もう一球


「降谷、沢村」



長い走り込みを終えると、突然クリスから呼ばれる一年投手二人は、荒い息を収めようとする中後ろを振り返る。



「午後はブルペンに入るぞ……。きちんと準備しとけよ」

「え?」

「やったじゃん。二人とも、足腰フラフラだけどね」



嬉しそうな二人は、次に誰が受けてくれるのかが気になるらしく、思わず大きな声で尋ねてしまった。



「だ…誰が受けてくれるんスか?ま…まさかクリス先輩が…」
「俺だ!」



んフー、と鼻息を出しながら怖い顔で返事をしたのは、3年の一軍捕手、宮内。



「宮内自ら受けたいときてな。まあ、一軍の捕手として当然だろう。ああ見えて人一倍闘志のある奴だからな……。油断してると御幸でも危ないぞ」



クリスの言葉を聞きながら、降谷と沢村は宮内の後ろ姿を眺めていた。







――その頃、グラウンドでは……



カーン、カーン!という音が響く。それに混じって選手達の気合の入った声も飛び交っている。



「どうしたオラァ、もっとこいや〜〜〜!! 俺は全然へばってねーぞ!!」

「もう一本!!」

「うがうがう〜〜!!(来い〜〜!!)」



3年生の声がグラウンドにはとても大きく響いている。そんな中、春市は疲れから片膝をついて呼吸を整えようと必死だ。けれどそんな春市を兄である亮介は「邪魔!!」とにこやかに言い放つ。



「3年生はさすがですね、声量がちがう…」

「ええ…。去年、あと一歩の所で甲子園を逃した試合をベンチで見てた選手も多いからね…」

「………」

「監督……?」



グラウンドを見て何も言わない監督に、紗凪はグラウンドから目線を片岡へと移した。暫く口をつぐんでいた片岡だが、険しい表情をそのままに紗凪に目を向けた。



「バットを持ってこい」

「…え、あ…はい!」



突然のことに驚いた紗凪だが、すぐに返事をしてバットを片岡に渡す。



「途中で白崎、お前にも打ってもらうがいいか?」

「あ……は、はい!」



声を張った返事に片岡は満足して、グラウンドに足を進める。バットを肩に担ぎ、厳しい眼差しで選手達を眺めた。



「代われ。俺が打つ!!」



前園達を押しやり、ザッと現れた片岡を見て3年生達でさえも思わず言葉を失った。倉持なんかはあからさまに嫌そうな顔をしているが、そんなものは関係ないとでも言いたげに片岡は春市へとバットの先を向ける。



「一年、小湊は外れてろ。あとの者は覚悟できてるな」



その言葉に、春市はぴくりと反応したが、当然反抗できるわけもなくただ黙って片岡を見やる。



「…クス、ケガしちゃうってさ…」

「………」


ガンガンいくぞ!!



