天槍のユニカ



軋む梯の上で(11)

「そう。不思議な音だしね。私には女性の泣き声に聞こえることがあるよ。どうぞ」
 半ば独り言のように呟きながら、彼は白銀の馬の毛が張られたフィドルの弓を、ひょいとユニカに手渡してきた。話題が反れたのはいいものの、これを受け取ってどうすればいいのか分からず、彼女はきょとんとしながら、肩当てのねじがしっかり締まっていることを確かめるディルクを見つめる。
「誰も、私がシヴィロ王国の世継ぎになるなんて思ってはいなかった。私ですら考えていなかった。私の死に場所は、ハンネローレ城の中なのだろうなと皆が思っていたよ。剣を置いたあとは、好きにフィドルでも弾いていればいいんだと。でも、従弟のクヴェン王子には申し訳ないが、ここへ来てよかった」
(死に場所――?)
 生きる場所ではなく、死に場所。聞き返そうと思うほどでもない、ふとした違和感だった。次の瞬間差し出されたフィドルに気を取られて忘れてしまうほどの。
「……?」
「楽器を左肩に載せて。ああ、その前に立った方が、」
 促されるまま立ち上がろうとすると、ディルクはさっとユニカの右手を押さえた。弓を持っていたことを忘れて、テーブルの縁にぶつけそうになっていたようだ。
 この楽器が彼にとって大切なものであることは間違いないらしく、大変素早い反応だった。しかし困るのは、そのために更に距離が縮まってしまったことだ。
「弓はまず降ろしておいて、先にフィドルを肩に載せるんだ」
 ユニカをテーブルから一歩離れたところに立たせると、彼は自然にその背後へ回った。
 何故こんなことに、と思いながらも、初めて間近で目にするフィドルを、ユニカはまじまじと観察する。音楽の善し悪しや楽器の仕組みにはまったく疎いけれど、興味はあった。
 日の光を弾くツヤツヤした胴、その曲線も美しいし、ぴんと緊張した弦を支えている駒には何やら可愛らしい模様の穴が空いている。何か意味がある形なのだろうか。面白いなと思っている内に、突然弓を持っていた右手を掴まれた。
「っきゃ……!?」
「はは、すまない。少し手を借りるよ」
 ディルクはユニカの手の上から弓を握り、彼女が左肩に載せたフィドルの弦にそれを宛がう。右手がわずかに押さえつけられた気がした。その絶妙な圧力を掛けたまま弓を引くと、フィドルは泣くようによく響く声を上げる。
「肩と左頬で挟むようにして、しっかり支えて」
 耳元で指示されるままに従い、弦の上から黒い指板を押さえるディルクの指先の動きを見守る。右手は相変わらず彼の手に包まれたままだ。ゆっくりと弓が滑るのに合わせて、弦を押さえるディルクの指が変わった。人差し指、中指、薬指、段々と音が高くなった。
 肩と頬を通して伝わるフィドルの震えも少しずつ変わる。不思議だ、どうして弦を押さえたり撫でたりするだけでこんなに色々な音が出るのだろう。
「こんな風に、いつでも触れられるところにいて欲しいんだ」
 メロディにもならない、けれど初めて奏でる柔らかなフィドルの音色に酔いかけていたユニカにとって、それは完全に不意打ちだった。
 ほとんど耳朶に唇が触れるような距離で囁かれた言葉。

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