天槍のユニカ



惑いの花の香(12)

 ちょっと呆れ気味にエリュゼの背中を見ていたユニカは、ふとディルクに視線を移してどきりとした。こちらを見ている彼の顔色は、あまりよくない。目許がくすんでいる気がするし、青緑の不思議な色の瞳にも生気がなかった。
 一緒にやって来たティアナが、素早くユニカの傍の椅子を引き、ディルクをそこに座らせる。
「見送りに来た。寂しくなるな。君が同じ宮に寝起きしていると言うだけでも、実は随分うきうきしていたんだが。最後にもう一度くらい食事をしたかったけれど、私がこの調子ではな……」
「殿下、私が置いていった血を、お飲みになりませんでしたの?」
 呆然としながら、ユニカは彼の隣に腰を下ろした。ディルクの顔色を見れば、矢傷が癒えていないことは明らかだ。
 彼はますます苦い笑みを深めて答えた。
「飲んだよ。確かにな」
 ユニカが目を瞠ると、彼はどうしてよいか分からないという顔をした。
「君が痛みを堪えてくれたのだからと思って――しかし、どうしてだろうな? おかげで糸が抜けなくなるということはなかったけれど」
「本当に、お飲みになったの?」
「ああ」
「すべて? 吐き出したりは?」
「みんな飲んだし、吐き出しもしなかった」
「……どうして」
 決してふざけているわけではないディルクの返答に、ユニカはただ瞠目するばかりだった。力なく言葉を零したきり、彼女は肩を落とす。
「エイルリヒは君の血で助けられたのだと思うんだが、どういうわけか私には効果が無いようだ。君が嘘を吐いているとは思っていないよ。不可思議ではあるが仕方ない。効かないものは効かないのだから」
 ディルクが何か言っているが、それも耳に入ってこなかった。どうしてだろう。その言葉で頭がいっぱいになり、ぐるぐると渦を巻いている。
 養父も、キルルも、八年前の疫病に冒された人々でさえも、ユニカの血を口にした者は皆快復した。それは間違いないのに。
 ユニカの血は、必ず瀕死の人を癒やしてきた――いや、例外が、無かったわけではない。目の前でユニカの血を飲んでくれたにも関わらず、わずかひと月後に亡くなった人がいる。
「王妃さま……」
「ん?」
 ディルクに顔を覗き込まれ、ユニカは慌てて口を噤んだ。理由を考える。けれど、混乱が先立って少しも思考がまとまりそうにない。
 今にも泣き出しそうに顔を歪めるユニカを見て、ディルクはドレスを握りしめていた彼女の手に、自分のそれを優しく重ねた。
「何故かは分からないにしてもだ、私は、傷が癒えなくてよかったかなと思う」
「何故です? 殿下には大切なお役目があります、それを、私なんかのために放り出したようなものだわ。そのままでよろしいの?」

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