天槍のユニカ



秘密の蓋(8)

 更に彼らの父、前テナ侯爵は、公国で『四公』と呼ばれた重臣のひとりであり、クリスティアンの継いだ家名は特別なものだった。『四公』とは、前テナ侯爵、大公の従姉にあたるグリーエネラ女公爵、内政の補佐役シュテルン公爵、そこへ大公自身を含めた、公国の軍政、文政を司る四人のことである。テナ侯爵とグリーエネラ女公爵がトルイユに接する国境を守り、大公とシュテルン公爵が内政と外交を取り仕切るというのが、当代の大公の政だった。
 先のテナ侯爵が戦没したあとも、大公がテナ侯爵家に寄せる期待と信頼は大きく、早々にクリスティアンが爵位を継ぐことが認められた。彼に次代の『四公』の一席を担わせるという意思を、大公は明確に示したのだ。それはつまり、テナ家にディルクの後ろ盾という立場を解かせ、彼らの持つ力は、すべて大公の継嗣であるエイルリヒに与えると宣言したも同じだった。
 ディルクに対してどんな情があろうとも、クリスティアンはディルクの許を離れ、大公か、次代の大公であるエイルリヒの直属の騎士となるのが当然の流れだ。
 しかしクリスティアンはそれを辞退したらしい。まだ前線に残り戦功をあげたいと言って、南部の国境守備に当たるレオノーレの騎士団に籍を移した。クリスティアンをいち騎士としてしか扱わないレオノーレのおかげで、テナ家の勢力が現在誰についているのかは曖昧になっている。
 クリスティアンが身一つでディルクの許へやってきたとしよう。それでも一度は当主の座に就き、これまでにも多くの戦果を挙げている彼が号令すれば、門家の騎士たちを動かせる可能性がある。ようやく、エルツェ公爵、そしてブリュック侯爵とよしみを通じ、最初の勢力基盤を得たディルクにとっては、三つめの大きな駒となり得る友人、それがクリスティアンだ。
 しかしバルタス戦役のあと、ディルクはヴィルヘルムと同じようにクリスティアンのことも遠ざけていた。
「……ユリウスのことを気にして、クリスを避けてるのね」
 陰鬱な陰に曇るディルクの横顔を見上げ、レオノーレはきゅっと腕に力を込める。兄の抱える冷たい澱を知っている彼女でさえ、言える言葉は少ない。いや、ディルクが抱え込んでいる氷塊は、他者が何を言っても溶かすことの出来ないものなのだとレオノーレは思い知っていた。
「……戦から帰って、一度でもクリスと話したの? ちゃんと一緒にユリウスの弔いをしたの?」
「……そんな暇はなかったよ」
 ディルクは妹の視線から逃れるようにふいと顔を背ける。嘘ではなかった。戦後処理で二ヶ月近く駆けずり回ったあとに大公から謹慎を命じられ、自由な外出もままならなくなったのだ。そのあとは、――そのあとは、どうしただろう。ディルクの中には記憶もおぼろな日々が繰り返すばかりだった。

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