▼ 02
春の風が、社の木々を揺らす。サァア、という葉の擦れる音が、陽弥の鼓膜を擽った。
毘沙門天と夜トの騒動から、李卯はずっと塞ぎこもっていた。理由はただ一つ、美弥のことだ。
「……李卯、朝食置いておくからな」
コトリと部屋の扉の前に置かれたのは、ほかほかと暖かそうな湯気のたった炊きたてのご飯と、豆腐とワカメの味噌汁、それから李卯の好物である砂糖と出汁の入った玉子焼きだ。
「……ハァ…」
反応のない李卯に、陽弥は小さくため息を吐いてその場を離れた。
一方、部屋で篭っている李卯は、
『…りんりんりーんと鐘が鳴るー、…つーきのなーいーよーぞらにー、貴方の歌声がー響くー…』
真っ暗な部屋で歌を歌っているのは、勿論李卯。布団に包まりながら歌う姿は、儚い。
『…わーらう貴方のその瞳ー、愛しさいっぱいはーらんでー、…はにかみ照れたその頬はー、あーかくそーまり…また、』
その続きは、李卯の涙で消された。
代わりに零れたのは、止まらない嗚咽。
『ふ、ック……う、うう……ひ、っ、…』
ぽたぽたと布団に涙が染みる。今、李卯の頭の中には数年前のことでいっぱいだった。
末っ子で、ちょっと勝気で、李卯以外の誰に対しても辛辣で、だけどちょっぴり天然な美弥。
祝の器で、頼れる兄貴肌で、いつも主と末っ子の事を心配して、変なところでプライドがあって、でもたまにデレた時が可愛い陽弥。
二人の神器の主で、どこか抜けてて、恋には疎くて、でも大切な人を護るためなら何だってして、二人の神器と四人の神獣が大好きな神、李卯。
互いがとても大切で、大好きだった。
『ごめ、っ、みや……!』
護りたかった、護れなかった。
「お任せくださいませ、李卯様。わたくしは李卯様を御守りする為に存在しておりますのよ?あのような雑魚、わたくし一人で充分事足りますわ。
ですから、李卯様は陽弥とともにここを御守り下さいませ」
「では、行って参りますわね、李卯様」そう言った彼女は、戻って来なかった。
幾晩が過ぎただろうか、何度歌を歌っただろうか。計り知れない時間、待ち続けた。
『っ、ふ、ぅぅ…』
そこで李卯は、先程陽弥が置いて行った朝食の存在を思い出した。
そお…っと部屋の襖を開けると、下からほわほわと湯気が上がってきた。つい、とつられて視線を下に向けると、陽弥の言っていた通り朝食が置かれていた。
お味噌汁と、ご飯と、玉子焼き。
お盆ごとそれを持ち上げて、李卯は部屋に戻る。中央に置かれたテーブルの上に置いて、手を合わせて、
『…いただきます』
李卯の小さな小さな声が、静かに消えた。箸を持ってまずは味噌汁を一口。ずずず、と汁物特有の音を響かせた。
『…とうふと、わかめ……おいし、』
味噌汁の具は、李卯の一番好きなものだった。それだけで顔は綻び、胸がぽわんと暖かくなる。
玉子焼きとの合間にご飯を食べると、炊きたての味がふんわりと優しく舌を包んだ。
『この玉子焼き…甘い』
塩じゃなくて、砂糖と出汁の玉子焼きは李卯の大好きな味付けだ。
元気のない李卯のために、陽弥は李卯の好物を作ったのだ。普段は好物もあれば苦手な物も作っているのに…。
『…何時迄も塞ぎ込んでちゃ、だめだよね』
グッと箸を持つ手に力を入れると、李卯は掻き込むように朝食に食らいついた。
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