魅せつけろ
正門坂〜並木通りまでは、クライマーにとって軽く流す道だ。
ジャァー、という自転車の音が耳にするりと入り込んでくる。
そんな3人の後ろを金城達は思い思いに眺めていた。
「そんなに凄そうな子には見えへんけどなぁ」
「だが、あのロードは性能が抜群にいい。その分値段が張る…」
「そのフェルトを上手く乗りこなせとるか…やろ?スカシ」
「あぁ…」
今泉と鳴子の話を聞きながら、金城と田所は別のことを考えていた。
「…お前ら、」
「何スか?オッサン」
「オッサン言うんじゃねェ!ったく…、よく考えてみろ。あの巻島が、あんなにこの勝負を楽しみにしてんたんだ。なら実力なんて聞かなくても分かる」
「え…」
「あの子…間宮は、巻島も認める強さだと言うことだ」
「まさかこうして走れるとは思わなかったなぁ。巻ちゃんとは勿論だけど、小野田君とも!もっと後になるかとおもってた!」
「つか雫と小野田はどういう関係なんだ?」
「クラスメート!席が前後なのー」
「なるほど…、小野田に迷惑かけてねぇかショ」
「失礼だなぁ巻ちゃんは…迷惑なんてかけてないよ!ね、小野田君!」
「へ!? あ、あああ、う、うん!」
「ちょ、小野田君ガチガチじゃん!リラックスしてよ、ね?そんなんじゃ坂までもたないよ?」
パシパシ、と小野田の背中を優しく叩く雫に、小野田も自然と笑顔になる。
そうこうしているうちに、3人は裏門坂までやって来た。
「ほんと…素敵な山だよ、ここは」
「クハッ…、準備は出来てるか?小野田、雫」
「は、はいっ!」
「当たり前。…じゃあ、行くよ」
ぺろり、と舌なめずりをした雫が一番に先頭に出た。その後ろに巻島、小野田と続く。
巻島は既にあのぐにゃりとしたダンシングで、そして小野田は
「へぇ…。小野田君は
面白い!!」
雫は笑顔でグッと腰を上げ、音もなく加速していく。
そう、これは東堂と全く一緒のスリーピングクライムだ。東堂ずっと一緒に登っているうちに、雫はいつの間にか東堂と同じ走りをマスターしていたのだ。
「音もしないで加速した…!」
「驚くのはまだ早いショ」
「え…」
「あいつの本当の走りは、これからが本番っショ…!」
それだけ言うと、巻島は更にスピードを上げた。
「雫ちゃんの…本当の走り…」
見てみたい
その想いだけで、小野田は更にペダルを回し始めた。
「追いついたっショ…雫!!」
「巻ちゃん!」
あの不安定なダンシングで後ろからやって来た巻島に、雫は顔だけ振り向かせて笑う。
そんな巻島の後ろからは、満面の笑みを浮かべる小野田もいた。
「小野田君まで…。いいね…さいっこうだよ!!」
汗を拭い、雫は前を見て吠える。誰が見ても楽しんでいるその姿に、巻島と小野田も体が昂ぶる。
「もうラストスパートだね…なら…!」
バチン!バチン!と音が鳴る。自転車乗りなら誰もが分かる音だ。
――雫は、ギアを2枚上げたのだ
「ギアを…上げた…!?」
「あれが本来の雫の走りだ!ほら、ちゃんと見とけよォ小野田!!」
楽しさに顔を歪めた巻島に言われ、小野田は雫の背中を見つめる。グングンと離れる雫は、一身に太陽の光を浴びている。
とても神々しい
小野田は素直にそう感じた。
「雫の体もよく見てみろ。重心ばブレず、尚且つしなやか。まるで猫のような軽やかさが特徴っショ!」
「猫……!」
「元々の体の軽さと、自転車の軽さ。そしてあのしなやかなダンシング。付いた二つ名が…“山の猫神”!!」
――山の猫神
それは昔、東堂と共に出た男女混合レースで、見事山神東堂に並ぶ2位という成績を残し、且つ雫の走りを見た者たちが付けた。
