初めての市






掃除用具を持った若い侍従が首を傾げて声を掛ける前に
私はぴょんっとその場から逃げた。

何となく気まずかったからだけど、
良く考えたらちゃんと理由を告げてから立ち去れば良かった気がする。



「……なんだかな……」



カリカリと頭を掻いて、中庭を渡る。


城は大小様々な中庭を囲むように出来ているから、
裏道とも言えるこういう場所もあると知ったのは、いつだったかな。

段々と城のことを知り始めているみたいで、ちょっと得意になっていると
人の声がする。


少しだけ陰っていて涼しいそこは、井戸があるらしく
その周りに侍従たちが集まって何か喋っていた。


噂話……?



思わず耳を澄ませると、直ぐに噂の渦中の人が分かる。



「あー、腹立つな、くそ」


男の声がイライラと響く。
どうしたの?と親切に聞く女の声。


「いつものさ。王子様だよ、おうじさま!」


……あーはいはい。
イラつくよねー。あいつはホント、無駄に言葉が上手いから。


思わずその愚痴大会に参加しちゃおうかと思ったけど、
寵愛者がこんなこと言ってたと、今度は噂されても何なので聞くだけにとどめる。



「ちょっと掃除が遅れただけだぞ、あの神経質」


唇を尖らせる男に、女は慣れたものとばかりに苦笑で返す。


「だから気をつけなって。
あの人、自分の予定もきっちり守る性質なのよ」



本を二週間で返したりとかね。

知識でしか知らない話だけど、一々きっちりしてそうなのは
出会ってすぐの私ですら感じる。


自分が認めていない人物に対する彼の反応は、簡単に予想がつく。
だから、男の声に同情して、大きく頷いた。


男は、新しいのが来てぴりぴりしているとか、
いい気味だとか、
更には、嫌がらせありがとう。神様ばんざいだと笑う。


「そんな言い方しないの。
ほら、もう行かないとまた叱られるよ」


女がそれを嗜めると、
男は慌て、バタバタと騒がしくどこかへ去って行った。


走り去る男にばれないように柱の影に隠れてから、
改めて方向転換する。



うーん……。嫌われてるなぁ。タナッセ。


まあ、ゲームでやってて前知識のある私ですら
こいつ殴りたい!と思ってしまうわけだから、相当だ。


まったくもって何を考えて、ああも嫌味ばっかりなのかと……。
もう少しで良いから、愛想良くすれば
きっと皆から好かれるだろうに。



思いつつ、気の向くまま足の向くまま
テクテクと歩く。
太陽の日差しを浴びるように、幾度か大小の中庭を突っ切って。


「……ん? 
何だろ……。騒がしいなぁ」


ザワザワとした喧騒に誘われるようにそちらを見れば、
一番大きく門に近いであろう中庭に沢山のテントがひしめきあっている。

市が開かれているらしい。


……おお……!!

っと。うっかりそこに紛れこもうかと思ってから
体に急ブレーキを掛ける。


いやいやいやいや。
まてまてまてまて。


私は何をしに来たかっていう話だ。
中庭に突入したら、多分一日、ここで潰しちゃうだろう。


珍しいものや、珍しい踊りがひしめくのが目の端に映る。


違うだろ。違うだろ。
落ち着け私!


ゲームの通りなら、どこかで誰かとフラグを立てるべきじゃないか。
例えば、ここから一番近い門に待ちかまえているであろう嫌味王子とか。


……嫌味炸裂するとしても。


嫌味炸裂、すると、しても。
それでより憎しみを増されるとしても。



…………。


……うん。
まあ、いっか!