春市が外れたところで、片岡が宣言する。


PM4:00 監督ノックスタート――…



「はい、春っち。タオルとドリンク!」

「あ、りがと……」



どうやらグラウンドからベンチまでの移動は、最後の気力だったのだろう。ベンチに着くと力なくドサリと座り込んでしまった。

そんな春市に紗凪は冷えたドリンクとタオルを渡すと、春市は弱々しく手を伸ばして受け取った。



「…僕、まだまだだな……。兄さんにちっとも追いつけてない…」



監督ノックを受けている亮介を見ながら、春市は悔しそうな声色でそう呟いた。紗凪は暫く考えたあと、春市の隣に腰を下ろし、春市の頭をタオルで乱暴に拭いてやった。

もちろん突然のことに慌てた春市はわたわたとするも、紗凪はいたずらっ子のような笑みを浮かべて手を止めようとしない。



「ちょ、白崎さん!?」

「あっはは!ほーれほれ、髪の毛ぐしゃぐしゃにしてやるー!」

「な、い、いきなり…!」

「あ、ちょっと目見えた!ってあー!隠さないでよ!」

「いや、だから…っ!」

「あははー、ほい終わり!」

「へ、」



これまた突然終わったそれに、春市は頭にタオルを乗せたままぽかんと呆ける。そんな春市を見て、紗凪はまたケラケラと笑った。



「ふふ、変な顔してるよ、春っち。じゃ、私もノックに参加してくるから、春っちはまだ暫くここで休んでてね。監督からも許しは得てるから」

「え、…どういう、」

「足。酷使しすぎだよ。まだ合宿のメニューに身体が追いついてないんだよ。こういうのは個人のペースがあるんだから、無理してオーバーワークにならないようにね!」



それだけ言うと、紗凪はバットを持って小走りで片岡の元へと行く。その後ろ姿を見ながら、春市はゆっくりとうつむいた。



「……ありがとう…」



わざとあんな風な行動を取って、僕を元気付けてくれて。

紗凪の行動の意図が分かった春市は、自分の足を見ながらそっとお礼を口にしたのだった。







「どうしたぁ!! もう声が出ないかあぁ!!」



片岡の叱責が轟く。それもそのはず、選手たちからはもう声が出ていないからだ。



「監督!」

「来たか、白崎。やり方は分かるな?」

「はい!」



紗凪の返事に片岡は頷き、バッターボックスから退いて紗凪を立たせる。紗凪は選手たちの視線を一身に浴びながら、片岡に負けないくらいの勢いでボールを打った。



「うわ、すげぇ…!」

「監督と一緒くらいの勢いだぜ、あれ…」



ナイターがついてもノック練習は終わらない。さすがの3年生たちも疲れが表に出始め、咳き込む姿を見せる。


しばらく紗凪がノックをした所で片岡と代わり、投手練を終えてこちらと合流した沢村たちの元へ慌てて行く。



「はい、ドリンクとタオル!」

「お、サンキュー!」

「白崎こそ、ノック練ありがとな」

「いえ、クリス先輩だって疲れたでしょう?私なんて全然ですよ!」



先輩後輩のやり取りがくすぐったいのか、紗凪は照れたような笑みを浮かべてクリスの肩を見る。



「大丈夫ですか?」

「ああ。そこまで酷使していないからな」

「それなら良かったです」



すると、またもや片岡の叱責が飛んだ。



「全然聞こえん!! いつもの威勢はどうした伊佐敷!!」

「も゛…も゛う゛一丁〜〜〜!!」



片岡に言われ、負けん気が強い伊佐敷は掠れた声を上げながら飛んでくるボールを受け止めようと走る。が、ガッと躓いてしまい、身体を一回転させたあとドスッ!と腹で受け止めた。

もちろん「そんな捕り方教えとらん!」と叱咤が飛んでくるのはお約束だ。



「すげぇ…いつまでやるんだよ」

「さすがの先輩達もボロボロだぞ……」

「つーか一人で相手してる監督あの人はバケモンか?」



後輩達が見守りながらそんな会話をする中、片岡は怒鳴ることを止めない。カーン、カーン、とボールを打つ音は絶え間なく響く。


そうして、倉持も、亮介も、増子も、伊佐敷も、そして結城も、誰もが膝をついてうつむいてしまった。



「どうした?もう終わりか?結城……」



片岡も肩で息をしながら、それでも声色は穏やかに結城に問うた。声をかけられた結城は、ハッとしたように自分がキャプテンにと言われた日のことを思い出す。



「ハァ…ハァ……」



プレーで引っ張れ

片岡にそう言われた日のことを、結城は今でも鮮明に覚えている。だから、自分は今ここに立ち、部員全員を己のプレーで引っ張っているのだ。


結城はぐぐっと足に力を込めて立ち上がる。荒い息を整えようとするが、それよりも先に言わねばならないことがある。



「……球…」



自分が、見せなければならない。



「もう…一球…お願いしま…す…監督…」



途切れ途切れに紡いだそれは、他のメンバーを感化させるには十分だった。



「こ…こっちも…」

「んん…うぐぐ……」

「っらあああああ…!」



亮介、増子、伊佐敷も震えながらでも立ち上がり、ボールを求める声を上げる。

片岡はそんな3年生を見て口角を上げ、目を細めて笑った。



「よし!ラスト一球!! 最後まで集中力を切らすな!」

「はい!!」



星々が煌めく夜空の下。

気合十分の声が、グラウンドに木霊した。












「グラウンドに礼!」

「「「したぁ!!」」」



ハァ、ハァ、と荒い呼吸だけが聞こえる。1年生のレギュラー3人組は相当疲れたらしく、合宿練習が終わったことに対しての喜びを噛み締めていた。



「お疲れさん、3人とも」



選手達とまではいかないが、それでもどろどろになったジャージをそのままに、沢村たちに労いの言葉をかける紗凪。



「おー!白崎もな!」

「(こくこく)」

「ほんとにありがとう」



三者三様の礼を言われ、紗凪はくしゃりと頭の後ろに右手を当てて笑う。



「いーえ、どういたしまして。明日は試合だし…頑張ってね」

「おう!……てゆーか…、」



紗凪の言葉で試合を思い出したのか、沢村と降谷は怒りを胸に捕手である御幸の元へ。降谷なんかは背後に炎まで出している。

その様子を見た紗凪は、春市と顔を合わせて苦笑した。



「アンタ、いつになったら俺の球受けてくれんだよ!! 試合は明日なんだぞ〜〜!!」

「ん…俺?」



いきなり怒鳴られた御幸は流れる汗をそのままに、「なに?」という目で二人を見る。そんな御幸に二人の怒りはヒートアップしたのか、更に声を荒げる。



「(てか…まだまだ元気あるじゃん…)」



そう思った紗凪だが、決して口には出さず胸に留めておく。これがもし3年生の先輩や倉持らに知れたら、沢村と降谷が大変な目に遭うのは分かりきっていることだからだ。



「なんかほら、あるじゃん!! 明日に向けて打ち合わせとか心構えとかよ!」

「そーだそーだ」



沢村の言葉に相槌を打つ降谷。だが、そんな二人の燃えたぎった怒りは次の御幸の言葉にへし折られることになる。



「何言ってんだお前ら……。変化球も投げられない奴らと何打ち合わせるんだよ?」



ズガガーン!と(悪い意味で)心に響いたらしく、二人は言葉を失った。

それでも御幸の言っていることは最もだと紗凪は笑いながら頷き、フォローせずにその場を去る。



「疲れもかなり残ってるし、明日はハデに散れ。打たれるのも練習ってな〜〜、はっはっはっはっ!」

「「〜〜〜〜!」」



御幸の挑発的な言葉を背で聞きながら、またくすりと笑う。

果たして、その言葉通りに彼らは打たれるのか、それとも――。



「まぁ、すべては明日にってことで」



んー、と伸びをし、片岡や選手達に挨拶をして学校を出る。街灯に照らされた道を歩きながら、明日の試合に思いを馳せた。









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