▼ 06
恵比寿の血がこびりついた服をぎゅっと握りしめる李卯。そんな李卯を後ろから抱きしめる白虎。その傍らで呆然とする毘沙門天。そして、そんな三人と恵比寿の死を間近で見ていた雪音とひより。
「(…なにも残らないんだ…。あれが、神の死……)」
そうしている間も空から鳴り響くのは太鼓の音。
「術師・恵比寿は死んだ!これで
天地も鎮まろう――」
タケミカヅチが声高々に口を開く。しかしその言葉は毘沙門天と李卯を激情へと誘うものだった。
毘沙門天は神器で地面をゴッ!と叩く。パラパラと地面の屑が落ちていくが、毘沙門天の目はただ一つ、タケミカヅチを射抜いていた。
毘沙門天が先に行動したお陰で李卯はぴたりと静止する。毘沙門天があともう少し遅ければ、李卯はここに四神を集結させていただろう。開かれた口は音を出すことなく閉じられたのだから。
「なにを荒ぶるか…。我々は術師・恵比寿を葬っただけだ。新たに生まれる恵比寿は新たな道司によって育まれよう。二度と妖などに魅入られぬように。
代替わりした恵比寿に良き裁量を望もうではないか。のう、毘沙門…李卯…」
そう言い残すと、タケミカヅチ率いる天の者達は静かに帰って行った。
雨は止み、地面には陽が差し込む。
「…毘沙門様…李卯さん…」
「……おまえ達か…。恵比寿が言っていた…。
夜ト神が、まだ黄泉にいる。助けてやってほしい….と。…何故奴まで黄泉に行ったのかわからんが…、人騒がせな男だ…」
夜トが黄泉にいる
やはり、と李卯は顔を俯けた。大方何故かなんて予想はつく。ついてしまうからこそ、李卯はどうしようもなく不安なのだ。
恵比寿がこうして黄泉から戻ってこれているが、夜トは未だ黄泉にいる。つまり、出てこれない状況。黄泉から出てくるには…――、
「その黄泉にはどうやったら行けますか…?」
「入り口は塞がれてたし、あんなに酷かった風穴もいつの間にか閉じちゃってて…」
まさか行くつもりなのか、と李卯は目を見開いたその時、
「ひよりん、ユッキー、ダメよ」
現れたのは、小福と大黒だった。
小福はいつものにこにことした笑みを消し、真剣な顔をしている。
「ひよりんは絶対黄泉に行っちゃダメ。ユッキーもその姿のままじゃ妖に食べられちゃう。境界だけじゃ限界があるわ。どうしても夜トちゃんを助けたいなら誰かの器になって潜入するしかないけど…、
ユッキーは野良になれる?」
小福からの容赦のない問いに、雪音は思わず狼狽えた。咄嗟に頭の中に浮かんだのは、緋。
「で、でも、それは…っ」
いつもの小福じゃないようで、さすがのひよりも冷や汗を流している。それでも、それくらい厳しく、生存率など無いに等しい場所なのだ。黄泉という所は。
「自ら名を貶めずともよい、夜トの祝。
お前の主は私が連れ戻す」
真っ直ぐな瞳は、雪音を見た。そこにはもう覚悟の色しかない。
雪音は自分の力の無さにただ呆然と立ち尽くしてしまう。
『ま、待って毘沙門!』
「李卯?」
ここでやっと李卯のまともな声を聞いたからか、毘沙門天は勿論小福達も驚いている。
特に雪音とひよりはもっと驚いていた。なぜなら、泣き姿など見たことがなかった李卯が、その量の目から惜しげも無く涙を流しているからだ。
『私も連れてって、私も夜トを助けに行く!』
迷いのない言葉に、ひよりはズキリと胸が痛んだ。ひよりだってそう言いたい、この体で夜トを助けに行きたい。だけど出来ないのだ、この体では、人の体では。
なのに、李卯は出来る。何故ならば神だから。たったそれだけの、しかし漠然とした自分との違いをひよりは確かに感じ取っていた。
「…ダメだ」
『どうして…ッお願い毘沙門、私も、』
「神器もいないお前を連れて行く訳にはいかない」
はっきりと告げられたそれに、李卯はぐっと毘沙門の手を掴んだ。その拍子にはらりと地面に落ちる恵比寿の服。
それを白虎は黙って拾い、もう落とさぬように握りしめる。
『それでも、行かなきゃ…っ!だって、だって夜トは、夜トは!』
「…ここで、待っていてやってくれ、李卯。夜トが戻ってきたときにお前が出迎えてやったらきっと喜ぶ」
李卯を宥めるように笑みを浮かべる毘沙門天に、李卯は戸惑いながらも小さく頷いて、堪らず毘沙門天に抱きついた。
「李卯?」
『…絶対、無事で帰ってきて』
「……あぁ」
『ちゃんと神器も無事で、みんな一緒に帰ってきて!』
「…分かった」
ゆるり、と自分より低い位置にある李卯の頭を優しく撫でて、李卯はそっと毘沙門天から離れる。
『…せめて、一人連れて行って貰ってもいい?』
「一人?」
『――玄武』
白虎の時と同様に、空気がキン…と震える。眩い光と共に現れたのは黒が印象的な男――玄武。
呼ばれた玄武は、いつもならその持ち前の明るさで李卯に飛びつくが、今回ばかりは事情が事情なため、そんな事も出来ない。
四神と李卯は、繋がっている。だからこそ離れた場所にいた玄武達にも今目の前の現状は把握出来ているのだ。
「李卯様…、」
『突然呼んでごめんね?…本当は、こんな危険な事…頼みたくないんだけど…っ…』
「俺、李卯様の為ならなんだってやります!だって俺たちはそのためにいるんですから!
