一週間前、俺と仁湖は授業を抜け出して屋上に行った。そのときの記憶は、俺にとってまだ真新しい。
…それほど俺にとっては嬉しかった時間であり、驚きを受けた時間だったから。
まずは「葵」と呼んで貰えたこと。
まさか名前一つであんなにも嬉しいと、恥ずかしいと感じるなんて思いもしなかった。あのときの俺はよく理性を保ったと自分でも思っている…。
そして何より、
『今度、高瀬の家に…、
…行ってもいい?』
この一言に尽きる。
以前の、“付き合い始めたばかりの俺たち”ならば普通に“一つ”の意味しかなかっただろう。
「ただ単に俺の家に来る」。
…だが今は違う。
この仁湖の台詞には色々と意味が込められているのだ。ただの俺の考え過ぎということではない。
…きっと仁湖も思っていた上で、俺に発言したんだ。
これは間違いなく、「恋人同士のセックスのお誘い」なのだ。
「………」
「…………」
「……っ…、」
しかしどうにも俺が想像していた甘い時間ではなく、緊張で張り詰めた空気で刻々と時間が過ぎていく。
俺の家のソファに座っている仁湖と、その隣に座っている俺。視線を合わせるわけではなく、喋るわけもなく、ただ隣に居る“互い”を意識だけしている。
「…………、」
「……」
俺は自分が凄く「奥手」だということは嫌というほど分かっている。脳内では色々と“事は済ませている”のだが、どうも現実では上手く行かない。
シミュレーションはばっちりなのに、どうも実行に移せない。
だから今日は勇気を出して「俺の家に来い」と仁湖を誘ったんだ。仁湖は驚きの表情を浮かべた後、すぐに意味が分かったのか、恥ずかしそうに頬を赤らめた後、たった一度だけコクンと頷いた。
そこまでは良かった。
だが今はどうだ。
甘さの欠片もねぇ。
…俺がリードしなくてはいけないのは、重々承知している。
だがどうすればいい?
「無理矢理押し倒す」?
「愛を囁いてベッドに連れて行く」?
「一緒に風呂に入る」?
どう行動に移せばいいのかが全く分からない。
若さという言葉に甘えず、“初めて”というものを仁湖に捧げられるのは凄く嬉しい。
だが一度も経験したことがないが上に、今俺は困っている。
いきなり押し倒して上に跨ってくる馬鹿女は山ほど居たが、どれも今の参考にはならない。
「…………っ、」
そんな事を考えていたら、隣から息を呑むような気配が感じられた。
俺はチラリと視線を、好きで堪らない仁湖に向ける。
…すると、
「…………ぁ、…」
視線がぶつかった。
目が合ったことに、驚いているのは俺だけではなく仁湖も同じなのだろう。
「…あ、ぃや、…えっと、その…、」
慌てて俺から視線を外した後、仁湖は白くて柔らかい頬を赤く染めた後、恥ずかしそうに身体を丸めて縮こまった。
…そして膝の上で握り拳を作っていた。
その仁湖の姿を見て、俺は自分の愚かさに気付いた。
仁湖にこんな思いをさせてまで、何を戸惑っているのだろうか。
仁湖はかなりの恥ずかしがり屋。
それなのに今回は勇気を出して“きっかけ”を作ってくれた。
恐らく今回のチャンスを逃したら、きっと俺たちは二度と身体を繋げられないだろう。
確かな根拠はないが、きっとそうだ。
仁湖は俺の代わりに勇気を出して誘ってくれた。
だから今回勇気を出すのは、
…俺の番だ。
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