▼ 8
「帰るか」
千里が仁を離した時にはもう、千里の照れている顔は見られなかった。
いつも通りの千里だった。
「千里さん」
くしゃくしゃっと千里の掌が仁の髪をかき回し、そのまま千里は仁の頭を押しやる。
「帰るぞ」
「うん……」
帰りの道は行きとは違う道を選んだ。
なんとなく、千里と2人っきりの時間がもう少し欲しかったから。
「あ、スタバがある。俺飲みたい」
実は仁、スターバックスコーヒーのラテが好きだった。よく行ったものだ。
「車を止めろ」
千里が車を降りる。
「買って、運転しながらでも……」
「店で雰囲気と一緒に楽しむものだろう、こういうのは」
まだ帰りたくないのを察したのか千里は店のドアを開けた。
これってデートかな、頭の隅で笑う。
レジで注文し、赤いランプ下でコーヒーを待つ。
誰が思うだろう、この人がヤクザの組長だと。
スーツを着こなす千里は、どこかの会社の社員というよりは若社長、そんな雰囲気がある。
TシャツGパンの仁の連れには見えない。
ちらちらと千里を見る若い女性客に仁はムッとする。
「よそ見するな、仁」
「してないよ!」
声を上げて否定する。
くっと千里が笑う。
「千里さんこそ、よそ見しないでよ」
「仁がいるのに?」
そう返されて、仁はくやしそうに空いた席に座った。
席から千里を眺める。
格好良いと思う。
千里へ向かう女性の目。
けれど千里は仁を見ている。
それにはちょっとばかり優越感。
「先に行くな」
コーヒーを2つ、手に持って仁の元へ千里が歩いて来る。
「千里さん、もてたでしょ」
「ああ、もてたな」
「フツーに返されるとなんかムカツク」
「仁だってもてたろ?」
「自分でいうのもアレだけどもてたよ?」
一口コーヒーを啜り、目についた千里の手を見る。
「人ってどの位のモノを掴んで、どの位のモノを手からこぼしてるんだろう」
「人間は基本的に欲張りだからな、沢山掴んで、だが沢山のモノをこぼしてるんだろうな」
「……うん」
「だから大切なモノを見極めろ、こぼさない為に」
「うん。千里さんは見極めてきた?」
「見極めてきたつもりだ。お前はこぼれないでくれよ」
「言ったじゃん、傍にいるって」
仁は千里に笑顔を向けた。
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