感動の再会(?)
開いた扉から恐る恐る、とまるで怯えているかのように入ってきたのは、マネージャーである寒咲 幹だった。
そうして、お互いに目が合う。どちらもきょとんとした顔をするが、ハッとなった雫は慌てて幹に向かって謝る。
「ごごご、ごめんなさい!勝手に入ってしまって!その、決して泥棒とかそう言うんじゃなくて!あの、知り合いがここの部活にいるって聞いて!いや聞いたんじゃなくて知ってて!あ、本人から聞いたから聞いた内に入るのか…じゃなくて!あの、その、」
「…ふふっ、」
「…へ……」
マシンガントークのようなそれに、幹は堪らず笑ってしまった。その事で漸く雫の勢いも収まり、なんとも気の抜けた表情をした。
「ごめんなさい、笑ってしまって。誰も疑ってないですよ」
「へ…あ、あぁ…なら…よかったです…」
「私、自転車競技部のマネージャーで、1年の寒咲 幹と言います。貴方は…?」
「あ、同じく1年の間宮 雫です!」
「同じ1年生なんだ!」
ほわほわと笑う幹に、雫も強張っていた肩の力を抜いた。
「じゃあ…ここで会ったのも何かの縁だし、雫ちゃんって呼んでもいい?」
「う、うん!」
「私のことは幹でいいよ」
「幹ちゃん!」
初々しい二人。
そんな空気をぶち壊したのは、やはり扉の開く音だった。
「マネージャー!ドリンクはまだか…って…」
大きな声で入ってきたのは、3年の田所迅。その体の大きさに雫は思わず身を引いてしまった。
「あ、田所先輩!すみません、今持って行きます!」
「…いや、その子は…」
「あ、その…知り合いがこの部活にいるらしくて…」
怖い、と田所を涙目になりながらガン見する雫だが、つい、と目を窓の外に一瞬向けた。
そして、あの目立つタマ虫色を見つけた瞬間に雫は走り出した。
「っ……まきちゃ…!」
「え、っ雫ちゃん!?」
幹の戸惑う声を尻目に、雫は部員の集まる中へ飛び込んだ。
ある一人だけをめがけて。
「ッ巻ちゃぁあああん!!!」
「クハッ!!?」
ちょうど、巻島のお腹に頭が当たり、巻島は苦しそうな呻き声を上げた。けれどそんな事は気にせず、雫はぐりぐりと頭を擦り付ける。
「巻ちゃぁあん!会いたかったよー!怖かったよー!」
「ちょ…、何でお前がここにいるっショ…!?」
「うぇぇえん!巻ちゃあぁぁん!」
「話を聞け!」
泣き出した雫に、巻島は目を釣り上げて怒鳴る。
「(っとに…、
巻島がそんな事を思っているなんて露知らず、雫は子供のように泣きじゃくる。
「巻ちゃぁぁん…!こわ、怖かった…っ…じ、尽八いないし、っこ、こわい男の人はいるし…!」
「怖い男って…」
雫が出てきた方へ目を向ければ、そこには幹と田所。ああ、とすぐに納得した巻島は田所に可哀想な視線を送った。
「落ち着けっショ。あれは田所っちって言って、オレと同期だ」
「ぅえっ…こ、わ、ッ怖くない…?」
「怖くないショ」
巻島は気づいていた。
雫は、ただ田所が怖いだけでこんなに泣かないし、そもそも普段はこんな人前で大声で泣いたりしない。
けれど、雫は今、人目も気にせずにボロボロと子供のように泣いている。その理由は簡単だ。
東堂がいない事による不安。ただそれだけ。
そして、今までその不安をずっと我慢していたが、巻島という気のおける友人を見つけたせいで、その箍が外れてしまったのだ。
「ほら、落ち着けショ」
「ん……っ…」
ゆるゆると雫の頭を撫でてやれば、次第に涙も止まっていく。ぐすぐすと鼻をすすりつつも、雫は確実に落ち着いていった。
「ごめんね、巻ちゃん…泣いちゃったりして…」
「オレはいいから。まずは田所っちショ?」
「う、うん…」
巻島に背を押され、雫はぐしぐしと目を擦って田所の元へ歩く。近づけばやはり大きく感じるその圧倒的な存在に思わず足がすくむが、雫はおずおずと田所と目を合わせた。
「あの、ほんとに、すみませんでした…」
今までの雫とは想像もつかない程綺麗に礼をする姿に、田所は勿論幹や他の部員達も目を奪われる。
唯一何度も見たことのある、その美しい所作に巻島だけは笑って見ていた。
「いや、オレもいきなり大声出して…その、悪かった…」
その一言にパァ…!と笑顔になった雫は、最後にもう一度謝ってから巻島の元へと戻った。
「巻ちゃん!」
「はいはい、見てたっての」
嬉しそうに飛び跳ねる雫の頭をまた撫でる巻島。
そんな二人を、金城率いる他の部員達は皆、戸惑ったように眺めていた。
だが、いつまでもそうしている訳にはいかない。
誰が最初に声をかける、と皆目で訴えていると、意外な人物が声をかけた。
