Side of You | ナノ

 03



居間で何をするわけでもなく、ただ胡座を掻いて目を閉じている陽弥は、突然ピクリと肩を揺らした。

トタトタ、と軽い足音が段々此方に近づいてきている。足音は襖の前でピタッと止まり、数秒の間静かな空気が漂った。



『…このままで、いいから……聞いてほしい…』



声の主は自分の最愛で崇高なる主のもの。陽弥は普段より小さい声に、掠れた返事を返した。



『…私、あの日のことを夢に見ることが何度かあったの。ずっと、繰り返される美弥の死が、怖かった。

毘沙門の所で、妖に転じそうになってた神器たちを見て、今私のいる“ここ”は、現実なのか、それともまた夢なのか、わからなくなった。だから、どうしようもなく焦がれたの。あの愛おしかった日々を』



吐き出されたのは、李卯の本音。誰にも晒すことのなかった、心の奥底にある闇だった。



「…それで?あいつが私のことを恨んでるかもー、…なんてくだんねェこと思ってんじゃねェだろうな」

『う、』

「馬鹿か!」



図星だったのだろう、ぐっと押し黙った李卯に、もう我慢できないと自分と李卯との間にあった壁、という名の襖を陽弥は蹴破った。

勿論、李卯に当たらないように。

突如目の前にあった襖が吹き飛び、李卯は大袈裟なくらい驚き、目を瞬かせる。そんな李卯を見て、陽弥は一発、重い拳骨を李卯にくらわせた。



『い、った!! 何すんのよこの馬鹿神器!主に手ェあげるなんて正気じゃないよ!』

「お前は俺の主じゃねぇ。…なあ、お前李卯のニセモンだろ?」

『はぁ!? とうとう頭狂ったわけ!? 正真正銘李卯ですけど!』

「いーや、お前は俺の主じゃねぇ。俺の主は、

お人好しで、
お節介で、
俺と美弥、あと四獣が大好きで、



自分の懐に入った奴は必ず護る。

そんな李卯だからこそ、俺も李卯を主だと認めたんだ」



真っ直ぐすぎる陽弥の言葉に、李卯は堪えきれず涙を流した。

口元に手をあてて、必死に嗚咽を堪える。



『ちが、ッ、まも、れてな…!…たしは、なんにも、っ護れて、ない…!』

「くだんねぇ部分は夢見といて、一番大事なところは憶えてねぇのかよ!? 思い出せよ!あいつは…美弥は最期何て言ってた!?」



いつの間にかへたり込んでた李卯を見下ろし、肩で息をする陽弥。李卯は陽弥に言われた通り、美弥の最期を思い出した。





「李卯、様…このような、お姿をお見せ、してしまい…申し訳、ございま、せん…」

『ごめっ、美弥、みやぁ!ごめんね、護れなくて、ごめ…!』

「ふふ、何を、仰っている、ので、ござい、ますか?わ、たくし、は、もう充分すぎる、くらい…李卯様に、お護りいただけ、ましたわ…。これこそ、わたくしの…至上なる喜び、で、すわ…」

『ちがう…私は、なにも、』

「…李卯様は、わたくしにとって、かけがえのない、大切な、御方で、ございます。


美弥は、李卯様の神器になれて、こうして李卯様の為に戦えて、李卯様にお護りされて、これ以上ないくらい、至福を感じております。

ですからこの先、何があっても、過去(後ろ)を振り向かないでくださいませ。ここに、李卯様の想い描くものなどございません」

『み、や…』

「ずっとお護りくださって、ありがとうございました。これからは、わたくしが李卯様をお護り致しますわ。ですから、どうか間違えないでくださいませ…」


――夢は、夢でございます。そこに在るものなどございません。美弥は、李卯様の夢ではなく、李卯様の御前に現れますことを、忘れないでほしいですわ。






ブワッと、忘れていた記憶が李卯の脳内に蘇る。どうして忘れていたのか、こんな大事なことを。



「…美弥は、こうなることを見越して、ああ言ったんだろーが。そんなあいつが李卯を恨む?寝言抜かしてんじゃねェよ、馬鹿主」



辛辣な言葉を投げかける陽弥は、もう冷たい目をしてない。李卯は声色の変わった陽弥に、今だ流れ続ける涙をやや乱暴に拭った。

こすり終えた目はほんのり赤に染まり、いかにも"泣き終えたあと"のような目元だが、



「……やっと復活、か?」



陽弥にはお気に召したようだ。そんな陽弥に応えようと、李卯も久々に口角を釣り上げた。



『私を誰だと思っているの?陽弥と美弥の主だよ?


こんなの、朝飯前!』



ニヒルに笑った李卯に、陽弥もホッとした笑みを返した。



「んじゃ、これで行けるな」

『は?行くってどこに?』

「花見。壱岐ひよりに誘われてんだよ、毘沙門天さんとか、天神とかもいるらしいぞ」

『そうなんだ…天神さんにはお世話になったし、行こうかな』

「ん、じゃぁさっさと行こうぜ」



李卯は社から出て、空を見上げた。見事な快晴に、心が晴れ渡る。

ふ、と微笑んだ李卯の背は、頼もしく大きいと、後ろにいた陽弥はそう思ったのだった。







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