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「仁……?」
覚えのある声が仁を呼んだ。
「未散(ミチル)……」
そこに立っていたのは、離婚した妻だった。
「どこ行ってたのよ、捜したんだから」
「関係ないだろ」
「あるわよ。私達、まだ夫婦だし」
「え?」
夫婦、未散は再びそう言った。
「だから、仁はまだ、木村姓なわけ」
大学で知り合い、3年の時、仁は日下姓から木村姓を名乗った。婿入りしたわけだ。
理由は彼女の実家が旅館だった為だ。彼女は3姉妹の長女だった。
仁が刑事になれたのは、未散が両親を説得してくれた為だ。
「仁」
千里が仁に彼女を座らせるように促す。
「座って」
未散は頷いた。
席に座って未散は千里を眺める。
「貴方は?」
千里は薄く笑うと首を振った。
「聞かないほうがいい」
未散は仁に向き直る。
「帰って来て」
仁は首を振った。
「どうして? 私の事嫌いになった?」
また首を振った。
「じゃあ!」
帰って来てよ、未散が縋るように仁を見た。
「俺はもう刑事じゃない。それに旅館も継げない」
「仁が刑事じゃなくてもいい。旅館も継がなくていい」
「未散のご両親が許さないよ」
仁は未散を真っ直ぐに見た。
「仁?」
「ねぇ未散。借金、どうなった?」
「え……」
未散は千里を気にするように目を向けた。
「取り立て、来てないはずだ」
「あ、うん。仁がいなくなって1ヶ月位してから……」
「俺が担保になってる」
千里の眉が上げる。が、仁も未散も気付かなかった。
「俺が帰ったら、借金が復活する。未散はそれでも俺に帰って来て欲しい?」
「え、待って。どうして仁が担保になってるの?」
「それは……」
かたんと千里が椅子を鳴らして足を組んだ。
「仁は貴女の為にヤクザに身を売った。東雲金融は東雲組の事務所だと気付いたはずだ。最初は結びつかなくてもね」
「身を売ったって、ほんとなの?」
未散が小さく聞いた。
元々、借金の原因は仁だったが、借金を作ったのは未散だ。
「だから帰れない。離婚届、未散持ってるなら役所に出して欲しい」
「……いや。いやよ。だってそれが今、仁と私を結んでいるものだから」
「未散」
「繋がりを消さないで」
「未散……? 未散が離婚届を俺に突き付けたんだよ?」
だって、と彼女は口を開く。
「仁は私の事冷たい目で見てた。試したの、仁を。私の事、まだ好きなのか……。仁が離婚届にサインした時の私の気持ちわかる?」
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