商人登場







「おや、今日も来たね」

風呂場に行けば、ぶよんと太った丸い塊。
にっと妙に愛嬌のある顔が笑う。


「おばちゃん、暇なの?」


前髪で額を隠しつつ言えば、馬鹿言うんじゃないよと答えが返ってくる。


「あたしゃ、これでも厨房で長やってんだよ。
いまの時間は、昼食も夕食も無い、唯一の休み時間ってわけさ」

「へー。なるほどー」


昼の3時過ぎ。
ここには、時計という概念があまりないのか、大体その位だろうと
見当をつけている時間。

神殿に行けば、水時計があるけど、
わざわざ時計を見に行く趣味は無い。

棒時計のような簡易版ならあるから、それを参考に
大体今は、と考えている。



「今日はなにやってたんだい?」


おばちゃんとは、よく遭遇する。
この時間帯に風呂に入る人もまれなのか、おばちゃん以外とは
何人かしか見ていない為、必然的におばちゃんと話す機会が増えている。


「今日は、人と話してたー」



いわゆる『交渉術』の勉強。
剣の間合に通じるものがあると思ったのは、習って5日目の今日。

今日は先生が来ないから自習で半日勉強して、
それでようやく、そうなのかもしれないと思った。
思いいたるのが遅いと感じたけど、自分の成長でもある、と自信がついた。


間合と交渉については、次の交渉の授業で聞いてみよう。
忘れないように念じて、ぬるま湯に浸かる。


まあ、相変わらず、文字は読めないんだけど。
読めなくても、武勇授業とか、交渉術とか、衣装のあれこれは
何となく分かる。


交渉術じゃ、交渉の先生の話を聞いて日本語でメモを取ったり、
どうすれば人と仲良くなれるかというような話を聞いたりしていた。



おばちゃんは、最近、私の母さんや御母さんのように
今日はどうだった?と聞いてくれる。


「そうかい。何か良い話でもあったかい?」
「うん。人との距離感が分かる話だった」

じゃばーっと、風呂のぬるい水を掛けられながら言えば
おばちゃんは大げさに声を上げる。


「おやおやおや。難しい話をしたもんだねぇ」



けたけたと笑うおばちゃんに、今日はどうだった?と返す。
すると、おばちゃんは厨房の誰それがこんな話をしていた、だの
あの二人は出来ているらしい、だの、
新人が使え無くて困るだのと愚痴だか噂だかを教えてくれる。


それにいちいち、ふんふんと頷けば、おばちゃんも満足らしい。


「それにしても……あれだねぇ。あんた、良い髪質なのに
石鹸も使えなくて勿体ないねぇ」

私の茶色い髪を撫でながら、おばちゃんは言う。
それに私は、にやっと笑って答える。

「おばちゃんも、綺麗な髪なのに太っちゃって勿体ないねぇ」


肩をすくめれば、驚いた顔だったおばちゃんが半眼で笑う。


「おや!その目は節穴かい?
こんなにグラマーでセクシーな体を捕まえて言うとは。
……ははーん。なるほど。
良いんだよ?初恋ってやつだね?」

「ぶっ……!は、初恋……っ?」


急に聖母のような目で見てくるおばちゃんに大笑いする。
初恋!おばちゃんに!


「いやいやいや、おばちゃんに恋するぐらいなら
リリアノ陛下に恋するからマジでマジで」

「おやおや、随分な言いようだね。
……まあ、陛下と比べられちゃ私も分が悪いかね」


リリアノの名前が出た途端、一人称が『私』に切り替わるおばちゃん。
厨房の長というのは、嘘では無いのだろう。

リリアノと話す機会もある立場だと思わされる雰囲気。
一瞬だけ感じた仕事に対する熱意のようなものは、直ぐに霧散する。
代わりに、おばちゃんはやることを思い出したらしい。


「あ。そろそろ仕込みをしなきゃね。
悪いけど、私は上がるからね。一人で溺れんじゃないよ」


おばちゃんは、思い出したように巨体を揺らしてぬるま湯から上がる。
波が私の細い体をふわんふわんと浚っていく。


「うへーい」
「返事は、『はい』だよ」
「はーーーーーい」
「伸ばさない。まったくあんたって子は」


脱衣所から大声で話しかけるおばちゃんに、同じく大声で答える。
おばちゃんの気配が無くなって、ぷかーっとその場に浮いてみたり
泳いでみたりしてから、私は風呂場を後にした。







「あれ? 何か人が多い?」


お風呂から上がって、布が外れないように額に巻き付ける。
このあたりは、町人も出入り出来るから、継承者だと分かると面倒くさい。
そう判断してのことだったけど、
あまりの人の多さにどうしたものかと思う。


