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「あ、ありがとう」
断られる覚悟で誘っていた明美は、まさか了承の返事が返ってくるとは思っていなかったので驚き半分喜んだ。
ふんわりと笑みを浮かべた明美を見て、女達が騒ぎ立てるのも分かるなと琢磨は内心思った。
「えっと、こっち」
人が少ない通りを探そうとキョロキョロと辺りを見渡して琢磨を誘導する。だが如何せん二人はこの学校では有名人。それも光と影がセットで居ることなど今まで一度もなかったので、何事かと野次馬が次から次へと集まってくる。
「…あ、う」
その事に明美は焦った。
今からする会話は絶対に誰にも聞かれたくない。
それにあまり悠長にしていると琢磨に逃げられてしまうかもしれない。だけど内気な性格の明美はどうすることも出来ずにただ辺りを見渡していた。
「チッ」
それにいち早く気付いたのは琢磨だ。
ウジウジしている明美にもガヤガヤと煩いギャラリーにも苛立っていた。目立つことはあまり好きではない。
了承したものの付き合ってられねぇと言って帰ってしまおうかとも思った。だが琢磨はそうはせずに、「てめぇらあまり煩くしてると殴るぞ」とドスの利いた声を出して近くに居た奴に牽制をする。そうすれば生徒達は一斉に静かになり震え上がる。
「…行くぞ」
「……あっ、」
そして琢磨はボケッと突っ立っている明美の手を取って歩き出した。
二人を追ってくる間抜けな者など…誰一人居ない。
暫く歩いた後。
今では使われていない空き教室を前にして琢磨は止まった。明美もそれに伴って止まる。
「此処まで来たら誰も来ねぇだろ」
「あ、うん。…ありが、と」
パッと離された手。
明美は琢磨と触れ合っていた手と同様に、火照った頬を隠すように俯いた。それに目敏く気付いた琢磨は不審そうに目を細めて明美を見る。だが下を向いている明美がその目に気付くことはなかった。
「で、用件は何だ?」
「…う、うん」
前振りなど一切なく直球な物言い。
琢磨らしいと明美は頬を緩めた。だけど今から自分が言う台詞を思い出したら顔が強張ってしまう。
気持ち悪がられたらどうしよう。断られたらどうしよう。もちろんその反応が一般人として正しい反応だ。だがやはり自分を否定されるのは苦しい。
だけどここまで来て、「やっぱり何でもないです」はないだろう。それこそ琢磨の逆鱗に触れること間違いなしだ。殴られるだけでは済まないだろうし、今後一切琢磨と喋ることだけではなく近寄ることさえも出来なくなるはず。それだけは絶対に嫌だ。
そう思った明美は意を決して口を開いた。
「じゅ、十万円…で」
「……?」
「その…お、俺の事、抱いてくれませんか?!」
力が入って思っていた以上に声が大きくなってしまったことに明美は後悔する。だけど小さ過ぎて聞こえなかったというオチよりはマシかもしれないと必死に思い込む。こんな恥ずかしい台詞を二度も言うのは耐え難い。
「………」
おそらく十万円が入っているであろう茶封筒を差し出された琢磨は予期せぬ展開に言葉が出なかった。
それもそのはずだ。
いつも女にキャーキャー言われている男が、自分に向かって確かに抱いてくださいと言ってきたのだから。
それに抱くというのはただ腕を回して抱擁してくれという意味ではないのだろう。
抱く。
明美は琢磨に「肉欲的に抱いてくれ」と頼んできたのだ。
男の明美が、男の琢磨に。
琢磨は差し出された茶封筒から明美に視線を変える。
「……っ、」
そこには恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めて俯いたまま下唇を噛み締める明美が居た。まるで今にも爆発してしまいそうなくらい。
そんなに恥ずかしいのならばこんな事言わなければいいのに。そう思った琢磨は茶封筒を受け取ることも叩き落すことも出来ずに暫く明美を見続けた。
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