気合い十分


ザワザワと客席が騒つく。しかし、それも審判の声で一気に静かになった。


「両チーム整列!!」

「「「っしゃああ!!!」」」
「「「いくぞぉ!!!」」」
「「「おおおおおぉぉぉ!!!」」」



青道Aグラウンド。
青道対黒士館、スタート。


「1軍…残りの生き残り二枠をかけて、みんな気合い十分ですね、貴子先輩」
「そうね…沢村くん大丈夫かしら」
「あぁ…」


いつも通りの「ガンガン打たしていくんであとはよろしく!!」と言う台詞に、紗凪も苦笑いを零す。あそこまでいけばもう清々しい。


「プレイボール!」


審判の声が響く。それに沢村は息を深く吐いた。
見ている此方まで緊張してくる、と紗凪は目の前にあるフェンスをカシャンと握った。
沢村は腕を持ち上げ、足を上げて力強くボールを投げた。けれどそれはガシャアァン!と大きな音を立てて後ろのフェンスに直撃する。どっと笑いが巻き起こる中、打者と捕手だけは笑えなかった。何故なら、この中で一番今の沢村の投げた球が“ただの大暴投じゃない”と気づいたからだ。


「今のは…」
「大暴投ね、沢村くん。…やっぱり緊張してるのかしら……」
「…いえ、きっと今のは緊張からではないと思いますよ」
「え? …って紗凪!? どこ行くの!?」


貴子の焦る声を背中に受けながら紗凪はベンチに入った。その間も沢村はまた投げていたが、やはり先程と同じ様な投げ方をしていた。紗凪は焦りながらも片岡の所に行くと、そこも異様な空気を発していた。そう――クリスも、高島も、片岡も気づいているのだ。沢村の急激な変化に。そして沢村の新しいフォームに。


「白崎さん…」
「…っ……今の小野先輩に沢村くんの球を取ることは無理です!」


高島が紗凪を呼ぶが、紗凪は片岡だけを見つめてそう告げる。片岡も沢村を見つめたまま、紗凪の言葉をしっかり受け止めていた。
側で聞いていたクリスは己の右肩を握りしめ、ドクン、ドクン、と心臓を鳴らす。


「…マネージャーの私が差し出がましいとは思います。……ですが、今の沢村くんの球はまだ産声を上げた状態です…。その成長を手助け出来るのは…、」


それ以上は言えないのか、ギリッ…と歯を食いしばる紗凪。そんな彼女に片岡はベンチに座るように促した。
小さく礼を言って紗凪は静かに座る。そこから試合へ目を移すと、やはりフェンス越しから見るのとは空気が違うと感じた。

その後もいきなりフォアボールにデッドボール。誰から見ても下手くそな投手に見える沢村は、投げる度に謝っている。


「どうします、監督…」


高島が不安そうに片岡に声をかける。


「確かにボールの球威は抜群に上がってます。ただ…、あとフォームを実戦で使うのはまだ早過ぎるかと…。結果は出てませんが…、次に繋がるモノを確実に示したのではないでしょうか?」


高島が言ったことは、まさに正論だった。そう、まだ何もかも早過ぎたのだ。あともう1日あれば何か変わっていたかもしれない。


「ア…アイツは自分で考え…、この試合で何かをつかもうとしています。もう少しだけ投げさせてやってください」


それは、ここ何週間と共に練習してきたからこそ出る言葉だった。沢村の血の滲むような努力を知っているクリスは、どうしてもここで交代させる訳にはいかなかった。
紗凪も、その頑張りを知っている。だからこそ、彼にまだ投げさせてあげたい。


「…実戦でしか、掴めないものもあると思いますよ」


紗凪達も試合を重ねて才能を開花させた。きっと沢村もそのタイプだろう。そう予想して紗凪は片岡の言葉を待った。


「……ここで化けるか、それとも伸び悩むか。ほんの僅かなヒントを自分のモノにし、急激に才能を開花させる…。俺はそういう選手に何人も出会ってきた」


右手のカベを教えたのは、まだつい最近だ。それを自分なりに考えて、自分のモノにした沢村。


「この2ヶ月間、毎日タイヤを引き続けた持続力…。決して諦めず前を見続けた強い心…。化ける奴は一瞬で化ける!!」


片岡の言葉に、ベンチに居る者全員息を飲んだ。片岡は常に見ていたのだ。沢村が使える奴かどうか、青道を勝利へと導ける投手なのか。


「…クリス。この1ヶ月…アイツの球を受けてきたのはお前だ。アイツの持ち味を活かしてやることができるか?」


驚いたのは言われた当本人であるクリスだけではなかった。部長も、2年1年もだった。唯一、紗凪だけは目を閉じてクリスの返答を待つ。彼の葛藤が痛いくらいに分かるからだ。


「これがお前にやれる最後のチャンスだ…。出るかどうかお前がきめればいい…。だがな、クリス……。アイツはマウンドで、お前を待ってるぞ!


また、沢村が投げた。それもストライクには入らず、投手を塁に出してしまった。ついに飛び出た「代われ」コールがグラウンドに響く。何も分かっていない観客からしてみれば、こんな青道は見たくないのだろう。

――ふざけるな。
紗凪は大声でそう叫びたくなった。何も知らないただの観客が、今までの沢村の努力を掻き消すな、と。そんな雰囲気を掻き消すように3年の槙原、斉藤、桑田が笑いながらクリスに声をかけた。


「何やってんだ、早くレガース着けろよ。お前はチャンスをもらえたんだぞ」
「まさか試合に出てない俺達に気ィ遣ってんじゃねーだろーな? だとしたらぶっ飛ばすぞ」


クリスは言われた事に不思議そうに瞬く。そんなクリスを見て槙原はニッと笑った。


「2年と1年がお前のことどう思ってるか知らねーけどよ、俺達3年はみんなお前の努力を知ってんだ。俺達がスランプの時もアドバイスしてくれたじゃねーか。お前だってこのチームの一員だろ! 胸張って出てくればいーんだよ!」


自分の胸を叩いて明るく話す槙原に、クリスも驚いて何も言えなくなっている。そんなクリスの背を更に押す槙原達。


「ほら、早く行けよ! 何にも知らねぇ1年どもにお前のプレイ見せてやれ!!」


彼らは笑う。まるで後悔するなと言うように。
クリスは俯きながら渡されたグローブをぐっと強く握りしめる。そして、未だ代われコールが鳴る会場にクリスは目を向けた。
その意思を受け取った片岡は、ベンチから立ち上がり審判に向かって選手交代を申し出る。沢村は「俺!?」と自分を指差すが、ベンチから出てきた人物を見て言葉を失った。


「え?」
「キャッチャー小野に代わり――滝川!!」


約一年ぶりに着けるレガースは、とても重く感じた。紗凪は目元を緩めると、いつでもケアが出来るように、と準備を始めた。

さあ、ここからが勝負の始まりだ。






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