺だけだと思ってんのか?他にも何人か居るんだよ。もしそいつらに会ったらどうするつもりだ?」

それは初耳だ。いやまあ、狼と言えば大概群れで行動する生き物だ。それを思えば確かに他の狼男と会う可能性はある。でも、それでも今こうしてエレンさんに会えたのだから、この道を通って来た事を後悔したりはしなかった。

「そうですね…どうしましょう」
「お前なあ…」
「エレンさんに早く会いたかったので、其処まで頭回らなくて…」

えへへ、と自分の危機感の無さを誤魔化すように笑い、そう言う。そして言った後で気づいた。今、もしかして私は結構凄い事を言ったのではないか。

「…そ、そっか」
「あ、あは、は…」

もう笑って誤魔化すしかなかった。私が顔を赤くするとそれにつられてかエレンさんも顔を赤くする。それと同時にエレンさんの耳も少し垂れた。ただ会いたかったって言っただけなのに、こんなの友達同士でも言う事なのに。意識しだしたら途端に恥ずかしくなって、恐らく大した事ない言葉が凄い問題発言に思えてしまう。
そんな空気を変えようと思ったのか、エレンさんが私の持っている籠を指差して、こう言った。

「な、なんか良い匂いするな。それなんだ?」

エレンさんが指差したその籠の中身は私が焼いたパウンドケーキだ。エレンさんと一緒に食べようと思って持ってきたそれを指差され、私はそれを見せるように前に出した。

「パウンドケーキ、焼いてきたんです。エレンさんと一緒に食べたいなあって…。あ、あの、甘いものお好きですか…?」
「…ああ!あ、なら、俺の家来るか?」
「い、良いんですか?」

まさか本当にお邪魔する事になるとは。ただエレンさんの家が見れたらそれだけで嬉しいなと思っていたのに。
「一緒に食うんだろ」とエレンさんに言われ自然と伸ばされた手を握る。繋いだ手は温かかった。それと同時にどきどきして、身体が熱くなる。これは羞恥心からか、それとも。
ただ手を引かれるままに進んで行って、さっき見えた赤い屋根の家へと辿り着いた。エレンさんはそこの玄関を開け、私を中へと引き入れる。中はシンプルで、あまり生活感が無いと言うか、結構片付いていた。

「好きな場所に座っといてくれ」
「は、はい」

エレンさんはシンクへと行き、やかんへ水を入れて火に掛ける。私はテーブルへ籠を置いて椅子を引き、そこに座った。
…此処がエレンさんの家か。初めての場所を確かめるように視線をあちらこちらにやり、落ち着かない足元はそわそわとしている。

「リル」
「はい!」

いきなり話し掛けられた所為で吃驚して、思わず声に力が入ってしまう。エレンさんはそれに驚いたのかきょとんとした表情を見せ、でも直ぐにふっと笑みを漏らした。

「なに緊張してんだよ、リル」
「だ、だって…」
「…紅茶で良いか?」
「は、はい」

うーむ、意識してるのは私だけなのか。こんなにも私はどきどきしているというのに、対照的にエレンさんは冷静で。でも、何となく耳と尻尾に力が入って固そうに見えるのは気のせいだろうか。
というか、どうしてこんなにどきどきしているのだろう。狼男の家で二人きりだから?それとも、…男性と二人きりだから、か。
そう思うと、さらに鼓動を強く刻む。一度意識し始めたら止まらない。
おかしいな、最初はあの耳と尻尾に魅せられて、それでいてふと見せる寂しそうな姿が放っておけなかった。そうだった筈なのに。一度異性として意識しだすと、そういう風に見てしまってどうしようもない。
いや、寧ろ自分で気づいていなかっただけで、この間から異性として惹かれていたのではないだろうか。エレンさんからまたなと言われた時、単純に嬉しいという気持ちだけではなく、胸がきゅんとしたのだ。その感覚の理由は、一つだけの筈。

「はい、リル」
「あ、ありがとうございます」

紅茶が入ったカップを目の前に出され、お礼の言葉を言う。ああそうだ、私も出さなければと籠の中からパウンドケーキを取り出して、紅茶のカップと共にテーブルの上に置かれたお皿の上へと乗せた。

「へえ、美味そうだな」
「一応自信作なんですよ!」
「ははっ、一応ってなんだよ」
「あ、じゃあ言い直します。自信作です!」

エレンさんがつっこんでくれたお陰で空気が解れて、さっきのどきどきも少し和らいだ。
エレンさんがパウンドケーキをナイフで切って、小皿に取り分けフォークを添えて私に渡す。綺麗に散りばめられたドライフルーツと微かに香るラムの香りが鼻孔を擽り、胃を刺激した。我ながら美味しそうだ。
さっきとは別のどきどきを覚えながら、フォークを手に取り、パウンドケーキを一口サイズに切り口へと運ぶエレンさんの様子を見る。大丈夫だろうか、口に合うだろうかとどきどきしながら。

「…美味いじゃん」
「良かったあ…!」

エレンさんの口から美味いとの一言が聞けて、途端に安堵する。エレンさんの耳はぴんと立ったかと思えば喜びを表現するかのようにパタパタと動いて、後ろに見える尻尾もそれと同様動いていた。やっぱり、可愛い。どうやら口に合ったようだ。それが嬉しくて、でもそれを顔に出すのは少し恥ずかしくて、誤魔化すようにエレンさんが淹れてくれた紅茶を口に含んだ。心地好い渋味が口の中に広がり、こくりと嚥下すれば心がほっとする。

「…紅茶も美味しいです」

にこりと笑ってそう言えば、エレンさんは微笑み返してくれた。こんな風にゆっくりとエレンさんとの時間を過ごすなんて思わなかったから、少し不思議な気分だ。少しのどきどきと、心地良い雰囲気と。それを噛み締めるようにまた紅茶を飲んで、言葉を交わしながら時間は流れていった。


「…では、エレンさん。そろそろお暇しますね」

窓から射し込む光が少し橙がかった頃、私はそう言った。何時もと同じくらいの時間だ。エレンさんもそれが分かっていたのか、この間のように寂しさを感じさせるような表情はせず、普通に答える。

「ああ。…次、何時くらいに来るつもりだ?」
「そうですね…、今日と同じくらいでしょうか」
「だったら何時もの場所で待ってろよ。迎えに行くから」

それでもやはり次は何時来るかと問われて、私とまた会いたがってくれているという事に自然と笑顔が零れた。それに、私の身を案じてか迎えに来てくれるとも言ってくれて、少し治まっていたどきどきがまたぶり返す。
これはやはりそういう感情なのだろうか。それを認めるのは少し恥ずかしくて、それでも無かった事にするのは嫌で。帰りはエレンさんに途中まで送ってもらい、次に会った時に覚悟を決めて告白してみようと、そう思った。

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