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しかし、誰もが時を止めた瞬間、千年伯爵達によって閉じ込められていたヘキジの結界が、外にいたティムキャンピーによって破られた。
ノアに身体を乗っ取られかけていたアレンは、頭の奥の奥に映るマナを見つけ、左目が発動した。その目は勝手に神田とアルマを見つめる。


「ヤメ…デ…。」


どこからか、声が聞こえた。


「ミナイデ…ワダジヲミナイデ……。」


アルマからまるで幽体のように生まれるのは、顔を手で覆い泣く女性。それは、神田とアルマの過去で見た、ある女性とまったく同じだった。


「!!!」
「!? モヤシ…っ?」


――そんな


「アルマ、キミは…、」
「言うなぁあぁっ!!」
「アルマ…!?」


その先は言わせないとでも言いたげに、アルマは目を吊り上げて叫んだ。しかし、アレンが何を言いたいのかミナには分かった――分かってしまった。だからこそ、身体が勝手に動いてしまった。


「これが、ホントの最期…死ね。」


神田の首に手を回し、アルマはそう告げた。カァァァ、とアルマの身体は眩しいほどに光る。それは端から見ていてもわかる、アルマは自爆するつもりなのだ。


「(すばらしい執念デス、アルマ=カルマ。)さらバ!!」


『死』という眼鏡をかけた千年伯爵が、歯を剥き出しにして笑った。


――9年前、ユウはぼくを破壊して生き延びた。
でもそれは、“私”との約束を守る為だったんだね。

ごめんね…。

あなたはきっと、生きてる限り“私”を探してくれる。いつかアルマぼくが“私”だと気づくかもしれない。
それだけは耐えられないよ。



「……きっと、大丈夫だよ。」


走りながらミナは呟く。アルマの想いが風のようにミナに降り注いでくるのだ。
だけど、ミナは知っている。短い間だったけど、本当は神田が優しい人だと。


「(…アルマも、神田も……優しすぎるんだよ。)」


――だからこそ、見捨てられないんだ。


「(なぜだ。)」


ミナが走る中、神田は目の前で自分に向かって腕を伸ばすアルマを呆然と見つめた。


「(なんで、そんな苦しそうに笑ってんだよ。)」


俺を殺したいほど憎いなら、そんな顔はしないはずだ。


「なんでなんだよ、アルマ!!」


神田の叫びは、アルマには届かない。アルマは己の中にあるダークマターの塊を膨らませ、刻々と自爆の準備を進めてゆく。


「ダメだ…っ!」
「わぁぁっ!」


リーバーが、諦めの言葉を口にした。


「止めてくれぇええっ!!」



アレンの叫びは、ミナのそれと同調シンクロした。


――ドォォォオオオン!!!


目が潰れそうなほどの光と、地鳴りが支部を襲う。白い土煙が晴れたそこは、地面が大きく抉れていた。


「がはっ…!」


アレンは瓦礫から這い上がり、内に潜むノアメモリーを必死に抑えながら辺りを見渡す。


「ふたりは…っ、」


どんどんと土煙が晴れてゆくと、神田の頭がぼんやりと見えた。アレンはとっさに「神…っ、」と呼びかけようとしたが、それは叶わなかった。
神田の身体がパキン、と割れたのだ。朽ちてゆくように、ボロボロと。


「神田ッ!!」


両腕片足を失った神田は、身体を支えきれずそのまま地に倒れてしまう。咄嗟に叫んだアレンは慌てて神田の元へ駆け寄る。


「ふん。スキン・ボリックのいい仇討ちになったんじゃない、千年公?」
「……、教団屈指の能力を誇る神田カレも…アルマ=カルマの前ではなんと脆イモノカ…。」


まるで皮肉のように呟かれたそれは、ノアにしか聞こえたかった。


「(復讐でAKUMAになったんじゃない。
アルマの魂は、神田が愛してた女性あの人だった!
ノアの術で神田の真実を知ったアルマは、自分の正体を永久に葬るため、AKUMAになったんだ!!)」


それは、第二エクソシストだからこそ起こった、悲劇。


「杏樹。」


ふわり。羽が一つ、空に舞う。
アルマの「失いたくなかった……っ!!」と言う切ない願いが、ミナの心に突き刺さる。

ミナは土煙に紛れるように、けれど確かに地を踏みしめた。


「アルマーッ!!」


アルマの中に残っていたダークマターが、アルマの魂を食い尽くそうと具現化する。それをなんとか止めようとするアレンだが、微かに、本当に微かに――けれど確かに聞こえたのだ。

自分を呼ぶ、神田の声が。


――アルマ!!


