本物の天才


沢村達と笑い合っていると、クリスが鍵を持って帰ってきた。紗凪はそれに対して嬉しそうに喜びながらお礼を言い、この場にいる皆を連れて体育館へと向かう(ちなみに前園は眠いからと帰ってしまった)。

ふと隣を見ると、黄瀬がぶっすーと頬を膨らませて拗ねている事に気付いた。


「…涼太?」
「……なんスか」
「なーに? 拗ねてるの?」
「…だって、紗凪っちが…」
「私が?」
「…他の奴ばっかで、全然俺に構ってくれない」


その言葉に、紗凪は一瞬ぱちくりと目を瞬かせた後、隣を歩く黄瀬の腕をぐいっと引っ張って下がってきた頭を乱暴に撫でくり回した。せっかく整っていた髪型はぐしゃっとなるが、それでも黄瀬は嬉しそうだ。


「っとにもー…。今からたくさん構ってやるんだから、やきもち妬かない!」
「へへっ、俺紗凪っちに頭撫でられるの好きっス!」
「知ってるよ! 何年の付き合いだ!」


戯れながら体育館へと向かう。その後ろにいる御幸達はどこか面白くなさそうにその光景を眺めていた。


「つか…どういう関係なんだ?白崎アイツとキセリョ」
「倉持先輩も気になりますか?…モデルと知り合う伝でもあったんですかね?」
「てか小湊雑誌とか読むんだな」
「コンビニでたまたまです。そう言う御幸先輩も知ってましたよね?」
「んー?まあ…雑誌にあんなでかでかと表紙飾られてりゃあ嫌でも目に入るわ」


いつもの独特な笑いをする御幸。その後ろを沢村が歩くが、この中でただ一人、黄瀬の事を知らなかったのでこてり、こてり、と首を傾げながら着いてきていた。


「…何で、野球部なんスか?」


体育館に着いて鍵を開け、バッシュを履く。と、不意に黄瀬の様子が変わり、どこか震えの混じる声が響いた。
固まる紗凪。紗凪だけじゃない、クリスや倉持、沢村、春市も固まる。その中で御幸だけが紗凪の表情を伺った。御幸は前から気になっていたのだ。紗凪が何者なのかが。だから、今がそのチャンスなのかもしれない、と思ったのだ。


「…それ、この前大輝にも似たようなの聞かれたよ」
「えっ、青峰っちに会ったんスか!? いつ!? どこで!?」
「近い近い! えっと…この前ここで野球部の試合があったんだけど、その時に大輝が来たの」
「絶対桃っちの情報じゃないスかぁ…。そんなのズルいっス!!」
「ず、ずるいって言われても…。でね、言われたの」


久しぶりに見た。体育館のバスケットコート。
キュッと音の鳴るバッシュ。
帰ってきたと、心が叫んでいる。


「『お前は、その場にいる人間じゃないだろ』」
「………え、」
「…はっきりと、そう言われたよ」


戸惑う声を上げたのは、沢村だった。そんな沢村に優しく笑いかけ、紗凪は体育館の中を進む。次いで黄瀬、そして御幸達。


「その通りだと思った。だって、私と野球部の皆さんとは、考え方から何もかもが違っているから」


用具室に入り、ボールを持つ。軽く床にバウンドさせて、ボールの具合を確かめた。そんな紗凪の一つ一つの動作をも見逃すまいと、黄瀬は双眸を一身に向けた。
沢村達は見慣れない紗凪の姿にどこか違和感を覚える。


「…それでも、ここでなら……私に足りない何かを与えてくれると思ったの。最初はもちろん部活に入ろうだなんて思わなかった。でも、こんな私を必要としてくれた。チームの一員だと認めてくれた。…チームプレーを、見せてくれた。だから、入ったの。青道高校、野球部に」


