おおかみさん

※エレンに獣耳・尻尾が生えてますので苦手な方は注意


自宅に生ける為の花を摘みに行こうと思い立ったのがつい十数分前。そしてその花を摘もうと思った場所に着いたのがたった今。辺りは木に囲まれており足元には草や花が鬱蒼としていて、余り光が差さないこの場所は兎に角視界が悪い。がさっと草を分ける音がすれば其方に視線を向けるが、その姿を容易に捉える事は出来なかった。ただ、そのシルエットから犬かと思い、警戒心を解いてゆっくりと歩み寄る。そして撫でようかと手を伸ばした時、それが私の思い描いていた姿とは全く違っていた為に手を直ぐに引っ込めた。

「…狼さん?」

私が耳だと思っていた物は勿論耳だったのだが、それが生えている部分を良く見てみればはっきりと動物だとは言い切れなかったのだ。艶やかな黒い毛の間からぴんと立った大きな耳はぴくぴくと動いており、それは勿論動物らしい。だが、その毛は動物の毛と言うよりも人間の頭髪だ。その予想は外れていないらしく、少し視線を下げればその髪の間から肌が覗いていた。首元が見えるくらいに短く切りそろえられた髪、そして薄い衣服を身につけ、臀部からはふさふさとした立派な尻尾が生えている。それは耳と同様動いており、作り物では無い事が窺えた。
暫くその耳と尻尾に目を奪われていたが、私が狼さんと言ったからか、その目の前の生き物は此方を振り返った。漸く見えた大きな瞳は少しつり気味で。色素が薄いのだろうか、透き通るような金色の瞳は不思議な雰囲気を醸し出していた。

「…あんた、誰だよ」

その瞳は私を捉え、ゆっくりと開かれた口からはそんな言葉が飛び出して来た。少し棘があるような気がするが、もしかしなくてもこれは警戒されているのだろうか。
誰も寄せ付けないような印象の…仮に狼少年としよう。兎に角その狼少年は私に明らかに良い印象を持っていない。それはこの狼少年が人嫌いだからか、それとも私がこの狼少年のテリトリーにでも無断侵入したからとかだろうか。もしそうだとしても、それは不可抗力だ。だって私は今の今まで此処にこのような狼少年が居るとは知らなかったのだから。知らなければ何も対策しようが無い。会わないようにする事も、そもそも初めから此処に踏み入らないようにする事も。
そんな風に色々と言いたい事はあるが、波風を立てないようにと言葉を飲み込んで、口を開く。

「…この麓に暮らしてる只の町娘です。ちょっとお花を摘みに来ただけですが…駄目でしたか?」

取り敢えず、出来るだけ丁寧に。未知の存在には敬意を払うようにと親に教えられたのだ。この発言が敬意を払ってるのかどうかは兎も角。

「…駄目じゃ、ねえけど」

私が出来るだけ丁寧に返したからか、目の前の狼少年の纏っている雰囲気が少しだけ和らいだ気がした。さっきまでぴんと立っていた耳は少し垂れていて、私の反応を気にしてかぴくっと時たま動いている。それが可愛くて思わず手を触れそうになるが、それを抑えて身を屈めた。

「…あなたはどうして此処に?」

今まで散々と心の中で狼少年と呼んできたが、この流れなら本当の名前を知れるかもしれない。そもそも私がそれっぽいと思っているだけでもしかしたら狼じゃないかも知れないし、勝手に決め付けた名を心の中で繰り返すのはちょっと失礼じゃないかと思い始めたのだ。

「この近くに住んでるんだよ。此処にはただ…散歩に来ただけって言うか…」

そう言ってふいっとその狼少年は私から視線を外し、その視線を崖の方へと向けた。崖の下には勿論私が住んでいる場所があり、田舎ながらも賑やかで。それを見ている狼少年の横顔はそれとは対照的に寂しそうだった。無表情に見えなくもないが、少し伏せられた目は寂しいという感情を宿しているようで、微かに下がった眉と相俟って余計に、だ。

