数日前に訪れた名前の部屋の窓を、あの時とは違って僕は乱暴に叩いた。本当だったら壊してしまいたかったけど、そんな衝動はなんとか自分の中に押し止めて、反応を待つ。そのちょっとの間にも、僕の身体から感情が溢れそうで、僕は堪える様に窓ガラスを見詰めていた。白いレースの向こうに人影が見えて、僕はもう一度ガラスを叩いた。それに促される様にして、レースが開く。ガラス一枚隔てた向こうには、見慣れない普段着姿の名前が、驚いた様に目と口を開いて、鍵を開けた。






「雲雀さんどうし―」




名前が言い終える前に、僕は名前に詰め寄る様に部屋に上がった。僕の雰囲気に気圧されたのか、名前は土足の僕に何か言うでもなく後退る。名前は戸惑いの中、徐々に怯えた色を浮かべ始めていた。一歩、一歩進む僕に、壁際に追い込まれた名前は狩られる前の小動物そのものだった。どうして、とでも言いげなその表情に僕の衝動が一気に膨れ上がる。






「……それ、」



怯えたままの顔で、名前が小さく口を開いた。僕の手に握られていた進路調査表。もう目にするのも厭で、僕はそれを床に棄てた。カサリと乾いた音がして、名前がそれを目で追う。自分のものだと知ったのか、名前は眉を下げるようにして目を伏せた。









「最初から、そのつもりだったの」



「…え?」



僕の低い声に名前は身体を小さくして視線を寄越した。揺らぐ黒い瞳を、僕は射る様に見詰め返す。






「最初からいなくなるつもりだったんだ」




僕の問いに名前は応えなかった。僕から目を逸らして、口を噤む。沈黙は肯定だ。そう思うと同時に押さえていた感情が噴き出した。咬み殺したい。壊したい、この子を。トンファーを手にした僕は、その衝動のまま腕を振り落とした。










衝撃音と共に、壁に亀裂が入った。パラパラと壁の傷から破片が落ちる。その僅かな音が止んだ後、ストン、と糸でも切れたみたいに名前が床に落ちた。僕のトンファーは名前の頭から数センチの所で止まった。止めたのは他でもない、僕だ。

壊せなかった。僕にはこの子を壊せない。
壊したいのに。どうして、なんで出来ない。解らなくて苛立ちばかりが膨らむ。見下ろした先にはへたり込んでいる名前がいて、その小さく萎縮した身体を視界に入れているのが耐えられなくて、僕は床へと目を逸らした。トンファーを振るう前よりもずっとずっと苦しくて仕方ない。胸が、苦しいんだ。何かが胸から喉元まで圧迫しているみたいに






「―本当に、イラつくよ」



「君はなんなの」



「何様のつもり?僕を差し置いて勝手な事をして。君がそんなのは愚かだとは思わなかったよ。もういい、君なんかいらない、」




その何かを吐き出したくて、僕は口を開き続けた。でも吐き出しても吐き出しても胸の苦しさは抜けない。喉が詰まったように声を出すのも苦しくて、痛くて、トンファーを握る手を僕はもう一度振り上げた。






「消えてよ、僕の前から」




「……ひばり、さん」



小さく固まったままだった名前が僕の名前を呼んだ。ピタリと僕の腕が僕の意志に関係なく止まる。名前はきゅ、と眉を寄せ、黒い瞳には見る間に涙が盛り上がった。それに僕の胸は締めつけられるような感覚を覚える。




赦せなかった。名前が。
「並盛に来て良かった」と「この街が好きです」と言ったくせに。僕の前でだけ笑って、泣いてたくせに。それが僕は嬉しかったのに。名前はそれを棄てようとしている。はじめから、そんなものなかったみたいに、一人で、勝手に、簡単に

だから苦しくて赦せなくて憎くなって、もういらない、そう思ったのに、泣きそうな顔の名前を見ると、触れたくなる。線の細いその身体を抱き締めたくなる。
どうしてだろう、赦せないのに、憎いのに、







「ごめんなさい」



「…それは何に対しての謝罪だい?最期に聞いてあげる、赦さないけどね」



言い棄てて、僕はトンファーを握り直した。この腕を振り下ろせば終わる。きっと、この胸の苦しさもなにもかも、
狙いを定めるように目を細めた僕の視界が滲む。ぼやけた視界の中、名前が僕の名前をもう一度紡いだ。






「雲雀さんが、」



苦しそうだから

小さな涙声でそう紡いだ名前は、ぱたぱたと床に涙を落とした。どうして僕が苦しそうだと泣くの、そもそもどうして僕は苦しいの。
ねぇ教えてよ。泣いてないで、僕に教えて。君の涙は僕をもっとずっと苦しくする。だから見たくないんだ。
カランと僕の手からトンファーが抜け落ちた。空になった僕の手は、名前に伸びて、涙で冷えた頬に辿り着いた。その時解った。どうして僕は名前を壊せなかったのか、どうして僕は苦しいのか。答えがそこにあった。

僕は名前が好きだ。







110528





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