「この答えじゃ不満?」と笑いながら黄瀬に問いかけると、黄瀬は泣きそうな顔になりながらぶんぶんと首を横に振った。


「…そんなの言われたら、海常に来てって言えないじゃないっスかぁ…」
「ふふ、行かないよー」
「…紗凪っちの、ばか」


…でも、紗凪っちも、よかったね。
濡れたような声で紗凪の耳元で呟いた黄瀬に、紗凪は瞳を細めて頷いた。


「さて! じゃあやろっか! 時間もないし!」
「はいっス! あ、どっちから攻めるっスか?」
「んん? いつも通りでいいよ?」
「じゃあ…俺がディフェンスで、紗凪っちがオフェンスで!」
「オッケー。…っと、先輩達は、んー…舞台の上でいいかな? それとも使わないもう一つのコートに座ってればいいかな?」
「どこでもいいんじゃないっスか?」
「涼太ー? どうしてそんなこと言うのかなー?」


本当にどうでもよさそうにする黄瀬にため息を吐きながら、結局コートの側で座って見てもらう事にした。
二人ともジャージの上を脱ぎ、半袖姿になる。軽くストレッチをしながらコートの上に立つと、紗凪がボールを手で遊ばせながら「ふー…」と軽く息を吐いた。


「女対男って、どう考えても男のが力強いだろ。白崎が勝つのって無理じゃね?」
「何か秘策があるのかもしれないぞ…」
「(…雰囲気が、違う)」


倉持とクリスが話す横で、御幸はぞわりと全身の毛が逆立つのを感じた。バッと紗凪を見ると、その目は先ほどまでの柔らかい色はなく、獣のような目だった。


「まずは今の涼太の力がどれくらいかを確かめるよ。…本気で、ね」
「…当たり前っスよ。紗凪っちと1on1するのに手なんか抜くわけないじゃないスか」


黄瀬は腰を低くし、両腕を広げて体制を作る。紗凪は数回ボールを跳ねさせ、一気に黄瀬へ詰め寄った。


「(速っ…!! え? 速すぎだろ!?)」
「中学よりも速くなったんじゃないっスか…?」
「進化してるのは涼太達だけじゃないって事だよ」


ニッと口角を上げて紗凪は黄瀬と対峙する。全く隙のない黄瀬に、紗凪はどうやってボールを奪われずに抜くのか。
ゴクリ、と沢村が喉を上下させた瞬間、紗凪が黄瀬の脇を抜けようと動いた。が、そこはキセキの世代の一人、黄瀬涼太。瞬時に反応してそれを止める。


「抜かせないっスよ…!」


瞳を鋭く細め、紗凪とボールから目を離さない黄瀬。チッ、と紗凪は小さく舌打ちするとまるでパスをするかのようにボールを前へ放った。


「…今まで何回1on1したと思ってるんスか…ンなの、」
「ッ…!」
「読み通りだっつーの!!」


バシィッ!と黄瀬がボールを止める。そのままゴールへと走ろうとしたが、紗凪はくすりと笑って黄瀬の横を通り過ぎた。
その手には、奪われた筈のボールが収まっていた。


「ッしまっ…!」
「甘いよ、涼太」


スリーポイントライン手前でキュッと止まり、ゴールネットに向かってボールを放った。そのシュートする姿はなんとも綺麗で、御幸達も思わず魅入ってしまった。

――パサッ…ダム、ダム、ダム…

誰も、言葉を発しなかった。けれどその中で一人だけ口を開いたのは…、


「あーもー! また俺の負けっスか! 今日は勝てると思ったのに!」
「ふふふー、残念でした! けど反応は良くなったね。前なら脇から投げたボールを取れなかったもん」
「そりゃあ何回見てると思ってるんスか!」
「…何回だろうね?」
「勝ちなんて一つもないから…今日こそはって思ってたんスけどねー…」
「涼太は足首が弱いんだよ。だから目では反応できてるけど足が着いて行けてない」
「あしくび…。まだ目だけでも反応出来てるからいいっス…」
「前までは目でさえも追えなかったもんね――」
「ちょーっと待ったー」