今日は、王座の間でお婆さんに出会えたし、市を楽しむのもありだろう。


決して嫌味が嫌だったとかじゃない。
王子とフラグなんて、へし折ってやろうとか思ってない。



自分に言い訳しつつ、首に巻いていたスカーフを額に当てる。
印を隠す為に、長年培われた知恵だ。




初めての市に飛び出せば、赤や黄色、青や紫と色んな色が溢れている。


あの薄布は何で出来てるんだろう。
こっちの良い匂いのモノは何だろう。
あれが噂の土豚の丸焼きってやつだろうか。


ざわざわと色んな人が見て歩く中、
同じように屋台を見つめ、あっちにこっちにと手に取ってみる。


買うつもりは無く、ただの冷やかしだ。
来るつもりが無かったから、お金を一切持ってない。
それが分かるだけに、私はあっちにこっちにと店主に見つかる前に移動している。

毛糸のようなもので出来た帽子や、金色に輝く入れ物。
陶器の器や、誰が買うんだこんなのという芸術作品まで多種多様。


少し離れた場所からは甘い匂いと、
踊りの音が聞こえたりもする。


「……?」 


なんだろう。眩しい。

キラっと光った何かが、目に当たる。
鏡で日の光を当てた時のような輝きが、チラチラと目を焼いた。

目を眇めてその正体を確かめようと体を動かせば、
光は、今見ていた布屋の向かい側から発せられている。


菓子の甘い香りと、キラキラしたアクセサリーが並ぶ不思議な店だ。


「ようよう、そこ行く可愛い坊ちゃん、見て行ってよ」


店主らしき男が、売り込みをしてきた。


まずい。早く逃げなきゃ。

そう思って、少し後ずさるも、商人はニコニコしながらも
私の腕を掴んで、まあまあ見てから見てからと促す。


「…………」


言われて思わず、その品々を見返す。
装飾品は、やたらゴテゴテしていて重そうだ。


「甘いお菓子なんてどうだい、
それともこっちの耳飾りなんて似合うかもしれないね」


商人が私の年齢を加味して出したであろう物。
それは、花蜜で加工されたであろうクッキーのようなものと
赤い雫型のイヤリング。


朝ごはんをお腹一杯、食べた私からすると
クッキーはあまり魅力的に映らない。

こんなことなら、もう少し少なめに食べれば良かったかな……。
苦笑いしながら、改めてその品物を見る。



「…………」


不思議な色合いのイヤリング。



思わずそれを手に取る。
空に透かすとキラキラと光を反射し、存在を示す。


綺麗……。



「おお、それが気に入ったかい?
そうこなくっちゃね! 銅2枚でいいよ」



あ。

そういえばお金を持ってない。


どうしよう。
諦め……。


「…………あ」


そう考えた私の目の前に、
ヒラヒラと青い布をなびかせて歩いている人物が通りがかる。
護衛のモルを引き連れ、スタスタと姿勢よく歩く背の高い人物。


門での用事は既に終わったのか、
彼は、早足気味に市を通り過ぎようとしていた。


何ということでしょう。


こんな偶然があるだろうか。
否、無い。無いだろう。普通。

もうこれは神様が用意したとしか思えない。



神様。つまり、アレですね?



