一軍昇格


紗凪が青峰と話している頃、御幸はレギュラー陣と合流していた。


「一軍枠は残り2つ。監督は誰を上げますかね?」


――即戦力か、経験か、それとも将来を見据えた可能性か…。倉持の問いに、伊佐敷はフン、と鼻で笑う。


「上がったところでレギュラー確実ってわけじゃねえ…。むしろ大変なのはこれからだろ」
「まあ…そうっスね!」
「地獄の夏直前合宿。これだけは避けて通れねぇからな。他人ひとの心配なんざ場合か! さっさと自主練に戻んぞ」


伊佐敷に着いて行くようにぞろぞろと戻る一行。そんな中、御幸はグラウンドを振り返り不敵に笑っていた。


「(誰を一軍うえに上げるかはすべて監督が判断すること…。けど…俺個人の希望としては――…)」


日が暮れるにつれて、歓声の声も収まって行く。黒士館対青道。黒星を上げたのは青道だった。


「え!? もう決めてあるんですか!? 一軍入りのメンバーを……」
「……ああ」


椅子に座り、煙草を吸いながら部長に相槌を打つ片岡。焦った様な部長の声とは反対に、片岡の声はひどく静かだ。


「夏への戦いはもうすでに始まっている。選手選考に時間をかけているヒマはない」
「……!!」
「今すぐ選手を全員集めろ」
「……」
「はい…!」


日も暮れた中、選手達は室内グラウンドに集められた。もうマネージャーは既に帰宅済みだが、紗凪は片岡に言われて外に待機していた。それだけじゃない。紗凪自身も知りたかったのだ…誰が一軍に上がるのか。
そんな理由を並べているが、一番の本心は余計なことを考えたくなかったから――青峰の言葉の、意味を。


「……情けない…」


そう呟いた時、片岡が部長を後ろに連れてやって来た。紗凪は軽く頭を下げると、片岡は通り過ぎる際に彼女の肩を叩き、中へと入っていった。
残された紗凪はポカンと口を開けて惚けたものの、片岡の普段見せない優しさに涙が出そうになった。


「…ありがとう、ございます……!」


ぽろり、一雫の涙が紗凪の頬を伝った。


「今から一軍昇格選手2名を発表する!!」


張り詰めた声が響く。紗凪もピンと背筋を伸ばして片岡の話を聞いていた。


「これまでの練習試合を参考に自分の判断でメンバーを決めた。選ばれた者は我が校代表としての責任を自覚し…、選ばれなかった者は夏までの1ヶ月、一軍メンバーをサポートしてやってほしい」


ドクン、ドクン、と心臓が煩く鳴る。そんな中、沢村はやはりと言うべきか、すっかり“二人”しか上がれない事を忘れていたらしく、みんなとは違う意味で冷や汗を流していた。


「一軍昇格メンバーは…、一年小湊春市。同じく一年沢村栄純。……以上だ…」


その声色だけで分かる。片岡も凄く悩んだのだと。
紗凪のいる場所からでも、中の張り詰めた緊張感が未だに伝わってきていた。特に三年生達は眉を釣り上げて驚いた顔を見せている。


「この二人を加えた一軍20名で夏を闘う…。明日からの練習に備え、今日はこれで解散だ。選ばれなかった三年だけここに残れ!」


その言葉に紗凪は慌てて隠れる。ここで選手達と鉢合わせするのは少し顔を合わせずらいからだ。みんなの死角になる場所まで移動すると、先程まで紗凪が居た場所に壁に背を預ける沢村がいた。


「これまでの2年間…、お前らは本当によくがんばった」


静かに話し出す片岡。三年生は少し顔を俯けるが、それでも片岡へと真っ直ぐに目を向ける姿勢は、この2年間で培われた片岡に対する尊敬の意味が込められていた。


「熾烈なレギュラー争いに厳しい練習…。辛く悔しい想いなどいくらでもしたことだろう。だが、お前らは決してくじけず、最後までこの俺についてきてくれた…」


そこで言葉を区切ると、片岡はスッと礼をした。


「これからもずっと…俺の誇りであってくれ」


告げられた言葉に、三年生は涙を流して嗚咽を漏らした。膝をつき、悔しげに閉じられた瞳。そのどれもが、紗凪の心にズキズキと痛みを伴わせた。


「クリス…、お前にはこの先選手としての道が必ずある。だからまずその肩を完全に治すことだけ考えろ。その上で御幸と宮内のサポート…。そして投手陣をまとめて見てもらいたい。頼めるか?」


