―懺悔―





 折原イザヤは、門田キョウヘイをお人よしだと言って笑う。
 心底哀れんでいるといった物言いをする折原の表情は、どこまでも満足げだったので、元々否定をするつもりは無かったが、門田は毎回「そうか」とだけ答えて傷ついたフリをしてやった。それだけで十分だった。折原はいつも傷つけたと勘違いして泣きそうな顔をする。どっちがお人よしだと言いたいのをぐっと堪えて、門田は彼を慰めるために腕を伸ばした。その顔を見ることが出来ただけで十二分に、見返りがあると思う。内緒話でもするように門田の耳元へ擦り寄った彼は、また「お人よし」と呟いた。不意に、門田は責められているのだと気付いた。いったい何に対してかは分からないけれど、折原は彼の行動にひどく怯える。自分のしたかった事を簡単にやってのけるからだと折原は後に語った。それはまるで人を傷つけた全ての事柄を覚えているような物言いであった。

 いつの間にこんなに秋が深まっていたのか、もう午後6時ともなればあたりは真っ暗だ。ただでさえそんな時期であるのに、今日は台風が上陸しただのしてないだので、朝からずっと雨が降っている。門田は、まるで世界が終わってから三日が過ぎたというような暗雲を、楽しげに見つける飼い猫を思い出してこの陰鬱な空気から気を紛らわせた。こんな天気の日は大抵良くない事がある。

 「こんな雨の日だってのに、ちょっと先の角のとこ、あの赤い屋根の家の前、あそこ通りがかったら、子猫が道路の真ん中で蹲ってた」

 帰宅した門田は「ただいま」もないまま、折原に先ほど起こったちょっとした出来事を報告した。濡れてはいないが、外の湿気を吸い込んでいるような気がしていそいそと部屋着に着替える。それを横目で確認すると、折原はまたつまらなそうにラップトップの画面を覗き込んだ。

 「親猫を呼ぶ声ってのは嫌なもんだな、聞いてられねぇよ」
 「駄目だよ」
 「……」
 「君は一人暮らしで、子猫なんて手の掛かるもの育てられないでしょ。そーゆうのはヘタに手を出したら駄目なんだ。手で持ち上げるだけで駄目。もしも親猫が助けに来たって人間の匂いがしたら我が子を自分の血肉にかえすよ。中途半端にしたらしたぶんだけ、どっちも痛い目を見る。それにきっともう助からない。道路の真ん中にいたんならもう轢かれてる可能性だってあるし、雨はドタチンが通りかかる前からずっと降ってたんだ、今更介抱してやったって明日の朝には死んでるさ」

 なるほど、彼には同情や泣き落としは効果が無いようだ。門田が言わんとしていることを見越して、はっきりと牽制をかけられてしまった。さて、どうしたものかと窓の外を見やっても、カーテンの隙間には暗闇が沈黙している。一抹の不安を覚えこそすれ、この先になにかしらの希望なんてもの無いのではないかと思えるほど、その先は黒い。時折聞こえる車体が水で滑る音だけが、雨が降っていることを証明していた。
 ふと、折原の物言いが普段よりもかなり感情的だったことに違和感を覚えた。まるで初めから出来上がっていたかのような理論に、おそらくこの口上で過去にも言いくるめたことがあることは想像にたやすい。そして、その言いくるめられたものの中にはきっと彼自身も含まれてるのだろう。先程から、何かを考えるかのように折原は画面をじっと見つめる、その顔には侮蔑とも嘲笑ともとれない歪みが刻まれていた。

 「…したことあるのか?」
 「……」
 「中途半端に」
 「…あると思うかい?」
 
 あえて揺さぶりを掛けてみたが、どうやら間違いないようだ。何かが彼の琴線に触れようとしている。先ほどから一切視線を合わせることが無かった相手が、眼光鋭くにやりと笑うのだ。牽制。牽制。牽制。この笑顔は門田を拒む壁以外の何者でもない。これ以上はもう何も喋らないだろう、と判断を下して門田は「夕飯、食ったのか?」と話しを逸らした。
 食べてはいないが食べたくは無いと甘える折原に、無理やり夕食を取らせて、風呂に入れて、寝かせる。その作業はよくよく考えてみればかなり面倒なものだったが、実際やっているとそんな気はしないのが不思議だ、と門田は思った。そもそも折原は何でも勝手気ままにやることが多いので、こちらから手を伸ばしたい時にだけ伸ばせばいいような、そんな存在なのだ。時々甘えてくるときにだけ、撫でてやればいい。そう思えばとても楽なような気もするが、世話焼きの門田にとっては物足りないものがある。きっとソレすら見越して、こうやって身を寄せてくるのだろう。暗い部屋の中で、寝たフリをしながら、隣で丸くなる彼を想っていた。
 爆撃でもあったかのような雷鳴で目が覚めた。暗闇の中、時折雷光が端って辺りを明るく照らす。折原はもう隣に居なかった。鼓膜を揺さぶる騒音に反してゆっくりと枕に顔を埋めてから、唸りながら一度のびをして上半身を起こす。携帯を確認してから、そっとあたりを見回したが、しんとした部屋には、やはり彼の気配は無い。大分前に部屋を出たようだ。しかたねぇな、と呟いて門田は部屋着を脱ぎ捨てた。急ぐ必要は無かったが、急いだほうがいいだろうと思う。不意に「お人よし」と折原が笑ったような気がした。

