上を目指せ


5月4週目――…青道(二軍)――朝倉北

――カーン!


「おっしゃあ抜けた〜〜!!」
「回れ回れ!」


朝倉の声援が上がる。が、それを止めたのは一年の小湊春市。一軍の小湊亮介の弟だ。そのプレイスタイルは兄と酷似している。


「スリーアウトチェンジ!」
「おおおぉ…止めやがったぁ!!」


途端に歓声が上がるが、当の春市は恥ずかしそうにしている。それを眺めるのは周りで走らされている、現在投げ込み禁止令が出ている降谷。


「一軍に上がるのは俺じゃあぁああ!」


そう言って気合よくバットを振るのは前園。結局は力み過ぎでボテボテのゴロを打ってしまったのだが。
――4回裏が終了、現在は青道4点朝倉2点と青道がリード。そんな中、学校のグラウンドでは3年の捕手、クリスと1年の投手、沢村が練習していた。

――パァン!


「どうっスか今の球!! 手応えアリ!!」
「……バックスクリーンに3本連続だな…」
「なぜ!?」
「バッターはバース、掛布、岡田だからだ」
「ミットはいい音してるのに〜〜!!」


いつの日かと同じような会話だが、確実に二人の間に流れる空気はその時とは全く違う。その後も続くクリスのお説教に、沢村はぐう、と押し黙ってしまった。
そしてクリスは、やっと沢村に自身の持つ最大の癖を言ってのけたのだ。


「柔軟な関節で球もちのいいフォーム…。だが毎回微妙にリリースポイントがズレる。この不安定な投げ方がお前のクセ球・・・を生み出しているんだ」


取る方の身にもなれ、と毒を吐くクリスに、沢村はガン!とショックを受ける。それもそうだ、今までずっと自分はストレートを投げていると思っていたのだから。


「そ…そんなにクセありますか!? 俺は真っ直ぐ投げてるつもりなんですけど…」
「……だが、このクセ球・・・こそがお前の最大の持ち味…」


やっと知りたかった自分の“持ち味”。それをあまりにもさらっと言われてしまった。プラスしてオツムの弱い沢村には理解し難かったようで、彼は冷や汗をだらだらと流して「は?」と聞き返した。そんな沢村にクリスは分かりやすい言葉で沢村に説明していく。


「球威も変化球もない。そんなお前がこのチームで生き残る道はただ一つ…」


――そのクセ球・・・を磨き上げろ。

沢村の心臓が、ドクンと一つ波打った。今までの練習メニューは、全て沢村の事を考えて作られたメニュー。その事に沢村は今、気づいてしまった。


「……お前の目標はエースになることだろう?御幸ならどんなクセ球でも受け止めてくれるさ」


それは、つまり――。


「け…けど、それじゃあクリス先輩は?」


沢村の問いに、クリスはクッと口角を上げた。


「引退のせまってる3年の俺が…お前にできるアドバイスなどこれぐらいなもんだ」


クリスは振り返り、沢村を瞳に映す。出逢った当初とは比べ物にならないくらい素直になった後輩に、言葉を投げかけた。


「焦らず上を目指せ。お前にはまだまだ先があるんだからな」


最後に「アイシングだけは忘れるな」と言って、クリスは沢村に背を向けて歩きだす。一人残された沢村は、悔しそうに歯を食いしばっていた。
紗凪は残って練習している二人に、そろそろドリンクを渡そうと部室から出ると、ちょうどクリスと鉢合わせた。


「わっ! クリス先輩…? 練習は…」
「俺との練習は今日は終わりだ」
「そうなんですか?ドリンクは…」
「…せっかくだ、貰おう…」


紗凪が握っていたドリンクを一つ取り、その場で飲み干す。いつもと味が違うのに気づいたクリスは、目を見開いて紗凪を見下ろした。
それに紗凪は「?」と頭にハテナを浮かべる。


「このドリンクは…」
「…やっぱり、クリス先輩は気付いちゃいましたか…」


あはは、と苦笑する紗凪は、左脚の爪先で地面をトントンと突っついた。それはもう癖と言ってもいいかもしれないその仕草に、クリスは微かに眉間に皺を寄せた。


「…まさか、」
「……そのまさか、ですよ。勿論完治したからこうして動けてる訳ですけどね」


くしゃりと笑う紗凪は、クリスの持つコップへ目線を移した。酷く懐かしそうに目を細める目の前のマネージャーに、クリスも自然とコップを見る。


「…友達が、一生懸命調べてくれて。でもその友達は作れないから私が作って。やっと完成したのが、それです」


たかが飲み物で、なんて思うかもしれない。けれどその飲み物が無ければ、私の脚は治っていなかったかもしれない。


「たくさんの効能を詰め込んだドリンクです。クリス先輩には特別に、ですよ」


照れ臭そうな笑顔に、クリスも思わず笑ってしまう。何故こんな後輩が多いのか、沢村といい紗凪といい。


「…だが、俺はもう引退のせまってる3年だ。悪いが気持ちだけ受け取っておく」


先程の沢村に対して放った言葉と似たような言葉を告げれば、紗凪は頭を横に振った。


「関係ないですよ、そんなの。どうして引退が迫っている3年生が上を目指してはいけないんですか?」


純粋な紗凪の質問に、クリスは答えられなかった。去年、一年間は野球をしてはいけないと言われて、その時からもう上を目指すことを諦めた。


「知ってますか? 人は一度痛い思いをした分、強くなれるそうですよ」


視界が、明るくなったような気がした。それなら、それなら俺は…――。


「なんて、受け売りですけど」


眉を垂らして笑う紗凪は、だから、と言葉を続ける。


「諦めるのはよくないです。私も出来る限りお手伝いします…いえ、させてください」


泣きそうな声とは裏腹に、とても芯のある言葉。
クリスは目を伏せて笑うと、よろしく頼む、と小さく呟いて紗凪の肩に手を置いた。


「……っはい!」


部室前から、嬉しそうな声が響いた。






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