「雫ちゃん…!?」
『『『(小野田ぁあああ!!?)』』』
誰もが驚いた。小野田が一番に声をかけたのもそうだが、何よりも驚いたのは“名前呼び”だ。
「小野田君!」
パッと巻島から顔だけを離して小野田を見る。その嬉しそうな顔を普段から見慣れている小野田は、何にも臆する事なく巻島と雫へと歩み寄った。
「ど、どうしてここに?」
「巻ちゃんがいることすっかり忘れてて!さっきぶりだねぇ、小野田君!」
「うん…って目が!目が赤くなってるよ!」
「あー、いつものことだよ。泣いたらこうなっちゃうの……あ、それよりさ!今小野田君走ってきたんでしょ!?」
「え、う、うん」
「ならさ!」
ガシッと小野田の手を両手で掴む。そんな事をされるのは初めてな小野田は、顔を真っ赤にする。
そんな小野田が目に入っていないのか、雫は紅潮したように、その感情のままに小野田へ申し立てた。
「私と走ろう!」
思ってもみなかった台詞に、小野田は勿論他の部員達も驚く。
巻島は何となく想像はついていたんだろう。やれやれ、と言った風に、けれどもどこかうずうずした風に二人を見ていた。
「走るって、え、今から!?」
「今から!あ、巻ちゃんも走ろ!一緒に走るの…ってか競争するの久々でしょー?たっのしみー!」
うはー!と両腕を上げて全身で喜びを表現する雫は、あることに気づいて慌てて巻島達の方へと向き直る。
「えっと、部活中にいきなりすみません…!その、久しぶりに巻ちゃ、や、巻島、さんに、会えたことが嬉しくて、その、」
上手く言いたいことが言えない雫。相変わらず口下手だな、と巻島は何も変わっていない雫に少し安心した。
「雫、コイツが金城。主将だ」
「しゅっ…!ああああの!ほんとにすみません!勝手に部室入ったり、中断させてしまったり!」
「いや、オレたちも普段とは違う巻島を見れたからな。オレは金城真護、よろしく」
「わ、私は間宮雫です…っ!よろしくお願いします!」
差し出された金城の手をおずおずと重ねる雫に、金城はまるで妹がいればこんな感じなのだろうか、と思った。
「金城」
「なんだ?」
「頼むショ……。勝負、させてくれ」
巻島が真剣な顔をして頼む。金城はほんの少し考える振りをして、クッと笑った。
「思う存分楽しんでこい」
その言葉を聞いた雫は、パァァ!と眩しいほどの笑顔を見せた。
「やったー!ありがとうございます!金城先輩!」
ぴょこぴょこ飛び跳ねる雫。その後すぐにあ!と何かを思い出してくるりと巻島達の方を見る。
「ロード!取ってくる!」
そう言うと共にばびゅん!と自転車置き場まで走り、ロードに乗ってまた先ほどの部室まで戻った。
「お待たせしました!」
「真っ黒な…フェルト…!!」
「しかもあれ…フェルトゼロとちゃうか…!?」
すぐに反応したのは、1年の今泉と鳴子。その言葉に雫はロードから降りて自慢気にするりとフェルトを撫でた。
「正解です。これはフェルトゼロ。…私の、相棒です」
ロードを見つめるその眼差しは、どこか大人な雰囲気を漂わせている。
ほんの一瞬瞳を閉じて、ゆっくりと開く。その瞳を見たものは、皆ぞくりと背筋を震わせた。
紛れもなく強者だ
瞳を見ただけでそう思わせる雫に、他の部員達も興味津々なようだ。
「コースは任せるよ、巻ちゃん」
「なら個人練習の時と一緒でいいっショ。小野田もそれでいいか?」
「は、はいっ!」
「っし。雫、よく聞けショ。コースは、正門坂〜並木通りを通って裏門坂を登って戻る。だいたい9kmくらいショ」
「はーい!ふふふ〜、いいねいいね…素晴らしいよ巻ちゃん!なんていいコースなんだ!」
東堂を思わせる口振りで喜ぶ雫に、巻島はクハッ!と笑った。
そして、3人がロードに乗る。後ろからはどうやら今泉や鳴子、そして金城、田所が着いてくるらしい。
「う、後ろから着いてこられるとは…」
「緊張するか?」
「ふっ…誰に言ってるの?巻ちゃん。
どんとこいだよ!」
ジャッ、とタイヤと地面が擦れる音がする。正門前で3人は並ぶと、今か今かとスタートの音を待った。
「…小野田君、巻ちゃん」
不意に、雫が2人の名前を呼ぶ。呼ばれた2人は何だ?という顔をして、真ん中にいる雫を見た。
「…絶対負けないから」
闘争心を露わにした雫につられるように、巻島、小野田も笑う。
特に小野田は、このような真剣勝負はあまり経験がないため、酷く心が高揚している。
そして、今、
――パァン!
スタートの合図が鳴った。
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