 「昔、クルリとマイルも子猫を拾おうとしたことがあった。今日とは間逆のとても暑い日で、子猫は見るからに弱っていたらしい。らしいというのは、言葉のままだよ。俺はそれを聞いただけという意味。…目やにが酷くて、あれではきっと何も見えてなかったって言ってたな。でもそれを二人は見捨ててきたって、そんなくだらない報告だった。俺は昔から二人に面倒が見切れないなら手を出すなって言ってあったからね。二人はソレを忠実に守ったといいたかったんだろう。泣きながら、わざわざ報告をしてきたんだから。まぁ、あれは命令に正しく従ったのだと、責任転嫁したかったのかもしれないね。小学生には子猫一匹の命も重たいんだ。猫は本当、あの暑い中よく鳴いたよ。ああ、実家の二階ベランダからその子猫が見えたんだ。いや、実際アレを見えたというのはどうかと思うけど、俺には消しかすみたいなのが動いている程度にしか見えなかったし。でも鳴き声はよく響いた。四苦八苦っていうの?助けを求めてるのが、人間にだってわかった。…ふふ、笑えるのが、あいつらさ『ちゃんと見捨ててきた』っていうわりに、ずっとベランダから猫を見てるんだよ。まるで檻に入れられた動物だったね。だから『いい加減にしろ』って言って…俺は…」

 折原は、「赤い屋根の家の前」で、雨に打たれながらじっと地面を見つめていた。

 「ドタチン?」
 「それ、いつの話しだ」
 「さぁ、いつだったかな。忘れちゃったよ、もう、何年も前の話だ」
 「嘘だな」
 「本当だよ、でも、なんだろう、時々だけど、突然ふっと思い出す」

 真夜中であるのに、時折雷光が闇の中に折原を青白く浮かび上がらせた。深く項垂れる彼は覇気がなく、次に雷が光って暗闇が訪れたら途端に消えてなくなってしまいそうだ。
 お人よしだな、そういってわらった門田に、折原は酷く狼狽して見せた。そうかな、そうだろ、おかしな問答だと思う。けれどとても大切なことのように思えた。

 「夕方になって、あいつらが泣き疲れて眠ったのを確かめてから、こっそり猫を見に行った」
 「……」
 「猫はもういなかったよ。まるで夢見たいに消えてなくなってた。本当、みんなどこいっちゃうんだろう」

 手を伸ばそうと決心したときには、もういない。まるでこっちが見捨てられたみたいだと何も無い地面を見つめながら折原は力なく笑う。
 何か咎められるのを恐れるように、そっと顔を背けた折原を抱きしめて、門田は深くため息を吐いた。いじらしい。そう思わずにはいられない。そんな小さな傷を自ら抉って、そんな小さな命がこんなにも彼に圧し掛かっている。ぽつりぽつり涙のように落ちていった懺悔を、どうにかして拾ってやりたいと思わずにはどうしたっていられないのだ。

 「悪い、もっとちゃんと言えばよかった」
 「……」
 「…猫、貰い手ついたみたいだ。遊馬崎が書き込んだ掲示板に返事があったらしい」
 「……」
 「貰い手がつかなきゃ俺が飼うつもりだったんだが、どうにもうちの猫が焼餅焼きだからご機嫌を取ってる間、預かってもらってた」

 言い終わるや否や、門田の肩に頭を乗せていた折原が、ため息を吐いたのがわかった。呆れか安著か、なんにせよ彼がこれ以上自責の念に駆られないのならば何でもいい。

 「…君、そんな無責任だったっけ?世話とかどうするつもりだったの」
 「どうせお前、昼間は暇だろ」

 言いながら、せっせと猫の世話を焼く折原を想像して門田は微笑まずに入られなかった。もしも門田に引き取られたとしたら、きっと子猫は彼の高説を拝聴することになったことだろう。そして彼の膝でとろとろと眠るのだ。なかなか悪くない光景だと思う。

 「…猫がドタチンより俺に懐いても、焼餅焼くなよ?」
 「はは、自信ねぇな」

 しがみ付く折原の背をぽんぽんと撫でて、宥めてみたが「声が震える理由」を寒さだと言い張るため、彼が伏せた顔を上げることはなかった。



終わり



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