山の猫神。それには“山神に愛されている猫”、という意味も含まれているのは雫は知らないのだが。
ちなみにその雫の走りは“キャッツクライム”と名付けられてもいる。
巻島はそこまで言うと、ジャッ!と速さを増していく。残された小野田も得意の高回転で2人に追いつこうと必死にペダルを回す。
「ハァッ…小野田君も、来たね…!」
「やっとっショ…」
「残り600…手ェ抜いたら怒るからね!!」
「そりゃこっちの台詞っショォ!!」
残り500……400……300……、
そして、
「っショォ!!!」
「ハァッ…ハッ……ハッ…」
「はぁ…っ……」
空へ腕を伸ばしたのは、巻島だった。
雫は深く項垂れ、小野田は息を整えるのに精一杯だ。
そんな3人に金城達が近寄る。すると、小野田は足が限界を超えていたのだろう。ぐらりと傾いて倒れた。けれどその寸前に幹や今泉達が間一髪で受け止めていた。
「小野田!」
「小野田君!よォやったで!!」
「ハァ…ハッ……二人とも、速くて……最後は離されちゃったけど……楽しかった…すごく……!!」
小野田は幸せそうに頬を緩めた。
そんな小野田の言葉に、今泉や鳴子、金城、田所はドクリと心臓を鳴らした。
ずっと後ろから追いかけていて、4人は何度一緒に走りたいと思ったか。巻島や小野田と互角に、それ以上の実力の持ち主な雫。だが、それだけじゃない。
雫の本当に楽しそうな走りを見て、勝手に体が疼いたのだ。
「巻、ちゃん…」
「雫……」
「ほんと…速くなった、ね……。おめでと…!」
「雫こそ…いつの間に、そんなに速くなってんショ…」
「ひひー。そりゃあ練習したからだなあ…タイムも僅差…ふふふ……尽八に自慢しよ…」
嬉しそうにゆるゆると笑う雫に、巻島もつられて笑った。
そして、いつものレース終わり恒例のハイタッチを、
――パァン!
今、鳴らした。
「今日は本当にありがとうございました!」
ぺこり、と頭を下げる雫。その表情は晴れ晴れとしていて、悔いのないものだった。
「もう来ォへんの!? えっと…何さんやったっけ?」
「間宮、間宮雫だよ。もう来ないって…うん、もうここに用事はないからね」
「なんでや!ワイとも勝負してェや!!」
「鳴子!?」
突然言われたそれに、雫はパチパチと目を瞬かせる。その様子に巻島は「あー…」と頭を掻く。
「鳴子。お前はスプリンターショ。雫はクライマー。勝負出来ねェっショ。つか勝負にならねェ」
「………巻ちゃん、今なんて?」
「……あ、」
失言した。
巻島は即座にそう思った。いや、巻島の言った事は間違ってはいない。現にクライマーは平地では遅いのだから。スプリンターの鳴子とは勝負にもならない。
ならない、のだが…。
「いいよ。鳴子君、だっけ?」
「雫!!」
「スプリント勝負、受けて立ってやるわ!!」
この間宮雫という女は、どうしようもなく負けず嫌いなのだ。
「ほんまか!?」
「ほんと!」
鳴子に向かって頷いた後、雫はキッと巻島を睨んだ。
「巻ちゃん」
「ショ……?」
「私が苦手科目をそのままにすると思う?」
その台詞だけで十分だった。
それだけを言い残すと、再度礼をして今度こそ帰っていった。
「巻島、彼女とはどうやって知り合ったんだ?」
「あー…ほら、箱学の東堂」
「東堂と関係があるのか?」
「あいつ、その東堂の彼女っショ」
「は……」
『『『はァァアアア!?』』』
総北のそんな叫びなど知るよしもない雫は、裏門坂を気持ちよさそうに下っていった。
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