ぽんぽんと飛び交う紗凪と黄瀬の会話を中断させたのは御幸だった。だが、どうやら独断ではないようで、倉持達も何やら聞きたい事があるのか体をうずうずさせている。
突然の事に、紗凪はきょとんと、黄瀬は嫌そうに御幸達へと目を向けた。


「今までの話を聞くに…、キセリョは紗凪ちゃんに勝った事がなかったのか?」


御幸のその質問に、紗凪と黄瀬は互いに顔を見合わせてこくりと頷いた。


「マジかよ…」


心底驚いたとでも言いたげなその声色に、紗凪は苦笑した。信じられないのも無理はない。何せ男と女が試合をして、まさか女が勝つだなんて思いもしなかっただろう。
けど、それを良しとしなかったのが1人。


「…マネージャーしてもらっておいて、紗凪っちの凄さも知らないんスか?」


冷たい声だった。それは、黄瀬が敵とみなした時に出す声。


「涼太、」
「…紗凪っち、まさか…ただ普通のマネージャー業をやってるなんて、言わないっスよね」
「……涼太、…」


自分を呼ぶその一言だけで、十分だった。黄瀬は痛いくらいに拳を握りしめ、なんで、と小さく呟いた。


「なんで…! っ、確かに、そこには紗凪っちの求めたものがあったのかもしれないし、俺もそれに対してはよかったと思ってる。でも…俺が言えることじゃないのかもだけど、」


そこで言葉を区切った黄瀬は、決意したように御幸達を見た。


「そこに紗凪っちがいる意味があるんスか?」


黄瀬の脳裏によぎるのは、中学時代の紗凪の働く姿。桃井が情報収集を、紗凪がドリンク等に加えて選手の育成、そして自身も選手として帝光の掲げる百戦錬磨に貢献していた。
そんな紗凪だからこそ、黄瀬も尊敬し、それ以上の想いを持っているのだ。


「…涼太」


まさか、こんなに想っていてくれていたなんて。
紗凪はじんわりと心が温かくなるのを感じながら、まるで壊れ物を扱うようにそっと黄瀬の名前を呼んだ。
呼ばれた黄瀬はびくりと体を震わせ、そろそろ…と子供のように紗凪の方を見た。その瞳といったら、捨てられた子犬のようだ。今にも泣き出しそうな黄瀬を見て、紗凪は可笑しそうに眉を下げて笑う。本当に、いつまでたっても可愛いんだから、と。


「私は今のままで十分なんだよ。たまに監督にもバッティングさせてもらったり、キャッチボールさせてもらったり、普通だったらマネージャーにはさせない事をさせてもらえてる。それだけで十分なの」
「…監督は、知ってるんスか…?」
「うん。…部員の人達にはね、言ってないの。もともと競技も違うし、特別言う事でもないかなって思って…。でも、涼太がそんな風に言ってくれるなら、今から言うよ。んで、涼太の事もちゃんと紹介したい。…いい?」


問われたそれに、黄瀬は紗凪を抱きしめるという返事を返した。それが肯定を意味していると知っている紗凪は嬉しそうに笑い、改めて、と御幸達に向き直った。


「えっと、黄瀬が失礼な事を言ってすみませんでした」
「いや、別に気にしてないぜ。びっくりはしたけどな」
「つか引っ付きすぎだろ!」
「えー? 沢村くんお父さんみたいだね」
「!!?」
「確かに、ここに悠さんがいたら絶対に言いそうっスね…」
「キセキのみんなには特に厳しいからね」


くすくすと笑い、さて、と空気を変えた。


「改めまして、帝光中学から来ました、白崎紗凪です。中学では男子バスケ部にマネージャー兼選手として所属していました。どうぞよろしくお願いします」


ぺこりと一礼して、今度は黄瀬の紹介に。


「こっちは黄瀬涼太。私と同じ帝光中学の男子バスケ部出身で、今はバスケの強豪校である海常高校に進学しました。皆さんはモデルとしてご存知かもしれませんが、黄瀬はバスケ選手としても有名です」
「御幸みたいにか?」
「はい。…あ、これを見てもらった方がわかりやすいのかもしれない…っと、」


