自己中心主義者


パァン!とミットにボールが入る音が響く。そんな音を聞きながら、紗凪は手に持ってるバインダーを眺めていた。



「紗凪ちゃん!」

「わっ!春乃ちゃん!どうしたの?」

「もう片付けの時間だよ?」

「……聞こえなかった…」

「ふふ、だと思った!」



だから伝えに来たのだと春乃は笑顔で言う。そんな春乃に感謝の言葉を伝え、紗凪は持っていたバインダーを高島に渡してから片付けを始めた。

すると、ベンチに座る御幸と丹波を見つけ、早く寮に向かうように言おうと思ったが、タイミング良く丹波が立ち上がり此方へ歩いてきたのでその必要はないなと他の片付けを済ませようと再びグラウンドを駆けた。












御幸がお風呂から上がり自室へ戻ろうとすると、問題児二人組の声が御幸の耳に入り込んでくる。



「何やってんだお前ら……。さっさと風呂入ってこいよ」

「あっ」

「(ペコッ)」



御幸の登場に、沢村は目を釣り上げて声を出すが、反対に降谷はぺこりと頭を下げた。まだ礼儀がなっている降谷に対し沢村は挨拶すらしてこない。

御幸はタオルで頭を拭きながら少し苦笑する。この違いはなんなのかと。だが、次の彼らの言葉にそんな苦笑も引っ込んでしまう。



「いや……最近全然ブルペンに入ってないんで受けてもらおうと…」

「俺はクリス先輩に断られたんで仕方なく!!」

「は?今から?お前ら今日もベーランで死んでたじゃん。それでも投げてーの?」

「投げる!1球でも!!」



まさかの申し出に、流石の御幸も自分の耳を疑ってしまう。なにせこの1年2人が練習で死んでいた姿をはっきりと見ていたのだ。これ以上練習させれば、オーバーワークで倒れてしまってもおかしくない。