その辺にいる人に聞いてみようかと思って来たのに当てが外れた。

中庭まで歩いて来てみると、廊下で使用人がせわしなく動き回っている。

どこから続いている人ごみかと思えば、謁見する人たちみたいだ。
謁見が沢山あるから、使用人たちも忙しいんだろう。


うーん……。これじゃ聞けないなぁ。



ドンッ。


「え……?」

「あいた」

誰かにぶつかった、と思ったら男の人の声がした。
ポスッとその腕に肩を支えられて、ようやく誰がぶつかったか分かる。


あ……トッズだ。


金色の髪を一つに括り、後ろに流した髪型。
タレ目と柔和そうに笑む口元。ちょこんと生えた口髭。
頬骨の出た顔つきは、少しハ虫類のようにも見える。

薄ぼけた黄緑の長袖の上から、緑色のベストのような服。

ゲームで見慣れた胡散臭い商人が、ここにいる。
天の光を浴びて、彼の両耳にある青いピアスがキラリと光った。


「おいおい、よそ見してたらいかんなー」
「あ、うん。ごめんね」


謝って先に進もうかと思えば、グッと肩を抱いたまま
ひそやかな噂をするかのようにトッズが顔を近づけてきた。


「ま、ちょうどいいか。
謁見の間ってどこだか知ってる?」


「…………」


ぱちぱちと目を瞬かせてそのタレ目を見つめる。
彼の目に映る私は、不思議そうに首を傾げた子どもだ。

その様子に、トッズは私が何でそんなことを聞いているんだろう?と
疑問に思ったと思ったのかもしれない。


「謁見待ちしてたんだけど、お手洗いに出たら分からなくなっちゃって、
うろついてたの」


困るよね、と彼は肩をすくめる。
少しだけ眉を下げ、憐れみを起こさせるような表情に頷く。


「なるほど。そっか。広いもんね」


って、多分違うんだろうけど。
思わず言ってしまうほど、トッズの交渉力は大したものだ。


「ねー。困っちゃう。
だからさ、案内して。お願い」


右手で私の肩を掴んだまま、左手で可愛く拝むようなポーズを取る。

逃がさないよと言わんばかりなのに、不快にならないのは
トッズの口調と雰囲気のせいかもしれない。


ぱちんっとウインクまでされてしまえば、
笑って案内もする気になってしまった。


「うん、いいよ」


頷けば、トッズは嬉しそうに笑う。


「案内してくれる? じゃ、よろしく」


気安く笑うトッズ。
ポンポンと背中を叩かれた。嫌な感じはしない。


「凄い。ここまであっさりと人に馴染める人がいるんだなぁ」
「え? なに、それ俺のこと?」


思わず声に出したら、トッズがひょこっと顔を傾けて
私の顔の目の前に来た。
うっかりすると、キスシーンだ。


「わあ……! びっくり。
……ああ、ごめん。声に出すつもりじゃなかったんだけど」


一歩後ずさってから、両手を振る。
それに、にんまりと笑ってトッズはへへへ〜と声を上げる。


「いやいや、良いよ。褒めて貰ったんだもん。 
あれ、今の褒め言葉だよね?」

「……まあ、そうとも言えなくもないというか
そうであれば良いんじゃないかっていうか、かもしれないかも」

「何それ。素直じゃ無いなあ」


ぷぷっと吹き出されると、むっとする。
タナッセに対するような気持じゃ無く、ちょっと拗ねてやろうかと思うような
他愛の無い気持ちだ。


「うそうそ。ごめんねー。
あ、自己紹介がまだだった、ね? うん」


睨むと、吹きそうな顔をしながら話題を変えてくるトッズ。
ニヤニヤとした顔は胡散臭い。


「俺はトッズっていう、しがない商人。
今日はさ、市への出店許可をもらいに来たのね。
行ったことあるでしょ、市。ほら休日に中庭でやってる」

「……うん」


どうやら、この間の市で見かけられていたらしい。
そんな視線なんか……無かったとか言える武勇が欲しい。


思い起こすのも忘れてたけど、市であんなやり取りをすれば、
噂ないし、本人に見られるないしがあって当たり前だ。

トッズが出てくるはずだよなぁ……。


少しだけ自分の抜けた頭を殴りたくなっていれば、
隣で歩くトッズが喋りかけてきた。



「あれに出店するのは城下の商人の勲章さ」
「……勲章?」


生活の手段じゃなくて?

そう思って首を傾げる。
足は既に謁見の間に向かっているから、世間話だと分かっていても
トッズの言葉の巧みさには驚かされる。

ずっと聞いてたいなぁと思ってしまう。


「……あ、ああ、儲からないよ、あれだけじゃ。
あそこで目をかけてもらって、貴族様の御用達になるのが皆の目的だよ。
儲けの道も一歩からってね」


そこまで教えてくれてから、トッズの目がパチリと
瞬きをする。


「……お。見覚えのある風景。ここからなら帰れるかな。
案内ありがとう。うまく市に出れてたら、声かけてよ。
おまけするからさ。 じゃあね!」


どうやら案内役は終わりで良いらしい。
それに頷いて、手を軽く振る。


「……あ!」



しまった。


そう思ってからじゃ遅い。
トッズは既に去ってしまった。


聞きたいことの答えを知ってそうな人だったのに。



そう思って、次にあった時で良いかと嘆息した。




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