アレに買わせろと。


ヴァイルやサニャやローニカにたかるってのは良心がとがめるけど、
アレならば良心なんて無くたって良いよと。王子だし。仮にも。
そういうことですよね。


そう思って、商人に少し待つように告げて走る。


「……タナッセ!」

聞こえるかなと思いながら出した声は、
地獄耳の陰険王子にしっかり伝わったらしい。


「……? 何の用だ」


怪訝そうに眉根を寄せるタナッセ。
うーん……聞いてくれるだろうか。


本人を目の前にすると決心が鈍る。
憎まれてるのは重々承知している分、頼むのもどうかと思ったけど
一応、口に出してみる。


「あのね、市がやってるんだけど」

「それは見れば分かるだろう。貴様の目は節穴か?
見た目だけで無く、目まで悪いとは……。
はっ、可哀想なことだ」



うぜえええええええ。


こいつに同情とか
こいつに悪いとか思う必要ない気がしてきた。



「耳飾りが欲しい」

「…………耳飾り?」


きっぱりと言い切ってタナッセを見上げる。
形の良い眉が少し歪む様を見ながら、その手の裾を引っ張る。


いざとなったら、タナッセを引っ張って連れて行って
商人の口技で買わせよう。


そんな思いもありながら、きゅっと緑の上着を掴む。


「可愛い耳飾りがあるんだけど、でも……その、お金無くて。
ど、銅貨2枚なんだけど……。
タナッセ、お金持ってたら、貸して、欲しいなって……」



流石に、買ってとは言えない。

村で稼いだお金は、全部お世話になった隣家の人にあげてしまったし。
後でローニカに用意して貰って、タナッセに返そう。


そう思ってから気づく。


良く考えたら、こいつに頼みごとすること自体が恥ずかしいことなんじゃ……!?
作戦失敗です!メーデーメーデー!
全軍、逃げろ。


真っ赤になってるだろう頬を上げられずにいれば
タナッセが、いつものように鼻を鳴らした。

それに改めて顔を上げると、ニヤニヤと何やら愉快そうなタナッセの顔がある。
……若干イラつくんだけど。


「……なに」


むっとした声を隠すこと無く聞けば、タナッセは
楽しそうに笑みを深める。


「いや、あまりにささやかな物の言いようだったからな。
お似合いといったところか」



何がお似合いじゃボケェエェ!

お金返すって言ってるのに、何がささやかな言いようだというのか。
これだからお坊ちゃんは。


「…………」


睨む私を無視して、タナッセは肩をすくめる。


「まあいい。どれだ」

「……へ?」


何を言ってるんだろうか。
そんな気持ちで見上げれば、端正な顔は頭の悪い奴だと言わんばかりに
見下す目線になる。


「貴様のいう耳飾りだ。まさか売り場も忘れたのか?
お前の頭は、兎鹿よりも軽いのかもしれんな。
私はそこまで面倒見切れんぞ」


「……ぐっ。一々……!
……こ、こっち」


ギリリと歯を食いしばって言い返すのを辞め、タナッセを誘導する。
商人が驚いた様子でタナッセを見つめ、ポカンとしている。


「これ。これが欲しい」


人差し指で品を指しタナッセに言うと、大した興味もないらしく
軽く頷くだけだ。
商人は、いきなり現れたどうみても貴族然としたタナッセに
少し気遅れした様子で、声を出す。


「あ……。
ありがとうございます、銅2枚です」


「……ああ」


返事を返し、懐から財布のような布を取り出してそこから2枚
店主に渡すタナッセ。
小銭、持ってるんだ……。

そのことに少しだけびっくりしていれば、タナッセが向き直る。


人差し指と親指で軽く摘まんで、
じっくりと赤い耳飾りを見つめている。



「これはまた、寵愛者とも思えない品選びだな。
ヴァイルといい、まったく……」


心底呆れた様子で、耳飾りを揺らす。
そして私の方にその同じ作りの二つを見せつけるようにしている。


「……? なに?」

「察しの悪い奴だな。両手を出せ」


言われるままに、
両手をくっつけて差し出すと赤いイヤリングがそこに落とされる。


「ほら、くれてやる。
持っていけ」


低い声を聞き終わるか終わらないか。


私は、魅力的に見えるその赤をいそいそと耳に飾った。

慣れてないからか、少し手間取ったけど、ゆらゆらと揺れるのが分かる。
きっと、赤が陽に当たって綺麗だろうと思う。
似合ってると良いな。


「…………」


何故かタナッセは、そんな私をじっと見つめていた。


……何だと言うのだろう。


役目は終わったのだから、さっさと居なくなれば良いのに。
……まさか、お金を今すぐに返せというのだろうか。


「……あの、タナッセ。ありがとう。
それで、えっと、お金……」


今すぐは無理だから待って下さい借金取りさん。
そう言おうとして、半眼で見つめられる。


「馬鹿か貴様は。
銅貨2枚ごときを私が惜しむとでも?」


「……えっと、銅貨あればパン位は食べれるんだけど」


銅貨2枚ごときって。
この苦労知らずめ。


少し怒った口調で言えば、面倒くさそうに眉を寄せたタナッセは、
鼻を鳴らして告げる。


「くれてやると言っただろう。
田舎者にふさわしい品だ。ありがたがって精々重宝するが良い。
ではな」


それで言いたいことはすべてなのか、
締めるように挨拶をしてさっさと歩き出してしまう。


コンパスの違いか、サクサク歩くタナッセに
追いつくことは出来そうもなく、また嫌味に合うのも面倒だと思った。



……にしても、くれてやるって
イコールでお金いらないよだったのか。


何というツンデレ。
誰か語訳して欲しい。



そんなことを思いながら、私は一日そこで過ごしたのだった。






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