「(おいおい、こっちの都合は完全無視かよ…)。ははっ…」



――こいつらエゴの塊じゃねーか……



「はっはっはっはっ!おもしれェ!お前ら最高!!」



大きな声で笑った御幸は、とりあえず風呂に入って後で部屋にこいと命令する。勿論訳がわからない沢村と降谷は疑問の声を上げるが、御幸はそれには答えずに風呂を促した。


その後、風呂から上がってやってきた沢村と降谷を待ち構えていたのはミットではなく、結城や伊佐敷と言ったレギュラー陣数名だった。


そう、御幸は自分の代わりにこの人たちの相手を任せて、自分は安眠できる地(前園の部屋)へ逃げ込もうという魂胆なのだ。



「そんじゃあ、後はよろしくな!!」



そう言って本当に出て行ってしまった御幸に、沢村は「(なんて自己中わがままな奴なんだ…)」と思ったそうな。


青道野球部。そこは投手陣に関わらず自己中心主義者がいるところだ。














一方その頃、紗凪は青道の門で突っ立っていた。夏間近とは言え、まだ夜は肌寒い。壁に背をもたれさせながら、紗凪は指先でくるくるとバスケットボールを器用に回していた。



「まだかなぁ…遅いよ…」



そんな紗凪を見つけたのは、前園の部屋に行こうとした御幸。ちらりと見えた人影にまさかと思いつつも目を凝らせば、見知った人だったことに驚く。



「は?え、まだ紗凪帰ってないって何やってんだよ…」



見つけてしまえば見て見ぬ振りはできない。御幸はMY枕を前園の部屋に置いてから紗凪の元へと駆け寄った。



「紗凪ちゃーん、なーにやってんの?」

「わっ、御幸先輩!」



本気で驚いたのか、大袈裟なくらいに肩をビクつかせた紗凪に、御幸は笑ってごめんと謝る。



「で、ほんとこんな時間になんでまだここにいんの?さっさと帰んないと危ないし…何より、この合宿。マネージャーだって疲れてるだろ?」

「いえ、選手達に比べたらこんなの大したことじゃないですよ。それに…帰らないんじゃなくて帰れないんです」



苦笑する紗凪に、御幸は首を傾げる。それに紗凪はあははー、と自分の頭を掻いた。



「実を言うと…家の鍵を忘れてきちゃいまして。父に連絡を取ったら学校で待っててくれって言われたので、こうして待ってたんです」



合宿で家に帰る時間が遅い紗凪と、会社での勤務時間が長い父、悠。その誤差は少しだけだから、そこで待っていて車で拾うとのことらしい。

だが、こうして待っていて既に30分は超えているだろう。



「あー、ご愁傷様だな」

「ほんとに。なので心配はご無用ですよ。ありがとうございました」



どうやら御幸には早く寝てほしいのか、帰りを促す紗凪に、御幸は紗凪と同じように壁に背をつけて同じ体勢をした。

そんな御幸の行動に目を丸くする紗凪。



「一緒に待っといてやるよ。どーせ暇だしな」



沢村達に押し付けておいて、ともしも先刻の出来事を知れば紗凪が絶対言うであろう言葉。だが、紗凪は何も知らないからこそ、しばらく考えた後にお願いしたのであった。



「あ、パパからLINE…」

「お?なんて?」

「……どうやら思わぬ残業の量で、帰れるのはまだまだだそうです…」



その連絡に、紗凪は悲しそうに項垂れた。それもそうだ、この連絡の意味を考えると、紗凪は更に長い時間ここで待っていなくてはならないということなのだから。



「しょうがない、か…」



すみません、と御幸に一言告げて紗凪は電話をする。相手は誰だ?と御幸は考えるも、どうせ自分の知らない奴だと早々に考えることを放棄した。



「……あ、もしもし桃ちゃん?…うん、久しぶり」



くすくすと笑う紗凪。その電話相手は、中学自体に仲が良かった女友達の、桃井さつき。



「あのね、今日鍵持って出るの忘れちゃっててさ。パパも帰ってくるの遅いから、桃ちゃんの家に泊めてほしいなーなんて……あ、いい?ありがと!」



どうやら色よい返事だったようで、御幸もほっとする。どうせなら寮に泊まらせてあげたかったが、女なんて勿論居らず、男だらけのあそこに誘うなど出来なかった。



「え?いいよそんなの………う、わかった…。じゃあ帰りになんか買って帰るよ」



そう言って切られた電話。御幸はタイミングを見計らって口を開いた。



「泊まるとこ見つかったみたいだな!」

「はい!心配かけちゃってすみません」

「送ってくか?」

「いえ、迎えが来るそうなので大丈夫です」



ならそれまで話していようという御幸の言葉に、紗凪には断る術がなく、結局ずっと話していたのだった。




それから10分後。暗い道から現れたのは青い髪をした男だった。



「あ、大輝!」



そう、迎えとはさつきの幼馴染みの青峰大輝だったのだ。ダルそうに欠伸をする青峰は、その切れ長の目を紗凪に、次いで御幸へと視線を移していく。



「…あんた、この前の…」

「あんたじゃないでしょ!この前もお世話になって、今回も私がお世話になったんだから」

「鍵忘れた奴は黙ってろ」

「うぐっ……」



青峰の言葉は的確で、反論すらできない紗凪。御幸は、いつもより表情豊かな紗凪を見て、ちくりと胸の奥が痛むのを感じた。



「(……?)あー、迎えも来たことだし俺も帰るな。明日ちゃんと遅れずに来いよー」

「お、遅れませんよ!御幸先輩こそ寝坊しないでくださいね!」



最後にありがとうございました、と礼を言ってから青峰と帰路に着く紗凪の背を最後まで見送ってから、御幸は前園の部屋へと向かった。


先程の胸の痛みの正体を考えながら。














「ありがとね、大輝。今忙しい時期なのに」

「あ?別に忙しくもなんともねーよ」

「うそ!インハイまでもうちょっとじゃんか」

「俺が練習するわけねぇだろ」



その一言に、紗凪は思わず俯いてしまう。いつの間にか青峰の手と繋がっている右手を見て、何故か泣きたくなった。



「…負けちゃうかもしれないよ、そうやって胡座かいてると」

「はっ…。俺に勝つのは俺だけだ」

「……ばーか!もう知らない!」



ぷいっと他所を向いて見えたコンビニまで走る紗凪。繋がれている手は解かれていないため、必然的に青峰も一緒に走る羽目に。



「よっし着いた!ほら、大輝カゴ持って!桃ちゃんと桃ちゃんファミリーにいろいろ買ってくんだから!」

「あー?ンなのいらねェだろ」

「いるの!大輝もジュースとか選んでいいから」

「わかった」



自分の分もいいと分かってから、青峰は素直にカゴを持って紗凪の後ろを着いて行く。それを店の店員は興味深そうにちらちらと眺めていた。



「お邪魔しまーす!」

「あらあら、いらっしゃい。紗凪ちゃん久しぶりねぇ」

「桃ちゃんママ!これ、買ってきたんでみなさんで食べてください」

「まあ!これこの前美味しいって言ってたの…覚えててくれたの?」

「へへ、はい!」

「ふふ、ありがとう。さつきなら上にいるからどうぞ上がって?大ちゃんも今日は泊まるんでしょ?」

「おー」

「え、そうなの?」



まさか青峰も泊まるとは思ってもいなかったのか、びっくりする紗凪を抜かしてさつきの部屋へと行こうとする。その背中を慌てて追いかけ、ほぼ同時にさつきの部屋へ辿り着いた。



「桃ちゃーん!久しぶり!」

「紗凪ー!久しぶり!会いたかったよぉ!」

「私だって会いたかったよ!」



きゃー!と抱きしめあう二人を他所に、青峰は以前から置きっ放しの堀北マイの写真集を早速見ていた。



「いきなりなのにありがとね」

「ううん!私だって紗凪に会いたかったから全然!学校はどう?楽しい?」



突然尋ねられたそれに、紗凪は一瞬言葉に詰まる。青峰も写真集から顔を上げて、静かな目で紗凪を見つめた。



「…楽しいよ?すっごく楽しい。部活だって充実してる。…けどね、やっぱり思っちゃうの。……中学に戻りたいなって」



くすりと笑う紗凪。その表情は、どこか寂しげな雰囲気を漂わせていた。



「気づいたら桃ちゃんの名前を呼んじゃうし、気づいたらみんなの姿を探しちゃう。グラウンドなのに、まるで体育館にいるみたいな錯覚をね、たまーにしちゃうの」



先程コンビニで買ってきたペットボトルの紅茶に口付ける紗凪。大好きな紅茶で少しは落ち着いたのか、ふ、とさつきと青峰を見て微笑んだ。



「だから、こうして会ってくれてありがとう」



紗凪には分かっていたのだ。青峰が何故一緒に泊まることになったのか。自分が寂しいと思っていることが分かっていたから、青峰も今日、そしてさつきも突然の申し出を受け入れてくれたのだ。



「だいすき」



蕩けるような甘さを含んだそれに、さつきは思い切り紗凪へと抱きついた。慌てたように、けれどあやすようにそんなさつきの頭を撫でる紗凪は、顔を青峰の方へと向ける。



「またバスケしようね!」



そんな笑顔で言われては、たまったもんじゃない。青峰もクッと笑うと、目尻を下げて頷いたのだった。









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