Side of You | ナノ

 08

雪音の少し刺々しい物言いに李卯は少し眉間に皺を寄せたが、討伐隊の少女はそれを咎めることもなく、少しおどおどとしたように口を開いた。



「な、名乗るほどではないの。ここにいるのはみんなにも内緒なの…」

「じゃあ、なぜここに?ここで、何があったか知ってますよね」

「知ってる…。おまえ達が欲しい言葉も…。でも、それはできないの」



パサ、とフードが外れる。ふわりと風に靡いた髪は、夕日に照らされて神々しく輝いていた。



「天は是。決して頭を下げるわけにはいかない。ここには私が来たくて来たの…」



そう言った子の元へ、小福が側に寄る。少し背を屈めながらその子の口元に耳を寄せ、その子の言葉を頷きながら聞く。

すると、小福は驚いた顔をして、シュン、と消えた少女――神に頭を下げた。



『…こふっちゃん……』

「りいちゃん…、あのね――…」













イザナミの長い髪に縛られ、身動きの取れない夜ト。



「もう、あいつは自力では逃げられんようだ。いけそうか、兆麻…」

《手ごたえはありましたが、どこまであのひとの領域に踏み込めるか…。やってみなければわかりません》

「怖いか?」

《畏れはありますが、皆もいるので怖くはありません》

「よし、その意気だ!」



毘沙門天は、持っていた鞭でパシッと地面を弾く。その声色とは裏腹に、額には冷や汗が滲んでいる。


――畏れはありますが


「(この時点で決したな…)」


――イザナミには勝てない。

それでも、

夜トさえ助けられれば!



また素早い攻撃を仕掛けるが、無傷。今度は岩壁すら破壊出来ない。



「…イザナミの加護が効いてるのか…」



玄武は冷静に分析を続ける。そして、毘沙門天がまた走り出すのを横目に、両の手のひらを地面につけて、スッと目を閉じた。



「ば…ばぁか、痴女のばぁーか!なんで来た!おまえら、代替わりできるからって無茶しすぎなんだよ…」

「代替わりなどしない!! 私は私だ!替えが利いてたまるか…っ!!」




ガリガリガリッ、と鈍い音が響く。毘沙門天の表情は気迫そのもので、だからこそ彼女の言葉は夜トの胸に素直に入り込んできた。



「外で李卯と雪音と壱岐ひよりが、おまえの帰りを待ってる!だから諦めるなぁぁあ!!!


ゴキッ!と折れる音、次いでバララッ…とイザナミの骨の欠片が床へと落ちていく。

このままいけば、と夜トも忘れられていなかったという事実に、髪を引き千切ろうともがき出した。けれど、


――ザンッ!