…だから、泣かないでください、謝らないでください、――李卯様」
深緑の瞳が細められ、本当に光栄そうに、誇らしそうに胸を張る玄武。
そうなるのも当たり前だろう。四神達は皆“神”という括りに入るが、本来は李卯の忠実なる僕。つまり、主である李卯からの命は至極当然の事であり、光栄なる事なのだ。
『…私の力を玄武にあげる。だから…、毘沙門達を守って、玄武。そして玄武もちゃんと無事に帰ってきて…!』
「李卯様…」
ふ、と短く息を吐く李卯。それが合図のように玄武はすっと頭を垂れた。
初めて見る光景に、ひより達も思わず黙って魅入ってしまう。その、神聖な儀式のようなそれに。
『我が名を持って玄武に命ずる。毘沙門天と共に黄泉へ行き、毘沙門天、及びその神器達を守り抜き、夜トを無事救い出せ。そして玄武、お前も含め全員が無事に帰還しろ』
「――御意」
新緑の瞳を黒く光らせ、玄武は李卯の手の甲に口付けた。
流れるような動作で顔を上げた玄武は、そこから流し込まれた李卯の力に、思わずにぎにぎと両手を握ったり広げたりしている。
「…必ず、遂行してみせます」
『…うん、頼んだよ、玄武』
話が纏まったのを見計らい、毘沙門天が自分の神器に後を頼む。小福はそろりと恵比寿が存在していたところへ寄り、その血痕へと指先を伸ばした。
「びしゃあお願い…。夜トちゃん助けたげて…」
小福の涙のお願いに、毘沙門天は迷わず頷く。その傍では毘沙門天の神器が渋い顔をしていた。やはりいくら強いと分かっている自分の主でも、黄泉へ送り出すのは頷き難いものなのだろう。
「
黒器」
パチンッ、とその手に黒器を持った小福は、右手を大きく振り上げた。
「びしゃあも玄武ちゃん達も死んじゃ嫌よ。絶対――…みんな帰ってきてね!」
ドン!と黒器が地面に風穴を開ける。その風穴に毘沙門天達は飛び降りた。
けれど、側で見ていた李卯は、その風穴の小ささとすぐ閉じられた穴に目を見開く。
『ま、さか……』
あの
女が、
『イザナミ、が……!』
やっぱり自分も行くべきだった。そう後悔するが、今の自分には毘沙門天の言う通り神器がいない。ただ、ここで夜ト達の帰りを待つことしかできない。
なんて無力なのか。
その無力さを、夜トの神器である雪音とひよりも感じていた。
「(悔しいんだね、雪音君。わかるよ…。本当は、自分も力になりたいのに…)」
――その頃、黄泉へと入り込んだ毘沙門天達は…、
「まだ夜トは見つからないのか!?」
《髪はまだまだ先です!》
毘沙門天の質問に答える兆麻は、遠方を見ながら答える。そんな毘沙門天のすぐ側で玄武がス…と瞳を細めた。
「毘沙門天、その横の壁を壊してよ」
「玄武……、ここを、か?」
「そう。そこは夜ト神に辿り着く近道となる。そこを壊せば手っ取り早くあの女と夜ト神に近づける!」
「何故その様な事が分かる?」
「分かるさ!俺は玄武だぜ?地に関する事ならなんだって分かるっての!」
にぱっ!と緊張感のない笑いを向ける玄武に、毘沙門天も肩の力を抜いてそっと笑みを浮かべた。
「…流石だな、李卯が玄武を連れて行けと言った意味が漸く分かった」
毘沙門天は小さくそう言うと、玄武の言った壁を破壊した。そこは空洞が出来ていて、遠くからだが夜トの気配も感じられる。
ぐ、と剣を強く握りしめた毘沙門天は更に進むスピードを上げたのだった。
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