「この近くって、どの辺りですか?」
「向こうに少し進んだら道が開けるから、そのまま真っ直ぐ行った所だよ」
「向こうにまだ道あったんですね…」

私は大体ここら辺までしか足を踏み入れないから、向こうに道があるとは知らなかった。そしてその先にこの狼少年の家がある事も。どんな所なんだろうという興味がむくむくと湧いてきて、でも微かに差す光が橙色に変わっているのに気が付いてその興味を無理矢理抑えた。もうそろそろ帰らないと親が心配してしまう。

「…すみません、私もう帰らないと」

話を中断させてしまってすまないという意味を込めてそう謝れば、狼少年は一寸の間の後、「ああ」とだけ言った。その短い言葉にどんな感情が入っているのか良く分からないが、少し寂しそうに尻尾が揺れるのを見て、どうしようもなく心が揺れる。

「…あの、また来ても良いですか?」

思わずそう口に出せば、狼少年はぴくりと耳を震わせ「勝手にしろ」とだけ言った。字面だけだと突き放したような言い方だが、どこか柔らかさを感じさせるその言葉に嫌がってはいないと思い、笑顔で「勝手にしますね」と言い残し山を降りる。
そして山を降りた所で重要な事を思い出した。結局名前を聞いていないのだ。次に来た時に必ず忘れずに聞こうと心に誓い、自宅へと歩を進めた。

その次の日、昨日と同じ時間帯に、同じ場所へとやって来た。茂みの奧に昨日と同じ影を見つけて、嬉々としてその存在を呼ぶ。

「狼さん!」

私がそう呼べばその影はぴくりと動き、大きな耳はぴくぴくと動いていた。

「おーかみさん」

再度そう呼べばその影は此方を振り向いて、昨日よりも少し柔らかい表情を見せる。

「…こんにちは!」

それがなんだか嬉しくって、思わず笑みが零れてしまう。昨日みたいに警戒されている様子は無く、少しは距離が縮まったような気がして嬉しかったのだ。

「…本当に来たんだな」
「だってまた来るって言いましたもん」
「でも本当に来るとは思わなかった」
「…どうしてですか?」

歩を進め、狼少年の傍へと寄る。間近で見ればこの狼少年はまあまあ背が高い。私よりも高い位置から見下ろされれば自然と恐怖心でも芽生えてくるかと思ったが、そんな事は無かった。こんなに突き放したような言い方をされているのに、何故か怖いなんて感情は湧かないのだ。

「だって、普通こんな得体の知れない奴の傍に寄ろうなんて物好き居ないだろ」
「…じゃあ私はその物好きですか」
「まあ、そうだな」
「そこは否定して下さいよ狼さん」

これじゃ私が変な人みたいじゃないか。私はそんな変な人では決して無い、ただ純粋に狼少年の事が気になっているだけと言うのに。
口では人を突き放すような言葉を吐く癖に、耳や尻尾は隠した本心を表すかのように動いて。それが気になって、それと同時に放っておけない。今、私の興味は、この目の前の狼少年に向けられているのだ。

「あ」
「…どうしたんだ?」

そうだ、また忘れる所だった。このままでは私の心の中での呼び名が狼少年で定着してしまう。

「あの、名前なんて言うんですか?」
「名前…」
「そう言えばまだ知らないなーって思いまして」
「…名前なんて知ってどうするんだよ」
「狼さんの名前が知りたいってだけじゃ駄目なんですか?」

名前を知るのに何か理由が必要だとは思わなかった。いや、多分狼少年の人を突き放す癖が出ているだけなのだろうが。

「…駄目じゃ、ない」
「じゃ、教えて下さい!」
「…エレンだよ、俺の名前」
「エレンさん…ですね!」

エレンさんか。やっと狼少年の名前が分かった。名前を教えてくれたという事は、少しは私に心を開いてくれたと思って良いだろうか。そう思うと嬉しくて、ついつい顔がにやけてしまう。だがそれも束の間、エレンさんから話しかけられて慌てて表情を引き締める。

