姫子がいなくなり、まるで憑き物が取れたかのように肩の力が軽くなった草薙達。その後、優衣に対して吐いた数々の暴言や暴力にサーっと顔を青くさせる。
「ッ優衣、すまん、俺、」
「分かってますよ。全ては姫百合姫子の仕業だった事くらい」
姫子が口走っていた“逆ハー補正”。それがどんなものなのか、詳しくは分からないがきっとそれのせいで草薙達は姫子の虜になったのだろう。
「…それでは、ここでさようなら…と言いたいのですが…」
まだ、やるべき事が残っているので、と優衣は周防に目を向けた。周防はいつものダルそうな瞳を優衣に向けて、目だけで言葉を投げかける。
「全て説明しろ」、と。
「…そうですね、私がまた忘れる前に…全てお話します」
スッと頭を下げた優衣。薄い水色の髪がサラサラと落ちていく。
「記憶がなかったとは言え、こんな得体の知れない私を拾ってくださり、吠舞羅の皆様には本当に感謝しております。
ありがとうございました」
綺麗な声で礼を述べた優衣に、カタン、と十束も立ち上がった。スタスタと優衣の近くまで寄った十束は、その勢いのまま優衣を抱きしめる。
「ぅえっ!?」
「お礼を言うのは俺の方だよ。あの屋上で、無色の王に撃たれた俺を助けてくれて、ありがとう」
「は?十束お前知らんって言っとったやないか!」
「嘘に決まってるじゃん。あの時の草薙さん達に正直に話したって無駄無駄」
「ぐっ……」
これには言い返せないのか、草薙はぐっと押し黙るほかなかった。そんな草薙をスルーして、十束は不意に優衣の顔を見た。十束によって上げさせられた表情は、泣くのを耐えているものだった。
途端、十束の中に愛しさが込み上げてくる。
「ッ…ほんと、多々良さんが無事でよかった…!し、死んじゃうかと、おもっ…!」
「…うん、ごめんね」
「よか、っよかった…!」
ぎゅううっと十束に抱きつく優衣。そんな優衣を十束も抱きしめ返し、今生きている喜びを噛み締めた。
「…話してくれる?」
「…うん、」
暫くしてから、二人はそっと離れる。優衣は深く深呼吸をした後、王の目で吠舞羅のみんなを眺めた。
「本来ならば、泡沫の王権者など存在してはならなかった。けれどその存在が“必要”になったから、石盤が反応して泡沫の王が現れた。
私は、白銀の王、アドルフ・K・ヴァイスマンと黄金の王、國常路 大覚…又の名を御前。この二人と同じくらいの時を生きてきた」
語られるのは、もう半世紀も前の話だ。
「アドルフと中尉は、…言うなれば同志、かな。もう何十年も会ってなかったけど、アディとはこの前会ったし…。
とりあえず、私がそれだけの時を生きてきて、なぜ外見が若い頃のままなのか。それは、“私”と“私以外”の時間の経過が違うから」
そんな自分の身体が、怖かった
なのにそんな私を肯定してくれた人が居たから、私は今も生きていられた
「私の身体は、時間の経過が他よりもずっとずっと遅い。だから見た目が成長しないの」
そんな体質だからこそ、クランズマンなんて要らないと思っていた。
「泡沫の王のクランズマンは、一度。たった一度だけ私と同等の力を使う事が出来る。けれど使った瞬間にその身体は魂ごと別の世界へ消えてしまうの。
私の唯一のクランズマン、夢宮 真白もそのせいで他の世界に行ってしまった。…姫百合姫子の居た世界に、ね」
そして、姫子が此方へ来る為の代償として、死んでしまった。
「真白が力を使った理由はわからないけどね」
いつか分かる
そう言ってくれた貴方も、もうどこにも居ない
この世界にも、他の世界にも
「…俺たちの事、忘れちまうのかよ」
「八田くん?」
「っ…また、前みたいに呼べよ…!」
泣きそうな八田の声に、優衣はぱちくりと目を瞬かせ、ふわりと微笑んだ。
「ミサくん」
柔らかい声色に、八田はとうとう泣いてしまった。
どうして俺は、こんなにも優しい彼女を疑ったりしたのだろう。仲間でも何でもなかった、一人の女の涙なんかで。
優衣だって、心で泣いていたのに。
「きっと、もうすぐ忘れちゃう。ミサくんの事も、力夫の事も、翔平やバンちゃんの事も。
…出雲さんや多々良さん、アンナや尊さんの事も、みんな」
静かだったバーに、泣き啜る音が聞こえ始めた。やっと、前のように呼んでくれたのに、それもまた、彼女は忘れてしまうと言うのか。
「だからその前にね、どうしてもしたい事があるの」
覚悟を決めた優衣の目は、力強かった。ロイヤルブルーの瞳は真っ直ぐに周防へ向けられている。
それだけで分かる。優衣が一体何をしようとしているのか。
「…これはお前には関係ねぇだろ」
「恩返しですよ。これくらいしないと、私の気が済まないんです」
「てめぇの気なんか知るかよ」
「ほんと、優しいんですから」
だからこそみんな、貴方に着いていこうって思えるんですね
目を細めた優衣は、本日何度目かのサンクトゥムを広げた。しかし今までの比ではない力を。
その証に、空にはダモクレスの剣が浮かんでいる。
「…やめろ」
「やめません」
「勝手な真似すんじゃねぇよ」
「最初で最後のわがままです」
手を胸の前で組み、祈りを捧げるように瞳を閉じる。周防はチッと舌打ちを鳴らして優衣へ近づこうとするが、それを優衣は拒んだ。
「石盤よ、赤の王のヴァイスマン偏差を消して。そして…、
新しいダモクレスの剣として、生まれ変わって…!」
消滅と相反する力、「発生」。それこそが、優衣の本当の力だった。
「チッ…やめろ!」
「尊さん」
水色に包まれている優衣が、出逢った頃のようにふにゃふにゃと笑った。
泣きそうな、そんな、笑顔。
「大好きです」
目を見開く周防。だが、それも自身の内側から湧いて出る力によって遮られた。
次々と溢れ出てくる力。クランズマン達も自身にある“徴”が熱く燃えているのを感じた。
「み、尊さん!」
周防の信者である八田が、心配そうに堪らず周防の名を呼んだ。しかし、周防もそれどころではなく、溢れ出る力を解放するように空へ放った。
そして、空には泡沫の王のダモクレスの剣にもう一つ、
真新しく輝きを放つ、赤の王のダモクレスの剣が現れた。
「なっ……!」
「へへ…成功、かな……?」
嬉しそうな優衣は、そこで力尽きたように倒れた。
「(次に起きた時は、きっと何も覚えてないんだろうなぁ…)」
そう、悲しい予感を感じて。