片岡の問いかけにクリスはクッと口角を釣り上げる。


「いいんですか……自分で…。自分の指導は、監督より厳しいかもしれませんよ」


光の灯った瞳に、片岡も満足気に頷いた。


「ああ、よろしく頼む。お前らも青道の一員として一軍メンバーをサポートしてくれるな」
「はい! もちろんです!!」

「(悔いはない…。最後の最後…、俺は選手プレーヤーとして…最高のボールを受けることができたんだからな…)」


最後まで聞いていた沢村は、ぐっと拳を握って中へ入ろうとした。それを止めたのは結城率いる三年生レギュラー陣と、御幸。


「誰が何と言おうと、お前は監督に認められたんだ。ウチの戦力・・としてな…。そんなお前が選ばれなかった者に何て声をかける…」
「……」


すぐ側にいた紗凪も、黙って結城の言葉を聞いていた。いや、聞くことしかできなかった。


「俺達にできることはただ一つ…。選ばれなかったあいつらの分まで、強くなることだ」


壁に額を押し付け、小刻みに震える沢村。すると、今まで遠くから見ていた御幸がスッと前へ出た。


「これでもう、とことん突き進むしかなくなったな。俺も…お前も…。(俺は最後まで戦い抜くぞ…、クリス先輩の分まで…。だからお前も、強くなれ…。強くなれ――…)」


夜空に浮かぶ満月が、優しく、柔らかく、涙を流す沢村を照らしていた。

――沢村や三年生達が去った後、紗凪はそっと中へ足を踏み入れた。先程まであった涙の跡は、もう滲んであまり見えない。


「…やはり、泣いていたか」
「っ………」


中には片岡と高島が残っていた。片岡は紗凪の顔を見るなりそう言い、サングラス越しに紗凪と目を合わせる。


「…ほんと…馬鹿ですよね…私…。全然、知らなかった…! こんな気持ち…!」


ぽたぽたと涙を地面に落とす紗凪は、走馬灯のように中学時代を思い返していた。…外に御幸が居ることなど知らずに。


「(は? え? 白崎ちゃん!? こんな時間まで何でいんの!? つか泣いてる? 訳わかんねぇ!!)」


御幸の混乱など知る由もなく、紗凪はポツリポツリと話し始めた。


「…ずっと…レギュラーに選ばれないのは、…才能がないからだって…そう思ってました…。才能がない奴がいくら頑張ったって、結局は無駄なんだって…!」


百戦錬磨を掲げていた帝光中。紗凪を含めたキセキの世代は、当たり前にレギュラーとして部に存在していた。
だからこそ、何故選ばれないと分かっているのに練習をするのか。その考えが紗凪にはどうしても理解出来なかった。


「私には、負ける気持ちなんて分からない…! チームプレーだって所詮は足の引っ張り合いだって、ずっと思ってました…」


青峰の言っている事も、紗凪には本当は分かっているのだ。確かに自分はこの場に居るべき人間ではないのだと。
それでも、このチームに居ればチームプレーと言うものが分かるかもしれないと思ったのだ。中学では求められなかった、求めようともしなかったものが。


「選ばれなかった人の気持ちなんて、考えたことなかった…。それが今、とても怖い…!」


御幸は思わぬ言葉に、自分の耳を疑った。野球一筋の御幸にとって、チームプレー程大事なものなどなかったから。
それを、目の前の少女はずっと“足手纏い”だと思っていた事なんて、到底信じられるはずなかった。


「…仲間に助けなんて求めなくても、自分で点を取れた。ピンチになる状況すらなかった。だから、だからっ…最後は、相手を敵としてすら見なかった!」


今思えば、相手にしてみればそれほど屈辱的な事はなかっただろうに。それでもあの頃は、周りのすべてが弱く見えた。


「足を故障した時は、バスケ出来ない苦しみで死にたいとすら思いました。っでも、それでも心の何処かに…、バスケが出来ない事に対しての安心感がありました…。これでもう、相手の戦意喪失した表情を見なくていいんだとか、これでもう一人で頑張らなくてもいいんだとか…っ!」


初めて告げられた足の故障。それは選手にしてみれば苦しみ以外の何者でもない事なのに、それに対して安心感があるなんて、御幸は聞いたことがなかった。
現にクリスはその故障のせいでレギュラー落ちしたのだから。


「…ここでは、掴めそうか?」
「え……?」


不意に出た片岡の言葉に、紗凪は涙に濡れた瞳を向けた。向けられた片岡は厳しい目を紗凪に向け、再度問いかける。


「…チームプレー。ここでは掴めそうか?」


何の裏もない言葉に、紗凪は大粒の涙を流しながら何度も頷いた。


「っ…はい、はいッ…!」


ありがとうございます、監督。
嗚咽と共に感謝の言葉を口にした紗凪に、片岡も緩やかな笑みを浮かべた。


「――…白崎紗凪……か、」


ただのマネージャーじゃない事はもう分かってる。そして今回、そんな彼女に一歩近づけた気がする。
御幸は確かにそう感じていた。


「あの青髪野郎との関係も聞きたいし?」


――もう逃がさねぇよ、紗凪チャン?


面白そうにニヤリと笑う御幸は、次からは名前で呼んでみようと部屋へ帰って行った。まるで狩人のような目つきをしながら。






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