匂い

記念日の後の話


私が贈ったあの香水を、エレンは偶の訓練兵の休みの日につけてくれるようになった。普段はやはり兵士としての本分を忘れてはならないと、そういった事に対しては無頓着だったのに。私がエレンをそうさせたのだという事実がこれ以上ないくらい嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。
そして、今こうやって一緒に居て、身体をぴたりとくっつけているのが幸せだった。どきどきと緊張ないしは興奮で煩く刻む鼓動も幸せの証。ぴたりとくっついた肩から伝わるエレンの体温も、心地好いエレンの、香水の匂いも。それに安心して体重を預ければ戯れにキスを交わして、少しどきどきしながら舌を絡めて。最初は気持ちいいとかどうかは分からなかったけれど、とてもいけないような事をしている気がして、どうしようもなく胸が高鳴ったのだ。今では少し慣れて、どきどきは抜けないながらも気持ちいいと思うようになって来たが。

「…ん」

上顎をエレンの舌が擽れば、ぞわぞわとした快楽が背筋を這い上がって、口からは力が抜けたような声が出る。気持ちよさに耐えるようにエレンの胸元に添えられた指先に力が入り、服に皺を作った。頬に触れたエレンの手が温かくて、それと同時にそれだけ密着しているという事に気が付いて、そこから伝染するように身体が熱くなる。
こういう事は何もかもエレンが初めてな私は、ちょっとした事にだって身体が反応してしまう。慣れてる人にとっては何てこと無いだろう事に、免疫が無い私は直ぐにどきどきしてしまうのだ。
今だって、キスだけでどきどきしてる。こういうキスの仕方だって友達から聞いた話を、羞恥心でいっぱいいっぱいになりながらも、それでもエレンとしてみたくて。全く分からない未知の事をエレンと二人で知っていくのは、兎に角嬉しかった。
それでもやはり恥ずかしさは消えない。いや、恥ずかしい事をしているのだから当たり前だろう。他の人にこの場面を見られたら赤面ものだ。
だからだろうか。恥ずかしい事をしてるという自覚があるから、だからそれがバレるかもしれないという事態に陥った時、心臓がどくんと警鐘を鳴らすように跳ねるのは。

「リル、なんかエレンの匂いしねえ?」
「え…っ」

恐らく純粋で、素朴な疑問のつもりだったのだろう。食堂で食事を摂ろうとしていた時、コニーにそう話しかけられた。軽く、本当に軽い口調でそう問われたものだから、一瞬聞き間違えたかと思ってしまった。コニーにとってはそんな深く考える事でも無いのかもしれない。けれど私にとってはとても深刻な問題だ。もしかしてエレンとああしていた事がバレてしまうんじゃないかと、気が気じゃない。

「いや、エレンと同じ香水使ってんのか?」

でもコニーは私にとっては有り難い事に、逃げ道を用意してくれた。エレンに渡した香水はユニセックス系だ。私が使っていてもなんら問題は無い。

「う、うん!そうなの」
「へえ。…お前ら付き合ってんのか?」
「え!?な、なんで…?」

あれれおかしいな。逃げ道を用意してくれたと思っていたのに、何故かさっきより駄目な方向に話が進んで行ってる気がする。コニーは面白い玩具を見つけた子供みたいに、いや弄り倒す相手を見つけた悪ガキみたいなニヤニヤした顔で、更に問いを掛けてきた。

「いや、だって普通人と被るようなのって使わなくねえか?」
「そ、それは、まあ…」
「それにリル、めっちゃ挙動不審だぞ」

ああ、これは当に良い遊び相手を見つけた顔だ。根掘り葉掘り訊かれて、でも簡単に答えられない私の反応を面白がる気だ。でもそんなの受け入れられる訳がない。逃げれるなら逃げたい。だから平静を装って、それは違うと返す。

「そ、そんな事ないもん」
「いーや、めっちゃ挙動不審」
「別に何も無いし、私はこれで!」
「まあ待てって」

このままだと質問攻めに遭いそうだからもうさっさと逃げてしまおうかと、そう思って無理矢理切り上げようとしたが、肩を掴まれてそれは失敗に終わった。手に持っていたスープが零れそうになって、慌てて体勢を整える。

