▼ 07
「捕らえたり、捕らえたり」
くすくすと笑うイザナミは、自身が仕掛けた髪を思い切り引っ張った。けれどそれは夜トの血が染み付いた足袋だったのだ。
「あ、あ……
あぁああぁぁ!!!」
骸骨の顔で叫ぶイザナミは、ぞわぞわと髪を蠢かせながらまた奥へ奥へと夜トを探し始めた。
その頃の夜トはと言うと――、
「痛いの痛いの飛んでけー。…頑張ったね、夜ト」
自分の服の裾を破き、それを夜トの足に巻いていく。夜トは顔中、否顔だけじゃない。身体も痣まみれだ。
「…涼しい顔してヨユーだよな、いっつも。もし風穴が見つからなかったらここで死ぬかもしんねーんだぞ」
夜トは、不安をそのまま緋にぶつける。けれど緋はなんてことないという顔をして、「大丈夫よ、父様が助けてくれるもの」と言ってのけた。
昔から共にいる緋と夜ト。その中に、李卯もいた。
緋は、夜トには緋として、李卯には柚として神器になった。気づいた頃から野良だった緋は、一度も二人を刺したことがない。
「(今回ばかりは緋で良かっ――)」
そこまで思って、夜トは頭を掻きむしった。
「(オレのアホ、ボケ、クズ!雪音はオレの祝!! こんなだから神器に愛想つかされるし、李卯には呆れられるんだ!緋とはこれっきり!! )
帰ったら親父とも手を切るんだ…」
ブツブツと呟く夜トだが、それに緋は容赦なく反撃する。実際、夜トがそう言って手を切れた試しがないからだ。
「…神は死者に仮名を与え、縛り自分のものにする」
「…?」
「では神である、あなたは誰のもの?誰に名づけてもらったの?」
唐突にそんな話を口にする緋に夜トは荒い息を吐きながら首を傾げる。そんな夜トに緋は口元に笑みを浮かべた。
「父様でしょ。だからあなたは父様のものなの。たとえ独り立ちしてもそれは変わらないわ。だって、父様はあなたの真名を知ってるんだもの…。
その名を呼ばれるたび、あなたは父様に繋ぎ止められるのでしょうね。ねえ、夜――」
ゆっくりと、緋が紡ぐ。まるで夜トに聞かせるように。
瞬間、夜トの顔色は更に悪くなり、ただ呆然と空を見ているしかできなかった。
「李卯は真名を隠すことをしてないけれど…あの子も、父様から離れられない。だって、あの子の心の奥底には必ず父様がいる。そうしたのは他でもない、父様だから」
ふと思いだすのは、その量の目から惜し気もなす涙を流す李卯。
『ふ、っ………ごめ、なさ…』
「李卯?何が…」
『もう、終わり、たい、…のに…』
「!」
『逆らえないよ…!』やっとその本当の意味が分かった夜トは、ぎゅうっと拳を握った。
何をされてたかなんて知らないが、どうせあの親父のことだ。碌でもない方法で己の存在を根強く李卯に刻み込んだんだろう。
すぐにそう悟った夜トだが、不意に聞こえたイザナミの声に我に帰る。
「夜ト、さぁああん?」
「っひ、緋器!」
「見つけたあ」
緋器を呼び、手に神器を収める。頭上、そして背後から迫るイザナミの髪から逃げるように、夜トはその場から逃げ出した。
《頑張るのよ夜ト。きっと父様が助けてくれるわ》
ズキズキと痛む足を庇いながら走っていると、緋が励ますようにそう言ってくる。すぐに夜トの脳裏には、幼き頃ずっと一緒にいたその父親の姿を浮かばせる。
そのせいで夜トの足は止まってしまい、イザナミに捕らえられてしまった。
「やあっと観念したかしら…」
くすくすと響く笑いに、髪に縛られた緋は顔を幼い顔を歪ませる。神器共に動けなくなった夜トは、朦朧とする視界の中、身体に絡まる髪を引きちぎろうともがく。
すると、突然素早い攻撃がイザナミを襲ったのだ。
「――あなたがイザナミか。我は七福神が
一柱毘沙門天!そこな夜ト神をお引き渡し願おう!」
ボロボロな姿でも威厳を失わない毘沙門天。その横には少し埃を被っただけの玄武が。
「…なっ、なんで、おまえらが黄泉にいんの…?
バカだろ、絶対…っ」
毘沙門、兆麻…。おまえらでも無理なんだ。
黄泉はイザナミが統べる領域
もう どこにも帰れない…
少しの嬉しさを滲ませる夜トだが、絶望的状況は変わっていない。否、むしろ悪化したと言ってもいいだろう。
それでも、それでも、
誰かが自分を助けに来てくれた。
その事実が、夜トにはどうしようもなく嬉しかったのだ。
・
・
・
「も、もう風穴が閉じた…。こんなことって…」
閉じた風穴を見ながらもう一度黒器を使うが、途轍もなく固い地面はまた直ぐに閉じられてしまう。
『……っ………』
事の重大さに、李卯の表情もかたくなる。けれど、思考はかつてない程クリアだった。
夜トは恵比寿と共に黄泉へ行った。それは何故?恵比寿に頼まれたから?違う、恵比寿は夜トとはあまり接点がなかったはずだ。恵比寿が術師だったからと言って、夜トと術師である父様との関係性を知っているなら力を借りる為に頼んだ可能性は出てくる。けど、
恵比寿が父様の事を知るだなんてパーセンテージで言えばかなり低い。あの父様が知られるなんてヘマをする訳ない。ならば、考えられるのは一つ。
『
父様からの命令…』
ぼそりと呟かれたそれは、いきなり吹いた突風により誰にも聞かれることはなかった。
そこへ、バササ…と布がはためくような音が聞こえる。皆、音のする方へ目を向けると、そこには電柱に隠れるように身を寄せる小さな人影があった。
「み、見えてるけど…」
「討伐隊の方ですよね。まだ、なにかご用でしょうか」
フードの奥に潜むは、とても端正な顔立ちをした少女だった。
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