▼ 19
幹部会が終わったのは明け方だった。
あのあとすぐ、羽柴が来た。
「仁……」
小さく呟く声は誰にも聞かれていない。
白んで来る空を見上げて息を吐く。
「仁、帰ってこい……。お前の帰ってくる場所はここだろう……」
小さな足音に振り返る。そこにいたのは壱だった。
壱が隣に座る。
壱は千鷹に拾われた、情報屋だった。
普段は表に出てこない。壱の存在を知るのは極限られた数人だけ。仁も壱を知らない。
「壱。仁は戻ってくるか」
「千里。仁は何を望んでるの」
「……俺の元に戻ること」
「そうだよ。千里が弱気になってどうするんだよ」
「壱」
ふっと壱が笑う。
「そこは千鷹と似てない。千鷹はいつだって強気で前を向いてた」
「似てない? 嬉しいな」
似ていると言われてきた。それが何よりも嫌だった。
「壱」
壱を呼ぶ声に壱と千里が振り返る。
「神流」
壱が笑いかける。
「神流は壱を知っていたのか」
「……死ぬまで知らなかったですよ」
誰がとは、もう神流は口にしなかった。
「……神流、仁はお前の子、なのか」
「……昔、仁の母親と知り合った。でも、仁が俺の子か日下の子か、わからない。知るのは母親だけだ。そうじゃないか。生むのは女っていう性だ。日下と俺の血液型は同じ。DNA鑑定でもしない限りわからない。でも仁が俺の子ならいいとは思う」
「……親父は? 神流は親父一筋だろ」
「一筋か。時雨も俺もそうだな。好きでも性欲はある。若かったしな。でも、仁の母親との事は後悔してない。……仁の名前の由来は、仁義の仁だ。間違いじゃない。多分、俺が付けた名前のはずなんだ」
「なんで言い切れる」
「ふざけて言ったことがある。千鷹じゃなけりゃ、俺だって女がいい。子供が出来たら仁、もしくは仁義って名前がいい」
「じゃあ、仁は神流の子ってのも、強ち間違いじゃないんじゃ……」
「どうだろうな。そこは、仁の母親に聞くしかないし、案外彼女もわからないのかもな。仁がどっちの子なのか。当時、すでに彼女は日下と結婚していたしな」
「不倫」
壱が呟く。
「神流は仁が自分の子だったとしたら、どうする?」
「どうもしない。俺の子だと言って混乱させる気もない。つまりDNA鑑定なんてする気はない。今更わかったところでどうするんだ? もしかしたら離婚なんて事もある。俺には責任持てないし、彼女が俺のところに来ても、彼女を側に置くことは無理だ。俺には壱がいる」
千里は驚いた目を神流と壱に向けた。
「最初は千鷹を亡くした傷を舐めあってただけなんだけどね。千鷹を亡くして初めて俺は千鷹に恋してたんだと気付いた……。千里、千鷹は千里が思うような嫌な人ではないよ。でしょ? 神流」
「ああ」
神流は頷いた。
「千里、まだ起きる時間まで少しある。睡眠とらなきゃ。千里が倒れるわけにいかない」
「ああ……」
「神流、部屋に来るだろ?」
壱が神流を見る。
「その為に来たんだ」
笑みを零して神流は壱を促す。
千里は神流のこんな笑みを初めて見た。千里は神流が苦手だった。いつも表情を崩さない、厳しいことを言う神流。意外な一面を見た気がした。
「神流。昨日は悪かっな」
「初めて謝ったな」
「はっ、そうだな。神流は俺に厳しい」
肩をすくめ神流を見れば、苦い顔をしていた。
「千里。俺がお前に厳しいのはお前に期待してるからだ」
「神流が?」
「そうだ。俺がお前に期待してはいけないか?」
「そういえば千鷹が言ってたね。千里にとって時雨と神流は飴と鞭だなって」
「ああ、そんな事言ってたな」
目を細め、昔を懐かしむように。
こんな顔が出来たのかと、思う。
千里は神流を知らな過ぎた。
「さ、寝よう。俺、眠たい」
壱の言葉に頷く。
「おやすみ。千里」
「おやすみ、壱。神流」
神流はひらりと手を振り壱と廊下を歩いて行った。
「……仁。今すぐお前を抱きしめたいよ、俺は」
そんな言葉を吐いて千里も部屋へ入った。
千鷹の使っていた部屋。
机と椅子とベッドだけ。
この部屋のベッドはあまり使われていなかったと聞く。
椅子に座ってパソコンを開く。
千鷹が死んでから、専ら神流や千草が使うパソコンになっていた。
東雲組とは別のIT会社の書類をまとめ、会社に送る。
パソコンを閉じようとしたところであるアイコンに気付いた。
ワードのアイコンに“S collection”と書かれた文字。
「……?」
なんだろうとクリックした。
「……は?」
タイトルに千里とあり、制作者が東雲千鷹になっていた。
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