「な、なに」
「エレン、どんな感じなんだ?あいつこんな事に全く興味なさそうだったから想像つかねえ」
「どう、って…」

もうコニーの中では私とエレンが付き合っているという事になっているのか、実際付き合ってみてどうだと質問を掛けられた。いや、付き合ってる事自体は間違ってはいないのだが。一応周りには知られなくないから違うと言ってるのに、それを意に介さずに付き合ってる事を前提に質問を掛けてくるのは如何なものか。
勿論、訓練兵として三年間も厳しい訓練を受ける中で、少しは気を緩める事柄が必要だとは思う。それが年頃の少年少女が集まる訓練兵団内では色恋沙汰がポピュラーなだけで。だけど、それの矛先を私に向けないでほしかった。コニーの場合色恋沙汰に興味があるというよりも、ただ物珍しさと慌てる私の反応を楽しむ為にしか見えないから尚更性質が悪い。
まあ、私がそれを止めてほしいと思ってもどうにもならないのだが。だからこそこうやってコニーの手は私の肩をがっしりと掴んでいるのであって。それはまるで逃がさないから白状しろと言っているみたいだ。

「…誰にも言わないなら」

取り敢えずは皆には知られたくない。それはただ単に恥ずかしいからという理由だが、そんな感情を無かった事に出来る程私は単純な思考回路をしていない。それならばせめてこの状況を早く終わらせる為に、コニーにだけ、誰にも言わないと条件を付けて話した方が良いのではないか。それが最大限今出来る事だ。
そう思ってコニーにそう言うと、まかせとけとでも言わんばかりの眩しい笑顔を見せた。大丈夫かなあという不安はあったが、このまま此処で立ち尽くしていてもしょうがないしと、一旦席についてからこそこそと話をし始めた。
コニーに今までの事を整理して簡潔に話始めると、そう言えばエレン自身は付き合う以前と変わらないような、と気づく。勿論恋人同士としてする事はしているのだが、兎に角変わらないのだ。良く言えば裏表が無い、悪く言えば…いや、言い方が見つからないからこれは保留にしておく。
兎に角、それがなんだか寂しいと思うのは私だけだろうか。他の皆にも向けている友人としての顔の他に、私だけに見せてくれる顔もあって良いのではないか。そんな気持ちがコニーに話をする度に膨らんでいく。
だって、もっとエレンの色んな顔を知りたい、見たいんだもの。エレン自身素直というか感情が表に出やすい。それは付き合ってからも変わらなくて。まあ、友人には絶対に見せないような顔と言えば、キスの時くらいかなと今までに見て来たエレンの顔を思い浮かべる。僅かに上気した頬と少し潤んだ瞳は色気を感じさせて、それが脳裏にちらついて途端に顔が熱くなった。

「…リル、顔赤いぞ?えろい事でも想像したか?」
「え…っ、ち、ちが…っ」

なんで分かってしまうのだろう。まさにコニーの言うとおりなのだが、それを素直に認めてしまうと私が変態のような気がして、慌てて違うと取り繕う。勿論コニーはそんな私の心情を分かっているのだろう、にやにやとした笑みを浮かべたまま根掘り葉掘りこれまでの事を訊かれた。
ついに今までの事を言ってしまった後、コニーは期待していたよりも面白くなかったのか、意外と簡単に離れてくれた。もっとしつこく訊かれるのかと思っていたから、拍子抜けだ。
すっかり温くなってしまったスープを飲み干して、パンを千切り一口ずつ口の中に放り込む。簡単に食事を済ませ食器を片付ければ、食堂の端の方にエレンの姿を見つけた。エレンはミカサとアルミンと食事を摂っていたらしい。もう食器の中には何も入っていなくて、恐らくもうあとは食器を片して宿舎に帰るだけ。話し掛けようかと口を開いた瞬間、ある言葉が脳裏を掠めて声は出なかった。
さっきコニーに言われた、匂い。エレンに近付いたら、ミカサとアルミンにバレバレではないのか。そう思うと恥ずかしさでかっと顔が熱くなって、出そうになった言葉を飲み込んだ。

「リル?」

だけど幸か不幸か、私の存在に気づいたらしいエレンに声を掛けられる。どきりと心臓が跳ねて、更に顔が赤くなった気がした。
私に気づいて貰えて嬉しい、嬉しいのだけれど、今は少し気まずい。何故ならばさっきも思ったようにミカサやアルミンに気付かれるかもしれないからだ。私がエレンと同じ匂いがするという事に。

「…リル、エレンと同じ匂いがする」

ほら、早々につっこまれた。ミカサは自分が言った言葉をそれ程重いものと思っていないのか、それともそういった事に疎いのか、純粋にそう訊いてきた。対してアルミンは私とエレンの関係を察したのか、ミカサを引っ張って食堂から離れて行く。まだ何も言っていないというのに、流石はアルミンか。残された私とエレンは、暫くの沈黙の後外へ出ようという話になって、食堂を後にした。

