21アルマが尸魂界へ行き、マテールは静かさを取り戻した。神田は疲れた身体を休めるように壁に身体を預け、そっとミナを盗み見た。 突然方舟で現れた、中央庁から来た身元の分からないエクソシスト。それだけでラビやリナリーは監視、又は恐怖対象となったが、神田は違った。 まず、興味がなかった。最初は警戒心を強く持っていたが、関わっていくうちにそんなものは必要ないと思ってしまっていたのだ。方舟から帰ってきて戦い三昧だったが、それでも白崎ミナという人物を知るには十分すぎた。 「おい、」 意地っ張りで、負けん気が強くて、会った当初はニコニコと無駄に笑顔を振りまいていたくせに、いきなりその笑顔もなくなって(今思えば、このときには既に死神としての記憶を取り戻していたのだろう)。 だけど、仲間の――ルベリエや中央庁から来たハワード・リンクの前では笑顔を惜しみなく見せていた。第三エクソシストに対しては怒ってもいた。――感情を、露わにしていたのだ。 「お前、これからどうすんだ。」 「それ、私の台詞だよね?神田こそどうすんのさ。」 「お前には関係ねぇ。」 「なら私だって、神田には関係ない。」 先ほどまで向けられていた笑顔は消え、そこにはいつも通りの無表情が。 神田は条件反射のように舌を鳴らし、髪を掻き上げた。 「……長官は、何をお考えなんだろう。」 ぼそりと、まるで消えそうな声色でミナは言った。独り言のように呟かれたそれが風のように消えるには、ここはあまりにも静かすぎた。 「…知らねーよ。」 「…悪しき力を求めるなんて、あってはならないことなんだよ。それはもう正義じゃない――ただの、悪だ。」 カタカタと刀が小さく鳴る――その直後だった。伝令神機がけたたましい音を立てて鳴り響いたのだ。 「な、んだよ、この音…!」 「…ぁ………、」 「…?おい、お前…、」 しばらく呆然と立ち尽くしていたミナだが、慌てて伝令神機を取り出す。ブルブルと震えるそれにあり得ないとばかりに目を見開かせた。 「うそ……、」 ずっと待っていた。これが鳴るのを。 ミナは震える手で通話ボタンを押した。 「はい、」 《出んのが遅いねんボケェ!!》 「――っ、」 怒声から始まる第一声。しかし、それすらミナには愛おしかった。怒られているのになんて不謹慎、だが、この声をミナは待っていた。 「………ちょ、」 《なんて?もっと大きい声で喋りィ。》 「――平子…隊長……っ…。」 《…なんや。》 「隊長、…隊長……っ、…真子さん…!」 《…勝手に消えとんとちゃうぞ、ミナ。》 そんなに震えた声で名前を呼ばれては、こちらも怒るに怒れない。平子は聞こえないように息を吐き、「心配したわ、アホ。」と口にした。 それを端から見ていた神田は、今まで見たことのないミナに驚いている。それも仕方がない。今のミナはひどく弱々しく、触れればたちまち壊れそうな雰囲気なのだから。 《とにかく生きとってんな、よかった…。》 「え…それって、」 《…どこのどいつがしよったか知らんけど、ミナの死亡届が受理されとった。》 「…しぼう、とどけ…、」 《俺とか他のもんは信じんかったけどなァ。――遺体を、見てへんから。》 「とにかく、生きとってよかったわ。」と安心したように言った平子に、ミナはとうとう涙をこぼした。 待つ辛さはミナは誰よりもよく知っている。生きているか死んでいるかも分からない平子を、100年間も待っていたのだから。その辛さを今度は平子に味わわせてしまったという想いも相まって、ミナは涙を流したのだ。 《で、今どこおんねん。》 「あー…よく、わからなくて…。」 《ハァ?現世とちゃうんか…?》 「現世は現世なんですけど、その…違う場所、というか…、」 《……ミナ、もう自分では分かっとんねやろ。はっきり言え。》 鋭い平子の言葉は、いつの間にか丸まっていたミナの背中をシャンと伸ばさせた。その目はもうエクソシストのそれではなく、死神のものだった。 「違う世界かと思われます。」 そう答えたミナの声は、震えてはいなかった。 しかし、動揺するものが一人――神田だ。彼は言葉も出ないのか、ただミナを見ることしか出来ずにいた。そんな神田を置いて話は進んでゆく。 《違う世界……異世界、ゆうとこか。》 「はい。……どうしてかはまだ分かりませんが…。」 ミナは現状報告のために、この世界のすべてを平子に伝えた。千年伯爵率いるノアの手によって世界が終わりを迎えようとしていること、自分の斬魄刀がこの世界ではイノセンスと呼ばれるものとなり、そのせいでエクソシストと呼ばれるものになったこと…それらすべてを。 《まーたお前は…難儀なんに巻き込まれとぉなァ…。》 「好きで巻き込まれたわけじゃないです!…この世界に来て、最初は死神としての記憶がなかったんですから……。」 《異世界に行った代償…ゆうやつか。んで、今はその記憶も全部戻っとんやな?》 「はい。」 《どうやって戻ってん?生半可じゃ無理やろ。》 「それは……、」 そこまで言いかけて、ミナは慌てて口を閉じた。なにせ記憶を取り戻すきっかけになったのは他でもない、平子なのだから。 すっかり黙り込んでしまったミナに「オーイ、ミナ?何だんまりしとんねん。」と間延びした声で呼びかける平子。 「(人の気も知らないで…。)」 ほんのり赤くなった顔を隠すように頬に手の甲を当てたミナは、ゴホン、と改まったように咳を一つした。 「とにかく、記憶が戻ったうんぬんは置いといて…どうやって伝令神機が繋がるようにしたんですか?」 《あー………、》 「……?平子隊長?」 《…喜助や、喜助に頼んでん。こんなんマユリに頼まれへんからなァ。》 「喜助さんに……、」 これまた懐かしい名前に、ミナは嬉しさを隠しきれず目を細めた。兄のように慕っている喜助が自分のために動いてくれたというのは、ミナにとってものすごく嬉しいのだ。 《アイツも血相変えて尽力しよったからなァ、はよ帰って……いや、そっちのことは片付いたんか?》 「え?いえ、まだですけど……。」 《ほんなら、まずはそっちのことをちゃんとせーよ。帰り方も喜助やら夜一さんやらで探しとくから。》 「………平子隊長、何かあったんですか?」 嫌な予感がする。ミナはドクドクと鳴る心臓の音を聞きながら、平子に尋ねた。 《……いやァ?なぁーんもあらへんで。》 しかし、平子はいつもの飄々とした態度で否定した。 本当に何もないのか、ミナはこのたった一言から様々なことを読み取ろうとほんの一瞬だけ瞳を閉じ、開けた。濃い蒼の双眸が前を見据える。 それだけで変わった雰囲気に、神田は少しの間目を離すことができなかった。 「…もう一度聞きます、平子隊長…いえ、真子さん。――何があったんですか。」 それはもう、問いかけではなかった。確信を孕んだ物言いに伝令神機の奥の平子は、しばらく黙り込み、何かを思案するかのように、ぽつりぽつりと話し出した。 《――尸魂界が、壊滅状態やねん。》 悔しげに、歯噛みするように告げられたそれは、ミナの思考能力を奪うには十分すぎるものだった。 |