待ち望んだ展開


騒つくグラウンド。その中で笑顔を見せたのは沢村だ。


「クリスさん、コイツ全然コントロールが…俺じゃもう…」


唯一クリスの実力を知っている小野が、焦った様子でクリスに声をかける。そんなクリスはただ一言、「分かってる」と答えた。


「今までの点を取られなかったのはお前のおかげだ、小野…。ランナーがいる場面で、よく後ろに逸らさなかったな。あとは俺に任せろ」
「……っ…はい! 勉強させてもらいます!!」


クリスの力強い言葉に、小野は叫んだ。捕手からしてみれば、クリスのプレイを見れる事事態勉強になるのだ。――もう、見れないと思っていたのなら尚のこと。


「お疲れ様です、小野先輩。タオルとドリンクです」
「あぁ…ありがとな、白崎」


ベンチに帰ってきた小野にタオルとドリンクを手渡す紗凪。その後、マウンドの上でグローブで口元を隠して集まるみんなへ目を向けた。

再開された試合。青道は内野手が全員前という、超前進守備を取ったのだ。無死満塁というピンチな場面で、一体なぜ。
誰もがそう思う。もちろん紗凪も。今の場面でその守備はあまりにもリスクが高すぎるのだ。


「か…監督、これは!? まだ一回の表ですよ!! ここは1点やってでも中間守備でゲッツー狙いの方が…」
「構わん。クリスにすべて任せてある!」
「かんとく〜〜!」


そんな会話を耳にしながら、紗凪は沢村を見続ける。
沢村が深く息を吐いてボールを投げた。そのボールはクリスのミットを弾いたものの、クリスは決して逸らさずちゃんと体の前にボールを落とした。
そして2球目。打者の手元で動くムービングボール。思った通りボールはガコッと言う鈍い音を立てて飛んでいく。それを取ったのは春市だ。春市は空中でのキャッチ&スローでこの場面を防いだのだ。
その後、クリスがボールを一塁に向かって投げる。見事ボールは一塁のカバーに出ていたライトの守備者がキャッチした。

――これで、4−2−9のホームゲッツー。


「マジかよ!! 4−2−9のホームゲッツー!?」
「まさか…最初からこれを狙ってやがったのか?」
「つーかあの投手が一番驚いてるぞ!」
「無死満塁が二死二・三塁に…。何者なにもんだ、あの捕手!!


漸く歓声が沸き起こった。紗凪はベンチでホッと安心したように胸を撫で下ろした。
怪我を感じさせない力強いクリスのプレーに、不覚にも紗凪の涙腺は緩む。だがここで泣くわけにもいかないし、まだ勝ってすらいない。


「…泣くのはまだ、だよね」


ボソッと呟いたその言葉が聞こえていた片岡は、一人静かに笑っていた。
そうして青道側の攻撃。1番打者の春市が初っ端からセンター前にヒットを打った。完全に流れを掴んだのだ。紗凪はベンチにやって来たクリスの肩を念入りにほぐし終えると、彼に連れられ春市を応援している沢村の元へ。


「何普通に応援してんだ、お前…」
「春っちってあだ名可愛いね!」


突然現れた二人に、沢村は驚いて固まる。そんな沢村に更に追い討ちをかけるのはクリスだ。


「あの新しいフォーム、まだ完成してないんだろ? 早くブルペンに入れ! のんびり休んでるヒマはないぞ」
「あっ」


そーでした!と目を見開く沢村に、紗凪は苦笑した。


「私も一緒に見るから! ちょっとしたアドバイスくらいなら出来ると思うからさ」
「おおお…! お願いしやす! ストライクがどうしても入りません!」
「お前…完全に忘れてたな……」


漸く移動しようと歩き始めると、あの独特な笑い声が聞こえてきた。いつの間に来たのか…、御幸は壁にもたれながら口角をキュッと釣り上げる。


「練習と実戦じゃ得るものは大きく違う。しっかり勉強させてもらえよ、沢村!!」


そんな先輩らしいアドバイスも、沢村は先日の気まずさからかしずしずと手をあげてではまた、と言い立ち去ろうとする。
しかし、クリスが御幸もブルペンに来いと言ったことにより、沢村の逃げ場はなくなってしまった。唯一その事件を知っている紗凪は、落ち込んだ沢村の肩をポンと軽く叩いた。






back