天槍のユニカ



軋む梯の上で(9)

 ディルクの顔は、とても山のような仕事を前にしてうんざりしているようなものではなかった。まったく苦に思っていないのか、真面目に取り組む気が無いのか知らないが、ぽろんぽろんとフィドルの弦を弾いては暢気に音を調整している。今日も、どうしてそんなに忙しい中温室へ来ているのか謎だ。
「今、ダンスの教師が西の宮に来ているわ」
「ダンス? 君を教えにかい?」
「ええ。私は座っているだけでいいと聞いたのに……」
 ふうんと相槌を打ちながら、ディルクはまた弦を弾いた。東屋の天井を作る薔薇のアーチを見上げ、何事かを考え始める。何を考えていてもいいが、王とディルクが決めた王族としてのユニカの扱いを思い出して欲しい。
 彼らはユニカの存在を大きく布告するつもりはないそうだ。本来なら、ユニカを養女にしたタイミングで、王妃が行うべきだった布告であるし、ユニカは王家を出て行くことが決まった身だ。王妃がユニカを養女にした理由についてはいずれ貴族院で説明をする。王家としての対応は、それが最後だ。
 ユニカのことは、もう隠しはしないが発表もしない。一見突き放した形になるだろう。
 しかしユニカもそれでよかった。暮らしは今までと変わりなく、王城の中だ。養い親が誰になろうと、彼女が心の中で慕う父母の顔も変わらない。エルツェ公爵は様々な企みを抱えているようだが、こんな“普通ではない娘”を餌にして釣れるものなど無いのだと分かれば、ユニカから遠のいてくれるだろうと期待する。
「ダンスは嫌かい?」
「当たり前です。やったこともありませんけれど、どういうものかは知っています」
 人々に取り囲まれながら、その視線に曝されながら、異性の手を取ってくるくる回ることの何が楽しいのだ。宴席に出るのは我慢する。しかしわざわざ視線を集めに行くことだけは御免だ。
 王太子の身分なら、公爵家が用意したダンスの教師を追い返すことも可能なはず。そう考えユニカは思い切って口を開いたのだが――
「私はユニカと踊れたら嬉しいけどな」
「な……」
「私以外とは踊らなくていいし、新年の催しの内の、たった一日、一曲だけでいい」
 さらさらと、ティアナがお茶を注ぐ音だけが二人の間に響いた。かすかに陶器が触れ合う気配を残して、彼女は二人の間にそっとカップを置く。それが済むと、あたりはまったくの無音になってしまった。
「どうだろう」
 呆気にとられてディルクを見つめていたユニカは我に返る。
「無理よ……踊れないもの」
「教師が来ているんだろう? 一番簡単なステップくらいすぐに覚えられるさ」
「殿下と踊ればどれだけ注目を集めることになるか……」
「踊っているときは周りの視線など気にしなくていい。私のことだけ考えていればいいんだ」
 ティアナが音もなく東屋を降りていくので、ユニカは思わず縋るように彼女の背中を視線で追った。どうしてこういう雰囲気の中で二人きりにするのだ。おかしい、何かおかしい、こんなの。

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