××でお迎え、嬉しいな


 ズドンという爆音と共に雨が降り始めた。
 それがバケツをひっくり返したような雨だということに気付いたのは、昇降口へ赴いてからだ。それまで一度も窓の外を気にしていなかったことに自分でも驚いた。さて、どうしたものかと考え込んだ門田の手元には折り畳み傘が心もとなく収まっている。
 見るからに、折り畳み傘では対応できそうも無い雨だが、今この状況下でもっとも優先されるべきなのは、自らの保身ではなく、バルコニーで雨風に晒されながら吹き飛ばされまいと懸命にハンガーに縋りつく衣類達だ。
 そう考えながら、しかして門田は呆然と土を跳ね返す雨粒を見ていた。
 朝、カーテンの隙間に広がった青空が恨めしい。
 その日一日の陽気を約束するかのような快晴に、慌しく洗濯物を干してから出かけたのがほんの数時間前。そこからたった9時間弱で天候はあざ笑うかのように門田の期待を裏切った。
 出掛けになって「今日、雨降るよ」とのたまい、自主休校を実行した折原のせせら笑いが聞こえるようだ。
 彼の、罠を仕掛けるまでの飄々とした態度と、獲物がかかった時の子供のような笑顔が簡単に思い浮かぶ。忌々しいには違いないが、それと同時に「仕方が無い」と思ってしまう。雨が予告なしで降るように、子供が悪気無く悪戯をするように、折原の行動に対しても同等の、諦めとは違う、穏やかな妥協が伴う。それはまるで糸のように軽くて、気付くのに少し遅れるが、空気よりは重いのでいつかはっと気付く。そうしていつのまにか巻きついた糸で首が絞まる。
 ぼんやりと触れた首の奥に熱いものがある。吐き出すには少し熱すぎるそれは、唇から零れることは無く、門田はただ奥歯をかみ締めた。雨はいつの間にか、その力を抑えている。今、思うままに口元を綻ばせてしまったら、気付かれてしまうだろう。
 それはあえて想定するまでも無く面倒くさい事態を招く。何よりも嬉しいとか照れくさいとか、奴の差し金通りに思ってしまいそうな自分がひどく面倒くさい。頭をかきながらそれでも保守派の格好を守るために俯いてため息を吐いた。
「やぁ!朝ぶり!」
 雨音に負けないように、校門から大声で声を掛けながら、それでもゆったりと傘をくるくる回しながら歩いてくる折原の腕にはもう一本、買ったばかりと一目で分かるビニール傘が心もとなく揺れていた。
「迎えに来てくれるとは思わなかった」
「お父さんって、呼びたくなったかな?」
「傘持って迎えに来るのはお母さんじゃなかったか?」
「タクシーで迎えに来たんだ」
「それは確かにお父さんっぽいな。発想が」
 折原は一頻りけらけらと笑うと、思い出したという顔をして門田の腕を引いた。
「なんかまだ用ある?校門に止めてあるから、急げ。生活指導が来る」
 おそらく、例え生活指導が出てきたところで相手が折原と分かれば簡単な諸注意で引き返すだろう。腕を引かれながら、よけ切れない小雨に足掻く彼の意図について、未だ考えが追い付かないことに居心地の悪さを感じだ。
 ただ無邪気に、それこそ友達のように、接する折原に対して、己の持つこの疑心はこの場に相応しくない。居心地が悪い、けれど手放すには惜しい不思議な感覚。
 振り返った折原は、飄々と「これじゃあ、洗濯物はもう駄目だね」言って笑った。
 そうしてあっけに取られながらも門田は、やっぱり妥協してしまうのだ。
「俺迎えに来る前に、取り込んどけよ」
「それが面倒だから君を迎えに来たんじゃないか」
 言いながら、不意に、じっと窓の外を見つめた折原はそのままタクシーを降りるまでずっと窓を見つめたまま、門田を振り返ることは無かった。何がそんなに面白いのかと、一度覗き込んでは見たが、門田にはそこまでの興味を引く対象は何も見当たらない。
「何か、あるのか?」
「何が?」
「外」
 折原は声だけで笑いながら「内緒」と意味深に答えた。ということは、何かあるんだろう、良かったと、腕組をして一人意味も無く納得する。瞑想してただなんて怖い答えが無くて何よりだ。どうせわかりはしないと知りながらそれでもヒントになるものが見つかりやしないかと、門田もじっと折原の後頭部越しに流れる街路樹を眺めてみる。
 昨日と大差ない視界の端で、非日常が不思議そうに首をかしげた。
 くしくも帰宅した途端、夕立はからりと上がった。このまま一晩放置しておけば明日の朝には乾くのではないかと考えもしたが、そう怠惰にもなりきれずベランダを覗き込めば、洗濯物はそこに無い。まさか風で飛ばされては無いだろうとベランダ越しに庭を眺めてもやはりこそのには、雨上がりの艶やかな芝が茂るばかりだ。さてどうしたものかと考えるのも面倒になった頃、ようやく見つかった洗濯物達は門田の部屋に雑多に放り込まれていた。門田は呆れながらキッチンに立つ折原にすぐにばれる嘘つく理由を尋ねたが「お父さんって呼んだら教えて上げるよ」とマグカップを差し出しただけだった。「お父さん」が逃げ口上にされてしまったと気付いたのは、今更だった。




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