―舞台裏で、待っていて―



 それは小さな、小さな劇場だった。
 外界から切り離された空間で、二人はクルクルと即興劇を演じていた。台本なしに進んでいく芝居の展開はあまりにもくだらない。ソレを真剣に演じ続ける自分たちが可哀想なほど滑稽だったので折原は何度も舞台から落ちそうになった。けれど毎回、折原はスポットライトの下へ、一歩一歩確かめるようにそっと戻っていった。いい加減にしろよ、馬鹿馬鹿しい。その台詞を一言吐けば、緞帳が下りることなど開演前から知っていたのに。
 最後まで言わなかったのは安寧かのせいか、それともその安寧に恐怖したせいか。どちらにしろ、折原が自分で自分の首を絞める結果になったことに変わりは無い。

『無様だね』

 誰もいない観客席で沈黙が笑っている。代弁者は岸谷だ。目を閉じれば、あの嫌みったらしい笑顔が瞼の裏に浮かんだ。騒々しい繁華街を尻目に路地裏で膝を突いた折原は、溶けて無くなってしまいそうなほど暗闇に紛れた。

「…寒い」

 がたがたと震える右手で、同じように痙攣する左腕を服の上からきつく押さえつける。折原自身はあらん限りの力をもってして止血をしているつもりだが、寒さと痛みでどうにも力が入らず、体中の血液が全てそこからあふれ出て行ってしまっているような感覚で眩暈がした。
 拳銃で撃たれた。正確に言えば上腕を弾がかすった。拳銃の殺傷能力からしたら大した怪我ではない。しかしあの近距離から狙って打ったとして、この程度の傷に収めたのなら、折原を殺すことよりも折原に「拳銃」で傷をつけることに意味があったと考えたほうが合理的だ。そして考えるまでも無いが、差し金はおそらく岸谷。病院では治療できない類の傷をわざわざ付けて、おびき出そうとしている。舐められたものだなと、思ったが掠り傷であっても溢れる血液と異常な痛みに判断力が鈍っていくのも確かだ。してやられたと思いながら、どうにでもなれと思ってしまった自分がいる。
 ぐらぐらと揺れる視界とは裏腹に、頭の中が色々な選択肢でがっちりと埋まっていったが、岸谷への報復および罵倒という点では一貫していた。畜生、覚えていろよ。掠れていく視界の端で、岸谷はやっぱりニッコリと微笑んだ。
 暗転。

 
「無様だね」

 言うと思ったという顔をして、それでも甘んじて罵倒を受けたのは、彼の言い分が正当だと判断したからだ。
 岸谷の自室は、客間よりも室温が低い。寒いと訴えるほどではないが、だからと言ってずっとその場にいたいと思えるような温もりは見出せない。結局、ただ黙って珈琲をすする以外に折原は何もしなかった。出来なかったともいえる。岸谷の手の内に落ちたときから、折原の行動は制限されているのだ。下手に動くと、掠り傷では済まされないのは明白である。
 あんなにも痛覚を齎した怪我は、やはりただの掠り傷で、鎮痛剤さえ飲んでしまえば何のことは無い。数針塗って治療はすんだ。一見して簡素な手当てに見える。それでもやはり怪我は怪我なので、一応左腕を庇ってはいるが生活するうえではさして支障も無い。ストゥルルソンが淹れた珈琲をテーブルに戻して、ソファーに行儀悪く足を投げ出す。冷たい皮の上を素肌がすべる感触が心地良い。

「シズちゃんって演技力無いよね。だって一晩たったら全然雰囲気違うんだもん。明らか別人。元に戻ってますーって、顔に書いてあった。一人でなんか戸惑ってたしね。記憶戻ってないフリしながら嘘ついた時とか。あと俺に親切にされると、なんか照れて小学生みたいな反応の仕方してたよ。それが面白くて、つい、ね。本当は後でからかうつもりだったんだ。でも何でだろ、結局出来ないまま…、ねぇ、やっぱ俺、格好悪い?」
「君の格好いいとこなんて見たこと無いなぁ」