毘沙門天も夜ト同様、髪に絡め取られてしまった。それだけじゃない。耳につけていた神器の兆器まで取られてしまった。



「さあて、どうしましょう…。そうね…、ちょうど夕餉の時間かしら。皆さんもご一緒しましょう?今夜は宴会です」



ダラリと首を落とし、本当に楽しそうに言うイザナミ。その周りからはぞろぞろと人影が湧いて出てきた。



「とてもいい食材が入ったの」



イザナミがクイッと髪を引っ張ると、毘沙門天の身体は横に倒れてしまう。すると、皆一斉に陸へと上がり、毘沙門天を喰らおうと口を大きく開ける。


そんな光景を目の当たりにした兆麻は、必死に毘沙門天を呼ぶ。夜トも先程以上にもがくが、髪はギシギシと軋むだけで取れる気配など全くない。


そこへ、グラグラと地面が揺れだした。



「…いい加減にしてくんないかな、イザナミサン?」



その声の主は、しゃがみこんでいた身体を上げてゆらりと立つ。黒い髪はここでは更に黒く塗れ、深緑の瞳は薄い光でギラリと光って見えた。



「あらあら、随分と物騒なお方が迷い込んでいたのね…。おもてなししてさしあげないと」



クスクス笑うイザナミは、自身の髪を玄武へと向かわせる。毘沙門天や夜トは玄武の名を呼ぶが、玄武はクッと口角を上げて笑った。



我、玄武の名を持って命ずる。地よ、我を護れ。如何なるものも我を傷つけさせるな



その言葉に従うかのように、周りの岩や地面は玄武の前へと立ち塞がる。それは玄武を中心にドーム型を描き、少しの隙間もなくなってしまった。

細い形状の髪の毛でさえ、入り込む隙間はない。



「私の領域で勝手な真似を…。いいわ、そこでじっくりと見てなさいな。貴方のお友達が食べられていく様を」



玄武に向かっていた髪はズルズルとイザナミの元へと帰っていく。そして意識はまた毘沙門天へと戻ったが、



「この世界にあるすべての地は俺のもの。従って、すべてが俺の目となり、足となる」



ふわり、と刃物のように尖った岩が宙に浮く。それは一瞬にして毘沙門天を縛っていた髪を斬った。



「俺の名は玄武。主である李卯様の命に従うため、イザナミ、貴方を退けさせていただく」



そこには以前見た幼い子供のような玄武は居らず、ただ、神としての玄武が居た。

初めて見る玄武のそんな姿に、夜トは思わず魅入ってしまった。













「『本当の名前を呼んであげて』。

たま呼びと同じよ。…それが唯一黄泉返る方法。名前を呼んで、彼岸から此岸へつなぎ止めるの。
そうすれば、夜トちゃん達を助けられるだろうって」

『じゃ、じゃあ、』
「ただし、それが出来るのは縁のある此岸の者だけ」



李卯が名前を呼ぼうと風穴へと振り返るが、その後に続いた小福の言葉に李卯は絶望的な色を瞳に映した。



「神でも死者でもない、人だけよ」



それは、今この場にいるのは、たった一人。



「先ほどの方がそう言われたのですな!?」

「本当かよ、それ!?」

「ええ、確かよ」

「な、何者なんだよ…」



周りがまだ騒めいている中、ひよりは荷物を地面に下ろして両手を地につける。風穴を覗き込んで、大声で「夜ト」と呼び出したのだった。








――毘沙門天は帰ってきた。何故なら、「毘沙門天」が真名だから。

けれど、夜トは、



「夜ト!夜トー!」



ひよりが何度読んでも、夜トは戻ってこない。



『(どうしたらいい、教えてしまってもいいの…?でも夜トが、夜トが、っ…それよりも玄武を呼ばなきゃ、でも、っ…)』



最早混乱状態に陥っている李卯に、神獣の姿の白虎はすり…と李卯に擦り寄った。その暖かさに泣きそうになる李卯は、ぐっと涙を堪えてひより達の元へと歩く。



「りいちゃん…?」

『……く、』

「え……」



ひよりが焦った顔をしながら李卯を見上げる。李卯は心の中で自身の父親に逆らうことの恐怖を覚えながら、夜トの真名を口にした。



『…「夜卜やぼく」。夜トの名前は、夜卜なの』



呼んであげて、夜トの名前を。そして、玄武も。

お願い、壱岐さん。



その震える声に、ひよりはすぐに頷いてそっと名前を呼んだ。



「夜卜、…玄武、」



呼んだ瞬間、夜トはひよりに覆いかぶさるようにして現れた。気を失っているようで、ピクリともしない。

玄武は綺麗に現れ、主である李卯に頭を垂れる。



「帰還が遅くなり、申し訳ありませんでした!」

『ううん。…よく、無事で帰ってきてくれたね、玄武。玄武のお陰で、夜トも毘沙門もみんな無事だよ。ありがとう』



ぎゅうっと玄武を抱きしめる李卯。側では白虎が頬を膨らませて羨ましがっている。

玄武はキョトンとした顔をしたかと思えば、わたわたと慌てて李卯の名を呼ぶ。



『怖かったでしょう?…よく頑張ったね、玄武…!』

「李卯様……っ、く、ふ…っ……李卯様ぁぁあ…っ…!」



とうとう泣き出した玄武に、李卯はよしよしと優しくあやしてやった。

そして、ひよりに抱きしめられている夜トを見て、複雑な想いを抱きながらもふわりと笑った。



「…おかえりなさい、夜ト」

















ザッ、と草むらを踏みしめる音が静かな夜にはよく響いた。



「戻れ、みずち


キン、と光るのは小ぶりの刀。
それはやがて、幼い少女を象った。



「かわいそうに…。みんな璃を置いて帰ったのか?」

「父様…助けてくれなかった」

「仕方ないだろ。その役目はオレだったはずなんだが…、ジャマ者が多くてな…。それにしてもよく頑張った。おかげで術師オレは死んだってことになったよ。

おまえ達は本当に良い子だ」



男は璃の頭を撫で、満足そうに微笑んだ。



「ねぇ、父様。李卯は?私、李卯ともずっと一緒に居たい…」

「璃は本当に李卯が好きだなあ。…心配しなくても、あいつからこっちに来るさ。

李卯は、オレから離れられないんだからな…」



くすくす、クスクス、

二つの笑い声が、穏やかに空を舞った。







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