嫌いになったから


「洗濯終わりました!」
「お疲れ様! あ、監督が呼んでいたわよ?」
「監督が…? 分かりました!」


何したのよ、とふざけて聞いてくる貴子に曖昧に笑って紗凪は片岡の元まで走る。選手達はちょうどバッティング練習しているところだ。


「(降谷くん…投げるだけじゃなくて振る方もいけるんだ…。春市くんもコースの打ち分けまでしてる……)」


ちらりと見えた光景に、紗凪は久々に自分の背中がぶるりと震えたのを感じる。まだまだ捨てたもんじゃないな、と。


「お待たせしました!」
「来たか」


腕を組んでジッとバッティング練習を見ていた片岡は、駆け寄ってくる紗凪へと目線を移す。そして、信じられない事を言ったのだった。


「バッティング、してみるか」


時が、止まったように感じた。
まさかそんな事を言ってくるだなんて思ってもみなかった紗凪は、「え? え?」と戸惑う。それは紗凪だけじゃなく、側にいた部長も同じだ。
選手達には何の反応も見られない事から、どうやら聞こえていなかったようだ。


「いや、私はマネージャーですし…」
「…打てないのか?」


なぜか挑発気味な片岡に、紗凪の闘志は燃え上がる。ここ最近不燃焼な自分の体に喝を入れれるかもしれない、と言うのと言われっぱなしは嫌だ、という思いから、気づけば紗凪は首を縦に振っていた。


「やりますよ! 私にかかればホームランなんて楽々です!」
「(ホームランを軽々、か…。白崎コイツが打てば、より選手に気合が入るだろう…。それに、俺自身もちゃんと知っておきたいからな、コイツの実力を)」


片岡の思惑など知らず、紗凪は軽くストレッチをして体を温める。体が解れてきて、紗凪はすぐにバットを持ってきた。その姿に流石の選手達も気づく。特に3年の1軍達は目を見開いて練習する動きを止めて、ガン見していた。


「えっと…お願いします」


みんなに見られている事に恥ずかしくなり、声が小さくなってしまう。けれどバットを構えた瞬間、目を細めて集中した。
先程までの恥ずかしそうな態度はどこへ行ったのか、周りで見ている者たちは皆一様にそう思った。

そしてボールが来た瞬間――カキィイン!!と、見事にボールは遥か遠くへ飛び、フェンスを越えた。つまりホームランだ。


「す、っっげー!!!」
「何者だよあの子!? マネージャーだろ!?」
「つかホームランって…!」


動揺と歓声が巻き起こる。それもそうだ。見るからにひ弱そうな女がいきなりホームランを打ったのだから。
ただでさえバットを振るのは力がいる。それに的確にボールをバットに当てる事すら初心者にしてみれば難しい事なのに。


「ふぅん。凄いね、あの子」


亮介が汗を拭い、ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべながらそう言う。それに反応したのは他の3年の1軍メンバーだ。


「フン…マグレかなんかだろ!!」
「純にはあれがマグレに見えたのか? 少なくとも俺は確実にホームランを狙っていたように見えるが」
「哲……!」


その後も見事なバッティングを見せた紗凪に、後で話を聞きに行こうと決めた3年生なのだった。
やがて部活が終わり、片付けも終えた紗凪は帰り支度を整えて部室から出る。すると、待ち構えていたのは3年生達だった(増子は部屋でプリンを食し中、丹波は走り込み)。


「………へ?」


目を丸くして驚く紗凪に、伊佐敷はやっぱり!と吠える。


「こんなちびっ子がホームラン狙ったとか有り得ねえ!!」
「はいはいもう、純煩い」
「ンだとォ!?」


ペラペラと話す3年生。だが、反対に紗凪は俯いて拳を握りしめた。
その様子に気づいた哲は声をかけようと紗凪の肩に手を置こうとするが、それよりも早く紗凪が口を開いた。


「…誰が、ちびっ子ですって?」
「あー?ちっせぇだろうが。他のマネージャーよりちっせぇだろ? お前」
「私だって好きでこの身長じゃないんです! もっと、もっと欲しかった!」


もっと身長があれば、ダンクシュートが出来たかもしれない。もっと身長があれば、あの時ボールを奪われなかったかもしれない。――怪我を、しなかったかもしれない。
そうやって、何度自分の身長を恨んだだろうか。


「…気を悪くしたなら謝る。すまない」


結城がすぐに謝った。その事に冷静さを取り戻した紗凪は、慌てて両手を横に振る。


「っい、いえ! 此方こそ先輩方に偉そうに言ってしまいましたし…すみません!」


紗凪にとって先輩とは敬うべき存在。そう刷り込まれたのは、帝光時代の先輩の影響が大きいだろう。
今は日本にいない、先輩の――。


「ねぇ、君って中学の時なんか部活に入ってたの?」
「え?えっと…バスケ部に所属してました」
「バスケ…。どうして野球に?」


亮介の質問は、誰もが思う事だろう。現に結城達も黙って紗凪に答えを促しているのだから。思わぬ展開に言葉が詰まる紗凪だが、やがて諦めたように当時の事を思い出した。


「…バスケが嫌いになったから、…ですかね」


そう言った紗凪の表情は、言葉とは正反対のものだった。


「…そうか」
「長く引き止めちゃってごめんね? もう暗いから送っていこうか?」
「いえ、大丈夫です! ここから近いんで」
「けどなぁ、」
「用事もあるんで、本当に大丈夫ですよ」


伊佐敷の言葉を遮る紗凪に、それ以上誰も言えなくなった。やっと話が終わり、無意識に強張っていた肩の力を抜いた紗凪は鞄を肩に掛けてお疲れ様でした、と声をかける。
そして背を向けて帰ろうとした。が、何を思ったのかくるりと後ろを振り返る。


「小湊先輩、打つ時変に肩に力が入ってますよ。そこまで力んでないので大丈夫だとは思いますが、練習時と同じようなバッティングをするなら、少し意識して力を抜くといいと思います」


あ、生意気にすみません!と慌てて付け足して紗凪は逃げるように去っていった。残された3年生3人組は暫く呆然とするが、亮介の笑い声に残りの2人も覚醒した。


「ふふっ、あの子何者なんだろう。…そっか、力入ってたのかぁ。自分じゃあ気付かなかったなぁ」
「…やっぱりあのホームランはマグレじゃなかったな」
「だとするとマネージャーってのも勿体無くねぇか!?」
「純煩い」
「…………」


改めて紗凪と話した事により、3人は紗凪に興味を持ったとかなんとか。
そんな事を知らない紗凪は、


「(あああもう! やっちまったやっちまった! てか生意気すぎでしょ私!! 何様気取り!? うあああああもう顔合わせられない!!)」


最後の言葉を死ぬほど後悔してましたとさ。






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