「(…ユウ…?ユウのこえが……、)」


天へと昇るアルマは、その手を空へと伸ばした。するとそこへ、神田を抱えたアレンがアルマの元へ飛んできた。


「俺達が初めて行った任務先、憶えてるか…?」
「はい!」
「あそこなら当分見つからない。」


それを聞き入れたアレンは、神田をバッと投げた。神田の手足はキチンとあり、改めて第二エクソシストとしての治癒力を思い知らされる。


「神田!」


自分を呼ぶアレンに、神田は顔だけ後ろへ振り返った。


「レニーさんが言ってました。アルマを助けられるとしたら、神田だけだって。
僕もそう思う。」


傷だらけになりながらもそんなことを言ってのけたアレンに、神田はいつもの仏頂面を消して笑みを浮かべた。


「…礼を言う、アレン・ウォーカー。お前がいてくれて助かった。」


初めて、神田がアレンの名を呼んだ瞬間だった。
神田はそれっきり前を向いて、手を空へと伸ばすアルマに抱きついた。


「ユ……ウ…?」
「一緒にここから逃げよう。イノセンスも教団も無い場所ところへ。
――今度こそ一緒に…っ!」


じわじわと、アルマの目に浮かぶ涙。


「…あ…、」


それはやがて、アルマの頬を濡らしてゆく。


「話…聞いてたのかよぉ…?」


幼いあの日を思い出す。あの頃も、よくユウの腕に抱かれながらワンワン泣いていた。そんなぼくに、ユウは決まって、


「丸聞こえだ、バカ。」


笑うんだ。


タン、と地面に足をつけたアレンは空を見上げ、方舟のゲートを開く。神田とアルマがゲートに入ったのを確認したら、アレンはすぐにそれを破壊した。


「ノアにも教団にも、もう手出しはさせない!」


最後まで二人を守ったアレンは、目の前に並ぶ己の敵に向かって鋭い眼光を飛ばしたのだった。







神田とアルマが飛ばされた先は、誰の手も届かない地――マテール。
神田とアレンが一番最初にタッグを組んで行った、あの地だ。

ドサリと砂の上に落ちた二人は、その静かな場所でただただ抱きしめあった。


「今でも教団が許せない…っ!憎くて……たまらないよ。
でも、ぼくは泥に沈むべきだ…。」


涙で震えるアルマの声は、静かなここではよく聞こえた。


「ぼくは殺した…たくさん……。伯爵にまで力を貸して…たくさん…、」
「わかってる。わかってるから――ずっと見ててやる。」


これ以上は言わせないと、神田は強引に、けれど優しくアルマの肩に顔を埋めた。


「――泥には沈ませないよ。」


突然自分達以外の声が聞こえ、神田はアルマの肩から顔を上げて声のする方を勢いよく見た。
そこには、傷でボロボロになった死覇装姿で浮かぶミナがいた。


「お前…なんで……、」
「二人を、アルマをこのまま消えさせるわけにはいかないと思ったから。」


ス…と刀を抜く。けれど切っ先はぶらりと下を向いたままだ。敵意が無いことはそれだけで分かったが、なにせミナがなぜここにいるのかまだ明確な理由がわからないため、神田も自然とアルマを抱く力が強くなる。


「そんなに警戒しないで、二人を殺そうだとか思ってないから。」
「………、」
「…言ったでしょう、私は死神だと。」
「それと、何の関係があるんだ。」
「アルマの魂を、ここで泥に沈めさせない。」
「!!」
「なに、を……、」


ふわり、とミナは砂の上に足をつけ、ザッザッと音を立てながら二人に近寄る。ボロボロなはずなのに、何故か二人にはミナの姿が美しく見えた。


「私は死神、この世とあの世の魂の調整者バランサー
アルマ、あなたの魂は尸魂界に送るわ。」


リンとした、鈴のような声がマテールに響く。その声はこの世界に来た日、ルベリエの前で発せられたそれとまったく同じ雰囲気を醸し出していた。
風に靡く、淡い水色の髪。なぜだろう、二人は目が離せなかった。


「アルマ、神田、あなた達は幸せになるべきだよ。」


目尻を下げ、頬をゆるりと緩ませたミナは、神田とアルマ二人まとめて掻き抱いた。


「ぼく、たくさん人を…っ…!」
「うん、それはいけないこと。だけどきっと、みんな考慮してくれるはずだよ。」
「…どうして、ぼくを…、」
「んー……放っておけなかったからかなぁ。」


くすりと笑うミナは、神田とアルマの顔をじっと見つめる。


「私も、二人と似たようなものだからね。」
「…え、」
「それってどういう意味だ。」
「ふふ、内緒。」


そこまで言うと、ミナはスクッと立ち上がり刀を構えた。「さて、」とアルマを見ると、徐々にその身体から力が抜けていくのを神田は感じていた。


「アルマ、」
「ユウ、大好き。」
「……あぁ。」


神田の目に涙が滲む。一筋の涙が頬を濡らすとき、アルマは完全に瞳を閉じた。
するとアルマの身体から幽体がするりと抜け出るのをミナは確認する。


「……安心して、尸魂界は地獄とは違って住みやすいところだから。」


行ってらっしゃい。

ミナは、アルマの額を斬魄刀の柄で押した。


――ありがとう、ミナ。とても幸せな気分だよ。


そんなアルマの声が、ミナの耳には確かに聞こえた。