 今から思えば、どれを取っても無様だった。自分でもそう思うのだから、傍から見たら相当だろうとも予測できる。けれど岸谷がそんなに不機嫌になるのはおかしいんじゃないかと言わざるを得ない。ことの次第を招いたのは君じゃないか。不平不満はいくらでもある。だがしかし言いたいのは山々だが言ってしまった途端、相手がニッコリと笑うことを分かっていたので、流石に口にすることは出来なかった。

「運び屋を巻き込んだから怒ってるんだったろ?」

 これ見よがしに左腕を摩れば、つまらないものを見るように岸谷がちらりと視線を寄こす。

「妬くなよ」
「仮死状態にしてやらなかっただけありがたいと思え」

 その無表情に何かしらの満足感が隠れていることを折原は知っていた。彼は折原に傷を付けて治療することに、ある一定の意義を持っている。正義感ともフェチズムとも違う何か。一般人には分からない、それこそが彼がマッドドクターである所以なのかもしれない。

「…怖いなぁ」

 他人事のように当事者が呟くのを、やはり当事者がため息で諌めた。

「君たちはなんだってそんな風に話をややこしくするんだろう。君はあの場で恥をかけば良かったんだ。シズオに、『君と仲良くできるのが嬉しくて、子供みたいにはしゃいで、引っ込みがつかなくなってしまった』ってさ、言えばよかったんだよ。あーくだらない」
「…生き恥を晒すくらいなら、舌噛み切るよ」
「はは、いい覚悟だ。でも…シズオってセルティの友達なんだ」
「俺は君の友達だけど?」
「シズオも僕の友達なんだよ。さぁ、選んでくれるかい。ちょっと僕の恋人のために役立つのと一年間植物人間になるのと、どっちが良い?」

「植物って毎日話しかけると成長が早いんだって、あれ本当かな?」
「…さて」
「毎日話しかけてよね」

 珈琲の茶色く濁った色と、あの独特の焦げ臭さは薬のえぐみを隠すのに最適だ。それを承知で、試すように舌先で弄んでいた。折原の髪をそっと撫でる岸谷の目には数分後の人形になった自分が写っている。ぐいと飲み干す。何かの感情を隠すような相手の表情に、指先の血液が止まっていくことを確信した。なぜだか不意に、傷口が痛んだ気がした。
 暗転、暗転。

「なんで、目が覚めるんだろう」

 真っ暗な部屋は、目覚める前よりずっと室温が低い。寒いと、思うより先に吐き出した息が凍り付いていった。

「もう一年たったのか?」
「俺がシンラに頼んだんだ。イザヤをくれって」
「それだけでシンラが君の言うこと聞くとは思えないなぁ。何?どういう取引があったの?」
「…手前を殺さないって約束をした。」
「……」
「次、会ったら確実に殺そうと思ってた。…ずっと考えてたんだ。どうやったらお前は俺のそばにいるのかって。ようやく分かった」
「……」
「どこにも行かせなきゃ良いんだよな」

 誰に投げかけるでもない質問の答えを、奥歯で噛み殺して口元だけで笑う平和島は、折原の知っている彼ではなかった。全くの赤の他人を前にしているような、ぎこちなさが拭えない。
 心が壊れてしまった。そんな顔をしていた。
 幻を見ているのかと思えるほど、闇に溶け込んだ金髪に手を伸ばす。シルクを撫でるような冷たさが、折原をまた眠りに誘った。ゆっくり目を閉じる。もう二度と目覚めたくない。泣きたいけれど、泣いてはいけないと知っていた。慈しむようにキスをする平和島のかすれた声に、気付かないフリをする意味を探す。

「…好きだ…」

 焼けるような痛みで、胸が張り裂けそうになる。どうしてこんなに悲しいのか、言葉にすることも出来ないまま祈っていた。神様どうか、一日も早いやすらかな眠りを我々に。可哀想な彼がこれ以上泣かなくて良いように、どうか、どうか。

「…なんだか、とても、切ないね…」

 零れた言葉に、彼の顔が歪んだのが分かる。けれど確かめることは出来なかった。来る安息へ身を委ねるように折原ははあと息を吐く。ほんの少しだけ、まだ彼とこの感傷を舐めあっていたいと思う。舞台から転げ落ちていく感覚に、もう嘘を偽る必要が無いのだと安堵した。今はただ。
 暗転、暗転、暗転。


続く




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