紗凪は壁際に置いていた鞄の中からある雑誌を取り出す。それを一目見た黄瀬は「あ、なるほど…」と納得の声を上げた。


「これを見てください」
「月刊…バスケ…?」
「バスケ雑誌か」
「クリス先輩ご名答です。略して月バスって言われてるんですけど…、それの…ここです。ここ読んでください」


紗凪が開いたページは、キセキ特集が組まれていたページだ。そう、この月バスは紗凪が授業中に読んでいたものである。


「…キセキの、世代…?」
「はい。十年に1人の天才が5人同時に集まった世代の事です。涼太も、そのキセキの世代の一人です」
「まあその中でも俺は下っ端の方っスけどねぇ。てか5人じゃないでしょ、紗凪っちもでしょ」
「あー…、私をカウントしていいのか…」
「何言ってるんスか!? そんなの当たり前っスよ!」
「はいはい、熱くならないの」


ありがとう、という意味を込めて黄瀬の頭をよしよしと撫でながら、目を見開いて紗凪と雑誌を見比べている御幸達へと苦笑を送った。


「えー…っと、…?」
「これ…紗凪ちゃんだよ、ね…?」
「え? あ、ああ…そう…ですね、私です…」


恥ずかしさに頬を赤らめながら肯定する。皆、どうやら今とは違う雰囲気の紗凪に驚いているようだ。


「まず…え、お前って男バスで試合出てたのか?」
「そう…ですね、監督や主将に言われて…」
「ヒャハハッ、まじかよ!」


もう、皆気づいていた。
目の前にいる青道野球部のマネージャー、白崎紗凪と、強豪校に所属している黄瀬涼太。この二人が、間違いなく本物の天才だということに。


「キセキの世代の中でも、一番に才能が開花したのは私です。その後にキセキの世代のエース…この前御幸先輩が会った、あの青髪の奴が開花して…。――最後の全中、敵は…いませんでした」


寂しそうに体育館を見渡しながらそう言った紗凪は、水色の影の薄い少年を思い出す。悲しそうに、泣きそうにしていた、少年を。


「これでやっと納得したな。白崎が男相手にストライクを取ったこと、ホームランを打ったこと」
「はっはっはっ。沢村よりセンスあるよな」
「なんだとォ!?」
「フライをキャッチするのも簡単にできそうだよな。バンザイなんて勿論のこと、取りこぼしたりなんてしねェよなぁ?」
「バンザイって…、取りこぼすのもないと思いますよ…多分」
「だったら降谷! お前も負けてるかもな!」

「(つーん)」
「シカトかよ!」


目の前で繰り広げられるやり取りに、紗凪はクスクスと笑う。やはり、ここに来て良かったと、改めて強くそう思った。


「まあ、ザッとこんなところですかね」
「…なんつーか、やっぱり紗凪ちゃんって凄かったんだな」
「今更気付くとか遅すぎじゃないっスか?」
「涼太、」
「……はーい…」


紗凪の言うことを素直に聞く黄瀬は、とてもじゃないが表紙を飾っているモデルのキセリョとは似ても似つかない。
ぽかーん、と口を開けて惚けていると、黄瀬が何だとでも言いたげに眉根をきゅっと寄せた。


「とにかく! 紗凪っちに何かしたら許さないっスから!」
「はいはい、ほら、今度は涼太がオフェンスでやるよー。あ、先輩達はもう寮に帰っても大丈夫ですよ!」
「いや、まだ見ていってもいいか?」
「え…いいです、けど…。明日の部活に響かせないでくださいよ?」
「分かっているさ」


クリスがそう言うからか、誰も帰る人はいない。それに紗凪は少し気になりながらも黄瀬との練習を再開させた。


「…とんでもねぇマネージャーだな」
「ヒャハハッ。…まあ、いいんじゃねーの?」


御幸と倉持がそんな事を言うが、それは紗凪と黄瀬の激しいぶつかり合いに掻き消された。






back