「…風、気持ちいいな」
「そ、そうだね」

外に出れば辺りは暗くなっていて、さわさわと葉が風に吹かれて音を奏でた。心地よい風が肌を撫でて、髪を揺らす。気温もちょうど良くて、少し火照った頬の熱を冷ましてくれた。だけど完全には冷めなくて、それの原因であるエレンへと目を向ける。
やはり、何時も通り。何時もと同じ表情で、同じ声のトーンで、心も乱されていない。私はこんなにも意識しているというのに、なんだか狡い。そんな子供っぽい怒りが頭の中をぐるぐると回るが、途端にエレンとの距離が縮まりその温もりに抱かれ、怒りは簡単に解けた。怒りよりも、羞恥心の方が勝ったからだ。

「…っえ、エレン?な、なに?」

エレンは私より背が高いから、普通は見上げる形になる。その筈なのに、私と同じ目線にエレンの頭が来ていて少し混乱した。いや、それだけじゃなくてエレンの頭が来ている場所も問題なのだろう。何故かエレンは私の首に顔を埋めているのだ。その意図が上手く理解出来なくて、ただ何をしているのかと問う事しか出来なかった。

「さっきミカサが言ってただろ?俺と同じ匂いがするって」
「う、うん」
「でも、良くわかんねえな」

成る程、エレンは私の匂いを確かめていたのか。でもそれならそれで先に言ってほしい。何の前触れも無く、心の準備も無くこんな事をされると直ぐに鼓動が煩くなってしまう。どきどきと弾む心臓の音がエレンに伝わってしまうのではと思うと、一度冷めた筈の熱がぶり返した。
エレンは用が済んだからか私から離れると、私を見下ろしてふっと笑みを零す。その意味が分かってしまって、更に顔が熱くなった。

「リル、顔真っ赤だな…っ」
「だって、いきなり抱き締められて…匂い、嗅がれるなんて思ってなかったもん」

そうだ、この顔の熱は何も私が純情過ぎるだけじゃない。エレンが突拍子もない事をやってのけるからであって、断じて私が赤面し易いとかでは。

「だけど食堂で会った時もだぞ?」
「だ、だって!エレンと同じ匂いがするってコニーに言われて、その…恥ずかしく、なって」

最後はエレンに聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで、そう告げた。羞恥心でいっぱいいっぱい、それなのにエレンはやはり普段通りで。それが何だか悔しくて、エレンに疑問を投げかけた。

「…エレンは、恥ずかしくないの?」
「なんでだ?」

即答だった。エレンにとっては悩む必要すら無い問題だったようだ。それが更に私の悔しさを増幅させて、ついつい言葉が口から出てしまう。

「だって、私達が恋人同士だってバレるの、恥ずかしくない…?」
「だって実際そうだろ?」
「そ、そうだけど…!」

確かにそう、そうなんだけど。恋人同士だという事実がバレるのと恥ずかしく無いはイコールでは結べないのだ。だから今こんな恥ずかしいのであって。だけど私とは対照的にエレンは全く恥ずかしがっておらず、それどころか少し嬉しそうにも見える。何がそんなに嬉しいのか、それを問うようにじっとエレンを見つめれば、エレンがそれに応えるように口を開いた。

「だってなんか、リルから俺の匂いがするのって嬉しくねえか?」
「…え?」
「リルが俺のものって皆に主張してるみたいで、悪くないと思うけどな」
「え、あ…っ、そ、そう…?」

成る程、エレンはそういう考え方か。相変わらず恥ずかしがってはくれないようだけど、物事も捉え方によって全く違う結論を出すという事に感嘆の息を漏らす。
…ってちょっと待って、今何気に凄い事を言われたような気がする。私が、エレンのものって。

「…っ」

今更ながらにエレンの言った言葉を意識して、恥ずかしくなる。更に赤くなった私の顔をエレンは指して、「それにリルがそういう反応見せるのが、すげー面白い」と宣った。
その言葉に、怒りは湧いて来なかった。エレンが少し意地悪だったから、少しは苛ついても良い筈なのに。ただ、恐らく他の人に対してはそんな事は言わないだろうなという言葉を私に掛けた事が、嬉しかったのだ。内容がどうであれ、私だけが見れたエレンの表情というものに、特別感を覚えた。

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