「…お前は」
「へ?」
「お前の名前だよ!俺は教えたんだから、お前の名前も教えろよ」
「あー。…言ってませんでしたっけ」
「聞いてねえな」

何故だか分からないがすっかり言った気になっていて、私の名を伝えるのを忘れていたみたいだ。思い返してみればエレンさんから名を呼ばれた記憶は全く無い。

「…私の名前はリルです。宜しくお願いしますね、エレンさん」
「リル、か…」
「はい!」

エレンさんの方から私の名を訪ねてくれたのが嬉しくて、そして私の名を呼んでくれたのが嬉しくて、さっき引き締めた筈の表情は直ぐに緩んでしまった。

「…にしても、本当なんで俺の所に来たんだ?」
「なんで、とは?」
「さっき言った通りだよ。大体の奴が俺を見たら恐れて逃げていく。リルみたいな奴は初めてだ」
「うーん…、そうですね…」

なんで、と問われてこうだと直ぐ言えるような明確な理由は持っていない。ただ、エレンさんの事が気になるというだけなのだ。

「取り敢えず最初に言っておきたいのは、エレンさんは別に怖くないですよ?」
「え」

私がそう返したのが意外だったのか、エレンさんは一瞬間が抜けたような顔をした。なんだ、顔でも感情を表せるんじゃないか。だけどそれは直ぐに元の表情に戻り、いや、それよりも更に眉間に皺が寄ったような気がする。悪い事をいったつもりは無いのだが、もしかして言っちゃいけない事だったのだろうか。

「…普通、こんな耳と尻尾みたら狼だって、怖がるだろ」
「私はそうは思いませんよ?寧ろ可愛いです」

口よりも表情よりも、自身の感情を表すように動く耳と尻尾には可愛いと思いはすれど怖いなんて思う事は全く無かった。言葉なんていくらでも作れる。表情だって、やろうと思えば作れる。それでも自身の思い通りには制御出来ない耳と尻尾の動きは、即ち本音が出ていると思って良いのではないか。そんな風に隠す事の出来ない感情が窺えるエレンさんの耳と尻尾に、私は目を奪われていたのだ。

「…お前、男に可愛いとか言うなよ」
「すみません、嫌でしたか…?」
「可愛いって言われるのは男なら誰だって嫌だろ。…まあ、好意的に見られてるって所は、その…嬉しいけど、さ」

そう言ったエレンさんの頬には少し赤みが差していて、感情を表す眉は困ったように少し下がり、瞳の色は少し優しい印象になっていた。これはもしかしなくても照れているのか。口をつついて出てしまいそうになった「可愛い」という言葉を飲み込んで、それでもその可愛さに堪えきれなかった私はふっと声を漏らした。

「…なんで笑うんだよ」
「笑ってないです」
「いや、笑っただろ」
「笑ってないですよー」

さっきよりも赤みが増した頬は触れたら熱そうだ。私に慣れてくれたのか、耳と尻尾だけじゃなく色んな表情も見せてくれるようになった。嬉しいな、なんて思いもっと色んな表情を見てみたいと思っても終わりは来るもので。それに気付いたのはエレンさんが先だった。

「…もうそろそろ帰るのか?」

恐らく昨日と同じ時間帯になったからだろう。エレンさんはそう言って、私を見る。まあ、名残惜しいが早く帰らないと親に色々言われてしまうから仕方ないなと、その言葉にこくんと頷きエレンさんを見上げた。やはり、少し寂しそうである。この顔を見ていると何時まで経っても帰れなさそうで、逃げるように踵を返した。

「で、ではエレンさん、さよならです」
「…ああ」

エレンさんは昨日と同じようにそう言って、だがその短い声には昨日よりも感情が込められているような気がする。少し名残惜しそうな、私の今の感情をそのまま移したような。それでも別れの挨拶をして、歩を進ませた。後ろ髪を惹かれる思いでこの場を後にしようとするが、少し離れた所でエレンさんが私の名を呼ぶ。

「リル!…その、ま、またな!」

その言葉に、胸がきゅんと締まる。またな、という事はつまり次また会おうという事であって。エレンさんからそう言われて嬉しく無い訳がない。

「…はい!また、明日です!」

笑顔で振り返って、そう告げる。遠回しにでもまた会いたいみたいに言われたら、喜んでしまうのが人の性。次はどんな話をしようかな、何か持っていってみようかなと、次会う時を楽しみにしながら山を下りるのだった。

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